千の証言・投稿:<慰問袋>上官の指示で中身をすり替えた=広島市安佐南区・朝川広男さん(89)
2015年07月10日
私は1926(大正15)年1月、兵庫県(神戸市)の東灘で生まれました。太平洋戦争中は戦時教育を受け、軍国少年で天皇陛下のため、名誉の戦死をつねに考えておりました。
学友は志願で陸・海軍兵士として出征。私は志願書を出しても、近視のため不合格でした。官立無線電信講習所を卒業すれば、陸軍通信兵か陸軍軍属に採用される道があることを教えられ受験、合格。卒業試験成績は1位でした。
陸軍軍属を希望、広島の暁部隊へ入隊し、横浜、東京へ転属。その間、事務能力を評価され将校室上官の指示による事務に従事。時には、国民から兵士に届いた慰問袋の中身物品を、上官指示により都合よく差しかえる作業で、将校の不正実態を認識しました。
1945(昭和20)年7月、東京から広島へ転属。8月10日、現役兵として広島・尾道の暁部隊に入営せよとの召集令状を入手。8月4日、軍属を休職し、両親の疎開先である広島県の山間部にいったん帰りました。8月6日、広島に原爆投下。鉄道開通した9日に広島市内に入り、原爆の惨状目撃。その後、尾道の暁部隊に入営しました。
被爆者健康手帳は証人2人なしで証拠書類のみで交付されました。被爆者として活動はまったくやらず、おとなしく生活中です。