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やる気なし英雄譚 作者:津田彷徨

第1部 第1章 カーリン編

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護衛の依頼(改訂)

 市庁舎に入り最上階にあるエルンストの執務室へ向かったユイは、その部屋の前で悩んでいるかのような表情を浮かべ立ち止まっていた。

「ない……とは思うけど、万が一戻れと言われた場合どうするかな」
 ユイがドアの前で立ち止まりぶつぶつと独り言を口にしていたのは、今回の呼び出しにある僅かな不安が伴っていたためである。

 というのも、彼を呼び出したエルンストはユイが朝に非常に弱いことをよく知っている。それ故、普段は会議や打ち合わせなどがあっても、できる限り午後に開くよう配慮してくれていたのである。

 そんなエルンストが早朝に呼び出しをかけるという事態に、ユイはただならぬ不吉な予感を覚えていた。場合によっては、王都への転勤などという最悪の事態もあるのではないかという不安が、彼にドアを開けるのを躊躇わせていたのである。

「……どちらにせよ、なるようにしかならないか」
 数パターン程の転勤の断り方を脳内でシミュレートし、ユイはようやく覚悟を決めると、控えめにドアをノックした。

「イスターツ君かな、お入りなさい」
 ノック音に反応して、ドアの内側からエルンストの穏やかな声が響くと、ユイは大きく息を吐いて肩の力を抜き、そのままゆっくりとドアを開けた。

 そうしてユイが執務室へと一歩踏み入れると、中には三十代半ばの身なりの良い金髪の男性が、ソファーに腰掛けているのと、その対側にいつになく厳しい表情をした白髪交じりのエルンストの姿が彼の目に写った。

「お久しぶりだね、イスターツ君。こちらへ赴任した時に会って以来だが、カーリンの水は馴染んでいるようだね」
 金髪の男性は、ソファーから立ち上がると、ユイに向って両手を広げ、笑いかけた。

「イスターツ君、こちらに掛けたまえ」
 エルンストが手招きして、ユイを呼び寄せると、ユイもソファーに向かいながら、この身なりの良い男性のことを考えていた。そしてソファーに腰掛ける頃には、市民に良心的なことで知られる、サムエル伯爵という市長の名前を思い出していた。
 僅かな間の後に、ユイがエルンストに視線を合わせると。エルンストはため息を一つ付いて口を開いた。

「急に朝早くに呼び出して済まないね。本当はもう少し前もって準備してから、君にお願いしようと思っていたんだがね」
 ユイは市長も同席していることから、少なくとも異動の話では無さそうだとまずは一息ついた。
 ただ市長が同席しているということ、そして普段温和なエルンストが表情を固くしていることから、さらに厄介なことが起こりそうな予感が脳裏をよぎり始めた。

「実は君に護衛の依頼を頼みたいんだ。期間は一週間ほどの予定なんだが」
「護衛ですか?」

 エルンストの意外な申し出に、ユイは思わず聞き返してしまった。

 カーリンにおいては、護衛の任務は陸軍省の管轄であり、戦略省所属のユイに護衛を依頼することは、通常はあり得ない話であった。

「ああ、護衛任務なんだ。本来は戦略省から派遣されている君に、この仕事をお願いするのは申し訳ないのだが。ただ今回はちょっと特殊な護衛でね」
 エルンストが言い淀むようにそういうと、サムエルが笑いながら話を続けた。

「いや、私が君にとエルンスト軍務長にお願いしたんだよ。実は今回、王都より我が領地に観光客が一人来ることになったんだ。これがちょっと変わったお客さんでね。エリーゼ・フォン・エルトブートというお客さんなんだが」

