磯村健太郎
2015年7月9日07時41分
先月下旬、自民党が政権に戻ってからは12人目となる死刑執行が行われた。被害者遺族の多くは加害者の極刑を望み、世論の大半も死刑存続を求める。しかし、あえて加害者との新たな関係を模索する遺族もいる。それはどんな償いのかたちなのか。弟を殺害されながら加害者の死刑執行停止を求めた原田正治さんに聞いた。
京都府内で1983年、横転したトラックから遺体が見つかった。原田さんの弟で、トラック運転手だった明男さん(当時30)。初めは事故と見られていたが、翌年、雇い主の長谷川敏彦・元死刑囚ら3人が保険金目的で殺害したとして逮捕された。
――明男さんが亡くなって32年。気持ちの変化はありますか。
「1年ほど前からキリスト教の教会に通うようになりました」
――信仰を持つように?
「いえ、ぼくは無神論者です。あの世があるとも思ってません。ただ、殺された弟に対して懺悔(ざんげ)のような気持ちが湧いてきて……。もともとは犯人の長谷川君に報復したい気持ちが痛切にあって、極刑を求めました。なのに、今、どちらかと言うと死刑制度はなくしたほうがいいという気持ちが勝っている。死刑廃止運動にも加わった。弟にとってこれでよかったのかな、と迷いがあるんです」
講演などで死刑に疑問を投げかける。一昨年は、谷垣禎一法相(当時)に死刑全般の執行停止を求める要望書を出した。
――今になっても気持ちは揺れ動いているわけですね。ただ、内閣府の世論調査では死刑を容認する人が8割です。
「被害者の気持ちをくんで、という人も多いでしょう。しかし、軽々しく『被害者感情』と言われることには抵抗があります。近づくことはできても、本当のところは分かり得ない。被害者遺族のぼくの気持ちは単純ではなく、なかなか分かってもらえません」
■ ■
長谷川元死刑囚は他に2人を殺害したとされ、85年の一審判決は死刑。その公判段階から原田さんに謝罪の手紙を書き続けた。だが原田さんは、百数十通にのぼる手紙のほとんどを読まずに捨てていた。
――当時はどんな気持ちだったのですか。
「ストレスのはけ口を求めてキャバレー通いをした時期があります。サラ金に手を出し、飲めない酒を飲む。自分が壊れていくような気がしました。事件後、ぼくはいわば崖の下に突き落とされました。悪いことはすべて長谷川君のせいだと恨んでいました」
しかし事件から10年後に転機が訪れる。抑えきれない怒りをぶつけようと、原田さんは拘置所に出向く。長谷川元死刑囚は二審で控訴が棄却され、最高裁に上告中。面会室に現れ、「申し訳ございませんでした」「これでいつでも喜んで死ねます」と言った。思わず「そんなこと言うなよ」と答えていた。
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