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#2-2.勇者エリーシャ
それから二月程経ち、魔族はその間に更に順調に勢力基盤を広げていった。
魔王は先だって視察した街で手に入れたマジックアイテムに夢中で部屋から一歩も出ない日が多く、それを良い事にラミアは更に戦火を広げていこうと画策していた。
していたのだが、人間世界も中央部に近づいていくにつれ強力な国家が増えていき、様々な勇者や名将達が軍勢を率いて対抗していた。
亜人種族の裏切りで追い詰められた人間達は、ここにきてあらん限りの力をもって抵抗を開始。
奪ったはずの砦や街も、いくつか襲撃され奪還されてしまう。
ラミアの戦略はここにきて思わぬ足止めを喰らい、そのしわ寄せは最前線の亜人達にもろに降り掛かった。
彼らは特に人間から強い恨みを買っている事もあって、他の前線の魔族や魔物と比べても優先的に狙われるようになっていた。
歴戦のオーク等はむしろ敵が強い事に喜びを見出していたが、他の三種族は堪った物ではなく、亜人として誇っていた勢力も日ごとに失っていった。
まあ、そんな事とはお構いなく、ここは魔王の部屋である。
魔王はマジックアイテム『ぱそこん』に夢中になっていた。
椅子に腰掛け、膝の上に一番のお気に入りの人形のアリスを乗せ、かたかたとぱそこん備え付けの文字盤を叩く。
『旦那様、最近は毎日そのアイテムで遊んでますのね』
「ああ、これは今までにないほど面白く、画期的なのだよ」
主人の上機嫌に、アリスも嬉しそうに微笑む。
『その箱についた鏡に文字が映ってますわ』
「そうなんだよ。これは前に座る者の魔力を介して、文字盤で入力した文字が出るようになってる」
『あ、文字が動いてしまいましたわ』
「今私はね、このぱそこんを使って、世界中の色々な人と会話をしてるんだよ」
『えっ、世界中とっ!?』
「そうさ。このぱそこんのすごい所はね、起動してる間、ぱそこんを介して魔力が世界中のぱそこんと繋がり、それぞれのぱそこんが持つ情報を共有できる事にあるんだよ。文字による会話も可能だ」
『へぇ……そんなすごいマジックアイテムがあったのですね。びっくりしましたわ』
「そうだろうそうだろう。私も存在は知っていたが、触るのは初めてでね。まだまだ使いこなせてはいないのだが中々楽しい」
かたかたかた、とおぼつかない速度で文字を入力していく主人を、そしてぱそこんの画面を、人形はとても興味深そうに眺めていた。
『ぱそこんって、何か聞きなれない言葉ですけれど、何かの略語なのですか?』
「ああ、これは確か『ぱーふぇくと・そーしゃりえーしょん・こんぴゅーたー・んんんんー』の略だったと思った」
『んんんんーって何ですの?』
「この世界ではまともに発音できない言葉らしい。発音しようとしてもそうなってしまうから皆そう呼ぶことにしてるようだ」
『へぇ……っていう事は、このぱそこんは、本来は別の世界から来たものなのですか?』
「アリスちゃんは鋭いね。実は一部に異世界の技術が使われているらしい」
マジックアイテムとは、魔法の力を無機物に付与させた品、あるいは魔法じみた効果のある品の総称である。
これには大きく二つあって、本来この世界に存在しないイレギュラーな存在故にマジックアイテム扱いされているものと、純粋にこの世界の存在が作った魔力由来の品とがある。
前者は基本的にそれそのものが流通される事はほとんどなく、実際に出回っている品はオリジナルを解析し、原理を把握するか、あるいは把握できないまでも量産に成功したコピー品。大体は高性能で高価。
後者はドワーフや人間の魔技師、一部の器用な魔族等が作るのだが、一つ一つ作り手の技量や趣味が反映されやすく、無駄な機能が付与されている事もあったりで、今一信頼性に欠けるが、比較的安価で出回っている。
