2015-05-05 「憲法改正落語」と「禁演落語」「国策落語」

徳島県教組襲撃で悪名高いレイシストの中曽千鶴子(ジャンヌおつる)により行われた告知。
■3/8 日本会議大阪 桂 福若師匠 山口采希さん 「歌と落語 春のひと時」(3月6日付「★おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々★」)
桂福若師匠と
山口采希さん
(講師 桂 福若氏 山口采希氏)
「歌と落語、春のひと時」
〜美しい日本の心〜
第3回目の今回は落語の「桂福若師匠」と歌手の「山口采希さん」をゲストにお迎えし、
●日時 3月8日(日)午後1時〜3時(開場12時)
●場所 大阪護国神社内 住之江会館ホール(大阪護國神社境内の奥の建物)
〒559-0015 大阪府大阪市住之江区南加賀屋1-1-77
※地下鉄 四つ橋線「住之江公園」駅下車、?番出口から徒歩3分、駐車場がありませんので地下鉄をご利用下さい。
●参加費1,000円
<事前申込みなしでも入場可能です>
当日直接会場へお越し下さい♪
●第一部 (13時〜13時50分)
歌唱 山口采希さん
<休憩10分>
●第二部(14時〜15時)
・歌唱 山口采希さん
山口采希
未来を生きる子供達の為に、昔々から大切に守られてきた宝物を、しっかりと引き継いで行きたい。
書き変えられたもの、失われそうで忘れ去られそうなもの。
そんなひとつひとつを音楽に載せ活動している23歳女性シンガーソングライター山口采希。
教育勅語や五箇条のご誓文、自衛隊の皆様への感謝を軽快なサウンドで奏でる。
祖父の影響で覚えた軍歌や唱歌もレパートリーに入れ、神社での奉納演奏や講演会、ユニバーサルシティウォーク大阪や吹田SAと、幅広く活動中。昨年9月24日には北朝鮮拉致被害者全員救出を願ったニューシングル「空と海の向こう」をリリース!
http://www.whizmusic.jp/ayaki.html
桂 福若
昭和44年生まれ。 大阪市住吉区出身。 父は四代目 桂 福團冶 母は歌謡声帯模写の翠みち代、 いとこに女優の泉ピン子。
小学校2年生の時、テレビ「素人名人会」で名人賞を受賞。高校時代には落語研究会を結成し活躍する。
その後、父でもある4代目桂福團治に入門し「福若」を名乗る。
http://fukuwaka.info/index.html
TEL06-6245-5741/FAX06-6243-1682
で彼が披露した「美しい日本の心」とやらはこんなもの。
■歌と落語で、春のひと時を満喫した大阪市支部第3回セミナー(日本会議大阪)
昨日3月8日(日)の午後、日本会議大阪大阪市支部主催の「歌と落語、春のひと時」と題して、第3回セミナーが住之江会館・ホールで開催され、約100名の参加者があった。今回は、これまでと趣向をかえて、落語家の桂福若師匠とシンガーソングライターの山口采希さんに日本人の豊かな詩情を笑いと歌で織りなす内容として、誰でもが楽しみながら、日本人が大切にしてきたものを見つめ直して頂こうとする企画であったが、出演者のファンの方々が大勢、かけつけて頂いた。
運営の方も支部役員が各自、役割を連携プレーして下さり、比較的スムーズに進めることができた。
福若師匠は、演目である「憲法改正落語(憲法前文)」では、落語での手ぶりなどを面白く紹介しつつ、自然に憲法問題について論じ、前文が国の顔と違っているために日本人の顔をしていない日本人が増えてきたことを話されたが、肩の凝らない話術には、思わず引き込まれる噺家の妙があった。後半では「くしゃみ講釈」の演目で、これぞ古典落語の香りと思われる程の高尚に笑いをとっていた。DVDで見るよりも本物は、迫力とともに言葉のつなぎ方の巧みさが随所にみられ、茶の間で楽しみながら憲法改正について話すきっかけのヒントがいくつもあって参考になった。
(以下略)
モノホンのレイシストやんけ
https://twitter.com/mizuhofukushima/status/594116432679440385
@mizuhofukushima 5月26日5時半から、参議院議員会館講堂で、超党派のたくさんの議員による禁演落語を聞く会をやります。戦争中に禁止された落語の演目をやってもらいます。ぜひ来てください。
ここでいう禁演落語とは。以下に詳しい解説が。
■はなし塚の由来について(本法寺縁起のページ)
東京都台東区寿町の本法寺は熊谷稲荷・吉見稲荷・はなし塚・筆塚で有名な日蓮宗のお寺です
6年は、皆さまご承知のように、日本の内外の情勢は一段と厳しく、日華事変以来、我が国は臨戦体制から戦時体制に突入しており、国家総動員法も公布され、国民も一億一心すべて東亜新秩序のため、身を挺して重大時局に直面している時でありました。政府からは各芸能団体の演題種目について、厳しく自粛が叫ばれていました。
演芸のなかでも落語は、江戸時代の最盛期にはじまった演芸であり、その演題のなかには、遊里・酒・妾・廓噺などの名作も少なくなかったが、この厳しい戦時中にこうした演題をだすことが憚(はばか)られ落語界では、国策に沿っていち早く自粛方を協議し、野村無名庵(講談落語協会顧問)を先導に、演題について落語界幹部が種々検討して、甲・乙・丙・ 丁に分類、丁に属する戦時下の時局に相応しくない噺五十三種(遊里・酒・妾・廓話等)を禁演落語として発表し自粛の姿勢しました。
