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親に受け入れられない子もいる

興味深い文章があったので、言及させていただきます。

minimalim.hatenablog.jp

 

タイトルはミニマリストだけれど、おもに私、とれいCという人物についての考察が書かれています。

 

俺が考えた結論からいうと、彼女は親の愛に飢えてるんだよ。これはアクセスと承認欲求で満たせるもんじゃない。

 

こういった指摘がありました。

普段アダルトチルドレンについての記事も書いている私としては、この考察についてはしっかりと答えておきたいと感じた次第です。

 

 

彼女はミニマリストになりたいというか、親のようになりたくない。親のようになって幸せを掴みそこねたくないって思ったんだと思うよ。

 

 その通りですね。それについてはこちらの記事で書いています。

 

sakenominimal.hatenablog.com

 

昔の私ってびっくりするぐらい世間知らずでしたが、今回の件でやっぱり今も世間知らずなんだなぁと痛感しました。

 


親がこうだったからとかじゃなくて自分にとってね。逃げるんじゃなくて向き合って。逃げる事と捨てる事は違うからさ。

本当に必要なものと不必要なものを分けるといってもさ、今だけを見てたら危険。前にも書いたけど死ぬ迄を考えてさ。

 

 

親と向き合おうとした時期がありました。つぶされました。

 

” 向き合おう、話し合おう ”

 

親にそう言われて応じたときの結果は、決まって支配、取り込みです。

 

「だからあなたがいけないの。」

「だから私が正しいの。」

 

異論は認めない。そんな次第です。

 

 

私は炎上する数日前に母親についてこんな記事を書いており、

sakenominimal.hatenablog.com

 

炎上したとき「お前も人をつっぱねて自分に返ってきてるよ。」というようなコメントをいただきました。

私自身つっぱねたつもりはなかったのですが、同時に思い出しました。

 

「私誰もつっぱねてなんかないじゃないの! ねぇ、そうでしょうとれいC ?」

と声高に同意を求める母親の声を。

 

明らかに母は人をつっぱねていました。でも母親の問いかけに同意しないと、私も徹底的につっぱねられる毎日でした。

結局私は、真似したくないはずの母の影響から逃れられずに今日までいるのです。

 

 

 

親の愛がほしいなら、愛してほしかった、認めてほしかった辛かったと親の前で言えば良い。きっと自然と涙が溢れるよ。悲しいとか嬉しいとか感動とかじゃなくてさ。

分かってほしい認めてほしいから気を引こうとするんじゃなくて、心からの声を発してさ。表面的な感情で言えば喧嘩になるからね。欲求の飾りを捨ててさ。それこそありのままの自分だよね。心を裸にして。

 

かつて勇気を出してそうしたことが、幾度もあります。つぶされました。

自然と涙があふれ、心は裸になり、その瞬間を、刺されました。

 

 「本当に辛いときは頼ってね。親として、辛いときに言ってもらえないのが一番辛い。」

 

優しい言葉を母はかけてくれます。その言葉にそのときは、嘘はないでしょう。

けれどいざ本当に辛いとき頼ったらどうなるか。

 

 「あなたはなんでそんなに卑屈なの! いい加減にして!」

 

こうなってしまうのです。

彼女の中の " あるべき母親像 " と、実際の彼女のキャパシティは違うのです。

そして彼女はプライドが高く、子どもっぽくて、そんな自分を認められないのです。

 

 

彼女にとって娘である私から、「愛してほしかった、認めてほしかった辛かった。」という事実をきかされることは、母親としての至らなさを突きつけられることであって、それはとても耐えがたく、直視できないことなのです。

だからこうなります。

 

「何を言っているの! 私は愛したもの! 被害妄想よ!」

 

 

母親の話ばかりになってしまいましたが、父親から父性を感じたことがありません。

あまり思い出がありません。

いつも私の機嫌を伺う割に、私が思い通りにならないと大声で怒鳴る、そんな印象があります。

 

最初にも言うけど結局親の愛に飢えてるなら、それを埋める事が出来るのは親の愛。
 

 

 わかっています。

そして私の場合は、話せばわかるなどということはありませんでした。

私は一生、親の愛を埋められずに生きていくのだと思います。

結婚も怖くてする気が起きません。

 

不器用な書き方で、不器用に幸せを求めて、不器用にいろいろなものを捨てながら、生きるために、前を向くために、私にはそれしかないのです。

 

 

 

ここまで書きましたが、親とは普通に会って仲良くごはんを食べたりします。

私が心を開かず、本音を言わず、彼らを肯定し、笑いかけることで、彼らは喜んでくれるのです。

 

育ててもらった恩として、たまにご飯を食べるくらい、それくらいの嘘はつく。

そういう関係です。