今魔王と語らっているアリスも後者であり、彼女達が動いているのは彼女達の製作者が魔王の依頼に対して勝手な想像をした結果、喋ったり動いたりするように心を与えられたに過ぎない。
そうして創られるマジックアイテム達は、安価で量販されている品は雑貨や食料品のように店に並ぶ事もあるが、その多くは市場には出回らず、時として持ち主が存在を忘れたまま倉庫や物置にしまったままになっている事もままある。
魔王が今満足げにいじっているこのぱそこんも、魔王軍が支配した街で見知らぬ誰かの家の倉庫にしまわれていたのを魔王が偶然見つけ、接収したものだった。
『あら、旦那様、鏡の下のほうが光っていますわ』
「おや本当だ、これはね、特定の相手と手紙のやり取りが出来るというぱそこん内の……おお、リーシアさんからか」
『お手紙のやりとりが出来るんですの?』
「ああ、そうなのだよ。そして、手紙はぱそこんで良く話しているリーシアさんという女性からだね」
ぱそこんの画面には先ほどまでとは別の色の文字が並び、可愛らしい便箋のマークがついていた。
《アルドおじさん、先日お誘いいただいたお茶会のお話ですが、仕事に余裕が出来そうなので参加させていただきます。当日はどうぞよろしくお願いします》
『アルドおじさん……?』
「ペンネームだよ、私のね」
いささか照れくさそうにぱそこんの中の自分を紹介する魔王。人形は首を傾け不思議そうに眺めていた。
『お茶会、なさるのですか?』
「ああ、ぱそこん内でおしゃべりして仲良くなった相手とはね、お茶会をして交流を深めるという伝統があるらしいのだ」
ぱそこんを持ち、一定の魔力さえあるならば世界中の誰にでも話す事が出来るぱそこんは、広まった時期こそ最近ではあるものの、存在自体は古くから知られており、隠れた『同好の士』を集めるのには最適のアイテムだった。
仲良くなった相手とのお茶会は、その仲間の輪を作るための最初のイベントであり、見知らぬ他人同士が初めて現実において接点を持つ極めて大切な儀式なのだ。
『ですが旦那様、お茶会と申しましても、その……』
アリスは言いにくそうに主人から目を逸らす。彼女の言いたい事は魔王も解っていた。
「ああ、この城でする訳にはいかないからね。何と言っても相手は人間の娘さんだし」
『まあ、相手は人間だったのですか?』
人形らしい整った顔立ちが、驚きの表情に染まる。これも高級な人形ゆえか、それともそれだけマジックアイテムとして優秀なのか、アリスは実に人間らしく表情をコロコロと変えていた。
「私は、趣味が合うなら相手が何であろうとこだわりは持たないよ」
アリスの頭を優しくなでながら、魔王は微笑んだ。
「それに……魔界には私と同じ趣味の者は居ない様だからねぇ」
その微笑みには、諦めのような、そんな寂しそうな表情もうっすら混じっていた。
『旦那様が人間のマジックアイテムを蒐集なさるのは、人間となら趣味が合うと思ったからですか?』
「中々鋭い所をつくね。その通り。どうやら人間には、私の『同好の士』が多いらしいよ」
手紙の主、『リーシア』の名を指す。
「彼女は特に素晴らしい。ぱそこんを始めてまだ二月ばかりだが、人形や絵の話でここまで熱く語り合えた相手はそうは居ない」
『私達にも優しいでしょうか?』
「ああ、きっと君達にも優しくしてくれるさ。何せ私の仲間だからね」
魔王は、まだ見ぬ画面の向こうの同類に思い馳せる。
溜息も出てしまう。まるで初恋の人を思う少年のようなその様は、長く傍に居るアリスですら初めて目にする主人の姿だった。
「日時は……再来週か。場所は――」
二週間後。魔王軍は一人の勇者の活躍によって苦しめられていた。
人間世界中央平野に位置する大帝国・アップルランドが擁する女勇者・エリーシャ。
魔王軍がその存在を正確に察知したのは一月ほど前の事。当初は数居る並の勇者と考えられ名前すらろくに知られていなかった。
