千の証言・投稿:<叔父の戦死>白木箱に納められた小さな石ころ=北海道七飯町・中山恵子さん(65)
2015年07月10日
私は戦後生まれなので、戦争体験は全くありません。その私が戦争についてフト考えるのは、8年前に亡くなった母の一言を思い出す時です。
母は4人きょうだいで、すぐ下の弟が、終戦間近に徴兵されたとのことでした。その弟が乗った船は沖縄へ向かう途中、敵の飛行機に攻撃され、海のもくずに。母の元に送られてきた白い木箱には、田中豊彦という名前があり小さな石ころ一つが入っていたとのことでした。
ある時、市役所で戦没者への恩給支給の話があり出席しました。でも、母が祖母を引き取る際、旧姓の田中から中山へ(祖母が)籍を変えていたため、死亡した田中豊彦の親とは見なされず、恩給対象者にはならなかったようです。母はその時、市役所の窓口の方に「お金なんていりません、弟を返してください」と叫んでしまったと、よく昔語りに話してくれました。
戦後このように遺骨がなく、白い木箱のみが遺族に届いた方は膨大な数にのぼるでしょう。戦後70年たちますが、私はこの話を引き継いでいこうと決めています。