千の証言・投稿:<戦時下>教壇の上に掲げられた陛下の写真=札幌市厚別区・古谷五雄さん(76)
2015年07月10日
1945(昭和20)年6月のある日。新潟県長岡市で国民学校1年生だった私は、体育館で行われる朝会のため、クラス全員と廊下に整列した。近くの仲間とおしゃべりしていると、担任教師がとんできて「しゃべるな」と怒鳴り、私は腕をつかまれ教室へ連れ戻された。
教壇の前で不動の姿勢をとらされると、教師が怖い顔で一喝。
「天皇陛下は口をあけておられるか」
当時、教壇の上の壁には額縁に入った天皇陛下の写真が掲げられていた。私への罰は、朝会が終わるまで教室で立っていること。その間、「写真におさまった人物が口をひらくはずがない」と思いつつ、暑い日だったことを覚えている。
それから約1カ月半後の8月1日、長岡市は米軍の1時間40分に及ぶ空襲を受け、1400人超が犠牲になった。そして2週間後に終戦を迎えた。