しかし彼女に率いられた人間の軍勢は、破竹の勢いで魔王軍の砦を攻略していき、3つの街と2つの城砦を瞬く間に奪還した。
聡明で魔法も剣技も一流、そして軍勢を率いる能力にも優れており、個人としても指揮官としても人類最上級という何かの冗談のような勇者の登場に、ラミアは戦慄した。
元々国家が抱えるレベルの勇者というのは化け物じみていて、常時リミッターが外れてるような理不尽な強さを誇っているのだが、彼女にいたってはそれに加えて軍を統率できる為尚更の事理不尽度が度を越していた。
勿論、対策は色々と打ったのだ。ラミアとてただ敗け続けるつもりなど無い。
勇者の率いた軍勢が攻めにまわるなら、その後方を潰して孤立させてやれば良いと思い、迂回・挟撃作戦を実行した。
実際エリーシャ軍は孤立した。どれだけ優れた将軍や勇者でもこれで片が付く筈だった。
だがエリーシャ軍はすぐに取って返し、後方を攻めていた魔王軍とぶつかり合った。
ラミアが驚かされたのはここからで、指揮していたはずのエリーシャは少数手勢を率いてそのまま進軍し、正面の挟撃してきた魔王軍をゲリラ戦法で押さえ込んだのだ。
勇者といえど単独行動を取れば集中攻撃を受けて死ぬのが世の常なのだが、エリーシャはあろう事か前方の指揮官を狙い撃ちし戦線を混乱させ、その隙に後方の魔王軍を蹴散らした自軍と無事合流し、そのまま前方の混乱しきった魔王軍をも撃退した。
別に魔王軍に油断があった訳ではない。
ラミアですら予測できなかった事を前線の指揮官が予測できたはずも無く、そもそも過去にも例が無い奇抜この上ない作戦だったのだ。
咄嗟の思いつきにしろ計画的であったにしろ、それを成功させ、自軍をここまで追い詰める勇者の登場に、ラミアは冷ややかに笑った。
「楽勝過ぎてつまらなかった所だったのよ、いいわ、やっと面白くなってきた」
負けている時に言うと実に言い訳がましい台詞なのだが、蛇女は性質的に追い詰められてこそ全力を出せる誘い受け体質なので何もおかしい事は言っていない。
「見てなさいよ、次の私の作戦は3段……いいえ、4段構えで追い詰めてやるんだから」
「ラミア様、陛下がいらっしゃっていますが……」
次の作戦をどうするか思案を巡らせていると、配下のウィッチがいそいそとラミアの元へ来て用件を伝えてくる。
「あらそう、お通しして」
ラミアは実にわずらわしげに、だが礼儀として一応思考を止め、正面を見やった。程なくして魔王は来る。
「陛下、その服装は……?」
魔王は、いつもよりやや小奇麗な服装だった。羽織った灰色の外套が妙に似合うせいか、見ようによっては上品な人間の紳士に見えなくもない。右腕に少女の人形を抱いていなければ。
「ああラミア、今日はちょっと遠出をしようと思ってね」
いつもの何を考えているのか解らない上面だけの苦笑いではなく、本当に上機嫌と言った感じに照れくさく笑う魔王に、ラミアは違和感を覚えていた。
「はあ、そうですか。どうぞお気をつけて」
覚えてはいたが、無理に構って策を練る時間が減るのは惜しいので、そのまま放置する事にした。
どうせまたアイテム蒐集に向かうのだろう、位に思いながら。
「……今回は何も聞かないのかね?」
「はい……?」
「いや、なんでもない。では行ってくるよ」
魔王としてみれば、いつも根掘り葉掘り聞いてくるラミアが深く聞かずに送り出してくれたので、色々言い訳を考えてた分拍子抜けしていた。
「あ、あの……」
「うん?」
去り際魔王に声を掛けたのは、ラミアではなく赤いとんがり帽子のウィッチであった。
カルナディアスの丘。
自然豊かで美しい湖畔が広がるこの地域も、今では魔王軍と人類同盟軍が死線を引く、この世の地獄と化していた。
大帝国が纏め上げた大陸中央諸国の同盟軍は、このカルナディアスの丘で裏切り者の亜人種族を中心とした魔王軍と激戦を繰り広げている。
「――この戦線も、なんとかなりそうね」
亜麻色の髪の戦乙女が、そこには居た。