 エリーゼという名前を反芻するが、自分の知り合いの顔は思い当たらなかった。ただ、エルトブートという苗字を再認識した瞬間、後頭部を強く殴られたような衝撃が走った。

「まさかエリーゼ第一王女ですか!」

 ユイは思わず二人の顔を交互に見返す。その視線の先にあったのは重く頷くエルンストと、自分を値踏みするような表情を浮かべるサムエルの姿であった。

 サムエルはユイの驚きから、事態を理解してくれたことを確認し、咳払い一つして口を開く。
「ああ、そのまさかだよ。一応、領地視察を兼ねた観光ということなんだが、私の私兵の中には王女の護衛に適当な人材がいなくてね。そこで王都から来た君に白羽の矢を立てて、エルンスト隊長にお願いしたわけなんだが」
「そういうことなんだ、イスターツ君。知ってのことだと思うが、私の部下にも王都での教養のあるものなんていなくてね。そこで王都から来た君にしか頼めないんだ。申し訳ないが、お願いできないだろうか?」
 自分よりかなり高齢であるエルンストが頭を下げて依頼すると、ユイは慌てて礼など不要だと伝えるため、彼に膝を向けて正対した。

「本当はお断りしたいのはやまやまですが、さすがにそういうわけにはいきませんよね。わかりました。ただ、エリーゼ王女の護衛としては、うちの部隊だけでは、いささか数が少なすぎると思うのですが、いかがでしょうか」

「それに関しては、王都から近衛の護衛がついてくるそうだ。だから君たちには、護衛と言うよりも、主に案内役を中心にお願いすることになる」
 ユイは護衛の面では、あまり過剰な心配が必要ないことに安堵した。もちろん護衛の近衛たちが、地方兵に偏見を持っていないかどうかという点では、一抹の不安は頭をよぎったが、まずは内容を確認する必要があると思い、さらに話を進めた。

「わかりました。それでエリーゼ王女は、いつ頃に御到着の予定なのですか?」
「それが今日なんだ」
 エルンストはため息一つ吐き出し、そう告げた。

「今日……本当ですか?」

 ユイは思わず天井を眺めやると、そう切り返すのが精一杯だった。エルンストは私も同じ気持ちだと言い出さんばかりに、ため息をひとつ吐く。
「ああ、王女が視察はありのままを見たいといってね。他の領地への視察でも同じだそうだが、事前連絡なく、突然領土内の視察に向かわれる方らしい。私の方への連絡も昨夜が初めてで、既に三日前には王都を出ているらしいんだ。そして到着は今日の正午になるそうだ」
「それはまた、とんだお転婆さんですね。第一王女は」

 二人の悩める姿をみやり、何がおかしいのか半笑いを浮かべたサムエルは、ユイに話を振った。
「でもイスターツ君、君も王都にいたのだから、噂ぐらいは聞いたことなかったかい。第一王女の無軌道ぶりは貴族たちの話の種だったのだがね」

「王都の貴族の方々からは、あいにくとあまり覚えが良くなかったもので。しかし、視察と言われてもどちらに案内すればよろしいのでしょうか?」
「そうだな。今日はカーリンの私の別邸で歓待をするとして、明日は市内、明後日は郊外、そして明々後日にはクロセオン山脈を見学されたいそうだ」
「なるほど。実際は観光客ということが、よくわかりました。ならばそのつもりで、準備させて頂きます。それでは、準備がありますのでこれで」
 そう言うと、ソファーから立ち上がり、ユイは二人に一礼して執務室を出た。




「彼で大丈夫なのかね。確かに士官学校時代の成績は、みせてもらったが」
 サムエルはユイの出て行ったドアから視線をエルンストに戻すと、疑問を口に出した。

「ええ、彼はとても優秀な男ですよ。彼が王都でも、常に仕事をサボっていたと思われがちのようですが、彼の仕事を調べても、ほぼ何一つ落ち度がない。つまり、非常に要領が良いあまりに、することがなかっただけですよ。まあ時間が余ったからといって、決して自分から他人のために、仕事を代わってあげたり、新たな計画をたてるようなことは、なかったみたいですがね」
「なるほどね。さすがは上司だ。よくわかっておられる」
 そう言うと、サムエルは満足げに頷いた。この十数年、この都市を守り続けた老将に対して、彼は全幅の信頼を置いていた。

「いやいや、私が彼の上司でいられるのは、彼がカーリンにいる間だけですよ。きっと王都に帰れば、すぐに私の上に立つ男です。まあ、その前に私が退役してしまうかもしれませんがね」

 エルンストは、先程までの憂鬱な表情を払い、彼の期待する青年のことを思うと、思わず顔をほころばせた。
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