2015.05.10.Sun
自己流写真語録♪ #07
#07 「心の感動」を表現するために
「鉄道」「蒸気機関車」が好きだから「写真」を撮る。
私も蒸気機関車が放つオーラに魅せられて写真を撮っている。
今のカメラは自動にすれば、誰でもそれなりの写真が撮れる。
そして、撮った写真を記録として自分の世界だけで楽しむ。
それをアウトプット(発表)する、しないは本人の自由である。
しかし、写真を「作品」「アート」として捉えてみると、
プラスアルファの要素(何か惹かれるもの)が不可欠になる。
全てのアートは、「心の感動」をどう表現するかということ。
それは、写真を通して他の人にも感動してもらうことである。
感動が伝われば、作品からの感動+伝えた感動へ昇華する。
これが、作者(※)に与えられる最高のご褒美なのだと思う。
「心の感動」を一つでも多く表現できるようにするには、
どうしたらいいだろうか?いつも苦労している私は、2つの
ことを心がけている。
まず一つ目は、「写真」と「被写体」の意識の比重である。
被写体と対峙する時、写真(作品)づくりを意識して撮る姿勢。
それは、「写真」>>>「被写体」=アートの視点で観ること。
特に、走行写真の撮影で複数のカメラを使う時では、複数の
絵づくりとシュミレーションをして手際よくカメラ操作しな
ければならない。これは少々高度なテクニックが必要である。
二つ目は「心の感動」を表現できるような視点やヒントを
得るために「他の被写体」を気軽に撮るようにしている。
私は、鉄道写真では「蒸気機関車」を撮るために出かける。
しかし、撮影地以外の行き帰りの行程で様々な写真を撮る。
お目当ての本番の撮影だけで、他は全く無関心というのでは
勿体ない。蒸気機関車以外の車両や駅や風景を撮るなどして
何かヒントが得られることもある。
撮影行以外でも、たまには「街並み」「スナップ」「風景」
「ポートレート」「テーブルフォト」」「花」など、全く違う
ジャンルを撮ってみると、思わぬ発見があり面白い。
「写真は即時性の芸術」「写真は写心である」
「写真」の眼で「色んな被写体」を観察してシャッターを切る。
「心の感動」に繋がる「自分の作品」を創るために・・・。
(※)作者は、単なる撮影者ではなくアーティストになる。

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「鉄道」「蒸気機関車」が好きだから「写真」を撮る。
私も蒸気機関車が放つオーラに魅せられて写真を撮っている。
今のカメラは自動にすれば、誰でもそれなりの写真が撮れる。
そして、撮った写真を記録として自分の世界だけで楽しむ。
それをアウトプット(発表)する、しないは本人の自由である。
しかし、写真を「作品」「アート」として捉えてみると、
プラスアルファの要素(何か惹かれるもの)が不可欠になる。
全てのアートは、「心の感動」をどう表現するかということ。
それは、写真を通して他の人にも感動してもらうことである。
感動が伝われば、作品からの感動+伝えた感動へ昇華する。
これが、作者(※)に与えられる最高のご褒美なのだと思う。
「心の感動」を一つでも多く表現できるようにするには、
どうしたらいいだろうか?いつも苦労している私は、2つの
ことを心がけている。
まず一つ目は、「写真」と「被写体」の意識の比重である。
被写体と対峙する時、写真(作品)づくりを意識して撮る姿勢。
それは、「写真」>>>「被写体」=アートの視点で観ること。
特に、走行写真の撮影で複数のカメラを使う時では、複数の
絵づくりとシュミレーションをして手際よくカメラ操作しな
ければならない。これは少々高度なテクニックが必要である。
二つ目は「心の感動」を表現できるような視点やヒントを
得るために「他の被写体」を気軽に撮るようにしている。
私は、鉄道写真では「蒸気機関車」を撮るために出かける。
しかし、撮影地以外の行き帰りの行程で様々な写真を撮る。
お目当ての本番の撮影だけで、他は全く無関心というのでは
勿体ない。蒸気機関車以外の車両や駅や風景を撮るなどして
何かヒントが得られることもある。
撮影行以外でも、たまには「街並み」「スナップ」「風景」
「ポートレート」「テーブルフォト」」「花」など、全く違う
ジャンルを撮ってみると、思わぬ発見があり面白い。
「写真は即時性の芸術」「写真は写心である」
「写真」の眼で「色んな被写体」を観察してシャッターを切る。
「心の感動」に繋がる「自分の作品」を創るために・・・。
(※)作者は、単なる撮影者ではなくアーティストになる。
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