原発事故の被災が続く福島県の住民に対し、政府が避難指示の解除や賠償の支払いに一定の区切りをつける考えを示した。

 事故から4年以上がたち、先行きが見えないことに伴う弊害も出始めている。避難解除にめどが立つことで、生活設計がしやすくなる面はある。除染や生活インフラの再建など、住民が帰る環境を整える政府の責任が明確になる点でも意味がある。

 ただ、被災者が置かれている状況は一様ではない。避難解除や賠償終了が単なる「打ち切り」にならないよう、個別の事情をくんだ新たな支援へとつなげていくことが欠かせない。

■復旧作業にはずみも

 今回、避難の解除時期が明示されたのは、放射線量が比較的低く、現在は日中の立ち入りができる「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」だ。今後、除染作業などを急ぎ、遅くとも17年3月までに解除する。 全域が避難指示解除準備区域だった楢葉町については、9月5日の解除が決まった。自治体ぐるみで避難する7町村の中で最初のケースになる。

 住民が戻るには、傷んだ家の修理・建て替えや働く場の確保が不可欠だ。これまで、大手住宅メーカーは「避難が解除されないうちは作業できない」としてきた。被災後に町が工場誘致にこぎつけた11社も、1社を除き「具体化は解除後に」と様子見が続いている。

 避難解除で復旧にはずみはつく。楢葉町の住民調査(昨秋実施)でも「すぐに戻る」「条件が整えば戻る」と答えた人が計45・7%と、前回調査より5・5ポイント増えた。

 しかし、事故前通りにするのは難しい。すでに避難先で新しい仕事に就いたり、子どもが学校になじんでいたり、という世帯も少なくない。

■戻らぬ事故前の生活

 これまでに避難解除された田村市、川内村の一部地域でも、人口は震災前の半分程度にしか回復していない。人が戻らなければ、医療機関や学校なども成り立ちにくい。それがさらに帰還の足を鈍らせる。

 農業や自営業の再開にも厳しさがつきまとう。

 試験栽培などは一部で始まっているが、放射線への不安は残る。農地の一部は、除染で出た土や草木の仮置き場になった。今も大きな袋が山積みだ。

 避難地区の会員を対象にした県商工会連合会の調査では、今年6月までに56・4%が県内外で事業を再開した。ただ建設業や製造業が中心で、小売業やサービス業は少ない。商圏自体が消失してしまっているからだ。

 昨年4月に避難解除となった田村市都路(みやこじ)地区では、政府主導で食料品や日用雑貨を置く仮設店舗を設けた。その後、政府の肝煎りでコンビニが国道沿いにできた。別のコンビニによる移動販売もあり、売り上げがピーク時の4分の1に急減したという。楢葉町でも地元スーパーが再建を模索するが、隣町の広野町が国道沿いに設ける商業施設にイオンの進出が決まっており、影響が懸念されている。

 こうしたなかで、政府と東京電力による賠償が打ち切られる。精神的損害に対する賠償(慰謝料、1人当たり月10万円)は18年3月分まで、休業中の中小企業や個人事業主に払ってきた営業損害賠償も、17年3月までとなった。

 賠償や金銭補償については▽「もらっている人」と「もらっていない人」の経済格差が広がる▽地域の分断につながる▽自立の妨げになる、といった問題も指摘されてきた。

■個別の事情に配慮を

 しかし、いったん失われた暮らしを立て直すには、相当な困難が伴う。慰謝料も、生活費として使われるケースが多い。避難が解除されたからと地元に戻っても、収入を得る道が確保できなければ、立ち行かない。

 政府は新たに官民による組織をつくり、今後2年間で、自営業や農業を営んできた人たちの事業再開を支援するという。まずは、年内に約8千の事業者を訪問する計画だ。

 もっとも、具体的な中身はこれからだ。状況の把握だけでも時間はかかる。各地の復興計画などに関わる福島大学の丹波史紀准教授は①事業者ごとに詳細な「カルテ」をつくって再開への課題を整理する②商圏の調整や転業する場合の再教育など手立てを講じる③再開後に生じる問題にも目を配り、事業を軌道に乗せる、といった取り組みが不可欠だと指摘する。いわば伴走型の支援である。

 そのうえで、再建に時間がかかる人には生活費などを支援する公的な枠組みを設けることも視野に入れるべきだろう。国策で進めた原発による被災である。住民個々に対する政府の支援を打ち切ってはならない。

 4年を経て住民個々の事情は複雑になっている。住民に目線を合わせて柔軟に対応する必要がある。福島の人たちの生活再建は、これからが本番だ。