齢十八にして帝国お抱えの勇者に認められ、同盟の軍勢を率いる事を許された女勇者・エリーシャ。
左手に掲げた血まみれの宝剣は世に二つとないアーティフェクト。
身を守る朱の軽鎧は教会によって対魔法防御のルーンが刻まれた特級品。
長く美しい髪を束ねるリボンですら、背後からの攻撃を受け止めるシールド魔法が自動に発生する強力なマジックアイテムだった。
筋肉質ではなく、それでいて街娘とは明らかに違う、戦う為だけにそこにいる乙女だった。
「勇者殿、貴女の指揮によって我らはここまで勝ち進める事が出来ました。感謝いたします」
補佐をしていた将軍の一人が、恭しげに頭を下げる。
「貴方がたの補佐あっての事よ。こんな小娘の指揮を何の疑念も抱かずに実行してくれるのだから、私だってがんばらないと」
傍らに立つ将軍達は、いずれも各国にその人ありと言われた程の名将揃い。
彼女が指示した事をただの一つも狂いなく実行できる戦場のエキスパート達だった。
だから、エリーシャは自分の実力だけで勝てていたとは微塵も思っていない。
「ご謙遜を。ですが、そう言ってもらえるなら我らも尽力した甲斐がありました」
だが同時に、将軍達も自分達だけではここまでの戦果は上げられなかっただろうと思っていたのだ。
同盟軍が立ち上げられてからそう経っていないが、エリーシャと将軍達の間には絶対的な信頼関係が築き上げられていた。
配下の兵士達も、連戦連勝で士気が高い。
皆が謳うのだ。『我らが勇者殿に栄光を』と。『エリーシャ様が居られれば人類は負けはせぬ』と。
歳若いエリーシャは、つい酔ってしまいそうになる。
それではいけないと思ってはいるのだが、やはり、経験の浅い乙女は褒められれば嬉しいのだ。
「まだ油断は出来ないけど、この戦況ならこの戦線は私がいなくても有利に進められそうね」
「確か、勇者殿は明日、休暇に入られる予定でしたな?」
「ええ……戦争中に休暇っていうのもアレだけど、こればかりは私も……人間だからね」
勇者といえど人には違いないので、定期的に休まなければ身体がまともに動かない。
一人の勇者が一年ずっと戦い続けるなんて風習はもうとうの昔に廃れていて、今の時代の勇者は危機的な状況以外では二週に一日ないし二日は休む。
それでも、エリーシャは将軍達に配慮して、戦線が安定するまでは休みを取らずに戦い続けたのだ。大サービスである。
そしてここにきて、ようやっと戦線は同盟軍有利で安定し、敵の主力であった亜人達も森の深くに追い詰める事に成功したのだった。
「森の中はエルフ達の得意領域だから中々戦い難いでしょうけど、数の差がつけば容易に押し潰せるはずよ」
「ここまで押し込めば、我らだけでも戦闘は継続できましょう。後は我らに任せ、勇者殿はどうぞごゆっくりお休みくだされ」
将軍達の中でも特に老齢の、古参の将軍が前に出て、人の良い笑顔で返した。
「そうね……皆には悪いけどそうさせてもらうわ。街に戻って、一日だけ休んだらすぐに戻るから、それまでよろしく」
「一日と言わず、一週間位休んでもよさそうですぞ」
老将の言葉に、並んだ将軍達も笑った。
将軍達は、ずっと働きづめだった勇者を労わっていた。
最初こそ小娘に何が出来ると反発していた者も居たが、その活躍を見、けなげに細腕で魔王軍と戦い続けるエリーシャの姿に、誰もが惚れてしまったのだ。
軍人である自分達の立場と秤に掛けても、『この娘はもう少し報われても良い』と肩入れしてしまうほどには、エリーシャは将軍達に気に入られていた。
勇者とは、人間達の希望足りうるアイドルだった。
「ありがとう皆。でも、ほんとにちょっと休むだけで大丈夫だから」
笑う将軍達を見て穏やかな気持ちになりながら、彼らのアイドルはくりくりとした栗色の瞳を細め、はにかむ。
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