☆後編を書くのは10年後か.「境涯革命」と題し、40編の記事を書きました。
最後の記事は、→
ここをクリック!「しばらく休憩」と書きましたが、再開は当分、しないと思います。
まだ、書くべき時期ではないからです。
私は、幼少期から窓際族までの43年間で、やっと創価学会員としての基盤を所有するに至りました。
宗教の持つ「チカラ」を体験し、確信を持ちました。
しかしながら、まだ、境涯は半分しか開かれていなかったのです。
私は、私の人生が「仏として生きる」ことが可能であり、その仏としての人生にこそ、最高の幸福があることを覚知しました。
しかし、その道は平穏でのんびりとしたものではありませんでした。
信心を貫くならば、「魔が競い起こる」のであり、その「魔との闘争がある」訳です。
私は43歳から55歳の今日に至るまで、幾度も、この魔との闘争をしてまいりました。闘争は凄まじいものでした。
その闘争は、以下の行為より難しいと法華経に説かれています。
九易(くい)
1.余経説法易 法華経以外の無数の経を説くこと。
2.須弥擲置易 須弥山をとって他方の無数の仏土に擲(な)げ置くこと。
3.世界足擲易※1 足の指で大千世界を動かして、遠くの他国に擲げること。
4.有頂説法易 有頂天に立って、無量の余経を説法すること。
5.把空遊行易 手に虚空・大空をとって遊行すること。
6.足地昇天易 大地を足の甲の上に置いて、梵天に昇ること。
7.大火不焼易 枯草を負って、大火に入っていっても焼けないこと。
8.広説得通易 八万四千の法門を演説して、聴者に六通を得させること。
9.大衆羅漢易 無量の衆生に阿羅漢位を得させ六神通をそなえさせること。
(※1擲(ちゃく)と読む。擲(な)げるの意)
詳しくは、→
ここをクリック! 仏として生きようとすれば、途方もない難が競う‥
正確に言えば、競い起こる難を乗り越えて仏になれる、とも解釈できますね。
事実、私は、驚くべき難を二度にわたって受けたのです。
しかしながら、このお話をすることは厳しい。少なくとも今は難しい。
先日、創価の森通信において「続・光の輪」という記事を書きました。
その記事は、→
ここをクリック!そこで、「これから10年、あるいは20年先の未来に語る可能性はあるにせよ、今は語るべき時期ではないと考えている。生涯語らないかも知れない。ただ、大きな苦難があったことだけは申し上げておく」と述べていることが、その1つでした。
これに加え、もう1つの苦難があったのですが、これも詳しく語れない。
すなわち、2つともはっきりと語れないのです。
いろいろ考えたのですが、この「境涯革命シリーズ」、当分、書かないと思います。
と、いうことで、長い休憩に入りたいと思います。
「で、今後、別館はどうするのか」ですって?
リクエストがあれば、おっしゃってください。
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