プレイヤーを五人集めればステージに立てる
深夜のテンションで少しネガティブなことを書く。ここ1年ぐらいのインターネットにおいて「ポジティブ五人組制度」ができて、五人程度のプレイヤーで連帯責任・相互監察・相互扶助をおこなえば相応のシェアをされたり、イベントの開催をしやすいから、何があっても褒め合おうみたいな強迫観念があるんじゃないかと感じてしまうことが増えた。
逆に言えば、五人組以外のプレイヤーからどんなヘイトされてもあまり問題はなくて、そこから先はオーディエンスの話となりやすい。昔のはてなブックマークでもプレイヤーの友達が3人いればオーディエンスに行き渡りやすかったので「友達」の定義を広げて寄生的な関係を結ぶような動きがあったり、利益をもたらすから「友達」であり、「友達」は利益をもたらさなければならないという感覚にすら転じた人々が増えた経緯がある。
ポジティブ五人組制度の功罪
少数のクラスタで集まって高めあっていこうという流れはむしろWordPress界隈でよく見られたのだけど、どう考えてもアカンことに対してまで無理矢理に褒める部分を見つけたり、特定クラスタのみをシェアし続けることに対して嫌悪感を感じることがあった。「友達」だったら褒めるべきで、どんな時でも味方でいるべきという言説すら見かけたのだけど、本当に「友達」だったら注意するよね。
僕自身にも脛に傷があって、一時期は検索流入が完全に止まってしまったので、バイラルメディアのような導線になっていた経緯がある。そんな構造を維持しようとすると普段から読んでくれている人やシェアしてくれる人に対して批判的なことが言いにくくなるので、ちゃぶ台を返したら面白いぐらいに数字に現れて怖くなった。現在のシェア中心のネット文化では5人から濃く好かれる方が、100人から薄く好かれるよりも強い環境にあるからこその褒め合い相互監視が生まれる。
特定クラスタと濃密に付き合いたくないからシンプルライフ
本来の五人組制度は、連帯責任というネガティブなペナルティをおいたくないから相互監視するというシステムなのだけど、仲間からシェアされやすいという既得権益を失いたくないから特定クラスタ内で相互監視的に褒めあったり、敵対クラスタを攻撃してるんだよなぁっていう構図が見え隠れする。ポジティブな権益を失うのをペナルティと見なす認識にたてば、従来の五人組と同じで、すごく窮屈かつ矯正不能な恐ろしいディストピアにいるような気もする。
僕自身は特定のクラスタと濃密に助け合わない生きていけないという不自由な状態になりたくないから、自身にスキルやお金を貯めることを重視するし、キャッシュフローの改善や意志力の節約のためにシンプルライフやミニマリストを指向していたわけで、濃密な互酬関係はなんだか逆行している気がする。お金の代わりにコミュニケーションを支払う心意気はよしとして、お金を稼ぐよりも苦痛なことをしていたり、他人に不愉快な思いをさせていないかという点に気をつけたいと思った。
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