『プリンプリン物語』というNHKが生み出した古典的人形劇がある。
この『プリンプリン物語』。初めの二年間分のマスタービデオテープは現存していない。
1970年代当時、NHKであってすらビデオテープを上書きして使っていたからだ。
1000年代を生きた藤原道長の日記『御堂関白記』は、すべてではないが自筆原本が子孫の近衛家に伝えられた。古い時代の写本もある。
道長と同時代人、藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』は原本は存在しないが、過去、様々な公家が重要性を感じ、書き継いでかなりの分量が現代に伝わる。
『御堂関白記』『小右記』は伝本の種類や、文字の異動などが網羅的に調査され、今では東京大学史料編纂所のウェブサイトで全文検索なんかができたりする。
刊行本である『大日本古記録』シリーズとリンクされていて、図書館とかに行かなくても道長や実資の記録にアクセスできる。
話を『プリンプリン物語』に戻そう。記録と言うものは簡単に失われる。
電子化が進んでもそうだ。今フロッピーのデータをすぐさま利用できるだろうか? 営業を止めたウェブサービスが(インターネットが生まれてたかだか十数年の間に)どれだけあっただろうか?
2000年代後半から、NHKは『プリンプリン物語』の失われた話をビデオで録画して今でも持っている人を探している。他にも捜索願が出ている有名番組があるようだ。
http://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/boshu3.html
歴史上失われ、現在では伝わらない文章を逸文(いつぶん)という。諸本に引用された文章から、失われた本体を復元する作業を輯佚(しゅういつ)という。
1000年前の道長や実資の記録はもちろんだが、たかが数十年前の記録に対しても輯佚は行なわれうる。
そして重要なことは、実は私たちがデータの断片を持っている可能性がある点だ。
偉そうな言い方だけど、歴史を記録し後世に伝える機会が、もしかしたら私たちにもあるかもしれない。
こんな文章書いているからわかる通り私は歴史好きだ。でもこういう現代のやがて歴史になっていく部分を記録する、っていう営為も結構好きだ。
今の時代も1000年後には1000年前になってるわけだしね。