この禁演落語の中には、江戸文芸の名作といわれた、明烏・五人廻し・木乃伊取りがあり、高座から聞くことができなくなりました。落語界の芸人のなかには、この禁演となった五十三種の噺を得意にしている人もあったが、誠に残念であるが重大時局に直面し国民が滅死奉公に身を挺している時であり、当然の結果といえるかも知れません。昭和16年10月31日、当時の講談落語協会、小咽を作る会、落語家講談家一同、落語常席主が発起人となり、落語界の人々の信仰を集めていた熊谷稲荷のある、本法寺の境内に「はなし塚」を建立し、時局に相応しくない53種の台本をこの塚に納め、併せて落語界の先輩の霊を弔いました。
はなし塚の石碑の表面は長井金升氏が揮はくし、裏面には次のようにもその由来と発起人の方々が刻まれています。
昨秋9月東京落語家全員は、園家新体制に即応し53種の落語禁演を自粛協定して職域奉公の実を興げたり、今是を紀念し併せて葬られたる名作を弔ひ尚古今小噺等過去文芸を供養する為詳細記録類を埋めて建碑し以て菩提に資すと再云。
小咄を作る會員有志一同
納められた53種の演題及び発起人の方々
1 明烏
2 粟餅
3 磯の鮑
4 居残り佐平次
5 お茶汲み
6 お見立て
7 親子茶屋
8 首ったけ
9 廓大学
10 五人廻し
11 子別れ
12 三助の遊び
13 三人片輪
14 三人息子
15 三枚起請
17 お祓い
18 高尾
19 辰巳の辻占
20 付き馬
21 突落し
22 搗屋無間
23 つるつる
24 とんちき
25 二階ぞめき
26 錦の袈裟(けさ)
27 にせきん
28 白銅
29 ひねりや
30 文違い
31 坊主の遊び
32 万歳の遊び
33 木乃伊取り
34 山崎屋
35 よかちょろ
36 六尺棒
37 権助提灯38 一つ穴
39 星野屋
40 悋気の独楽(りんき)
41 城木屋
42 引越の夢
43 包丁
44 氏子中
45 紙入
46 駒長
47 葛の間男
48 蛙茶番
49 疝気の虫(せんき)
50 不動坊
51 宮戸川
52 目薬
53 後生鰻(ごしょううなぎ)
発起人氏名
六代目 一龍齋 貞山
八世 桂 文治
四代目 柳家 小さん
六世 桂 文楽
六代目 古今亭志ん生
五代目 蝶花樓 馬楽
初代 桂 小南
六代目 柳亭 芝楽
三代目 三遊亭 円遊
初代 柳家 金語樓
四代目 春風亭 柳橋
五代目 柳亭 左楽
初代 桂 小文治
七代目 林家 小蔵
初代 春風亭 柳好
二代目 三升 紋彌
三代目 昔々亭 桃太郎
六代目 古今亭 今輔
六代目 春風亭 小柳枝
六代目 三笑亭 可楽
二代目 大島 伯鶴
四代目 小金井 蘆州
五代目 神田 伯龍
八代目 入船亭 扇橋
四谷 喜よし
上野 鈴本亭
東寶名人会 林 暁 紅
題字揮毫 長井 金升
仝 鈴木凸太
石工 南澤仙吉
禁演落語の復活について
第二次世界大戦の間、禁演落語は、はなし塚の地下に埋められたままになっていました。昭和20年8月15日、戦争の終結に伴い再び平和が蘇り、都市の復興と再建の活気が、そして人々に明るい笑顔が見られるようになってきました。
落語界の幹部達の間でも、はなし塚をあのままでは済まされない、言論の自由になったのだから、一日も早く禁演落語を復活させようという機運がたかまってきたことはいうまでもありません。
昭和21年9月、禁演落語の復活祭が挙行されることになりました。
この日、長瀧山本法寺 第29世 西川景文僧正(妙長院日展上人)が、はなし塚の石碑の前に於いて復活の辞を述べられました。復活祭に集まった大勢の落語家たちの顔は笑顔で満ちあふれ、塚の周囲には感激の声が流れていたことは疑うべくもありません。現在も、はなし塚は、由緒ある史蹟として本法寺境内にあり、台東区文化財の史蹟とされ、台東区教育委員会製作の案内板も立てられています。
また、本法寺正門右側の玉石垣の塀は、芸術協会、落語協会、落語定席、落語家、色物の芸人達が、昭和二十九年四月に奉納したものです。今では無くなった人形町の末広亭の名や、物故した古今亭志ん生帥をはじめとする、多くの芸人の方達等の名前が一面に刻まれていて、丹念に眼を通してゆくと落語界の歴史に思いを馳せ、見飽きることがありません。
一方で「国策落語」なるものも存在しました。
■「禁演落語」と「国策落語」 (2,010年9月8日付「とだ九条の会」blog)
この秋、「とだ九条の会」は2010年10月20日(水)午後7時から、戸田市文化会館で「落語と講演の夕べ」を開催しますが、落語は立川談之介師匠による「世相講談」&「禁演落語」です。
「禁演落語」とは、ちょっと聞き慣れないかもしれませんが、ちょうど『経済』10月号の「随想」に記述がありましたので見てみましょう。(サイト管理者)
「禁演落語とは、戦前、当時の講談落語協会が1940年9月30日に、自粛の形をとって戦争遂行の『時局にふさわしくない』ということで、遊廓に関した噺、妾を扱った噺、不義・好色の噺、残酷な噺など三種の落語を演じることを禁止したことである」と『経済』10月号では紹介しています。
一方、「国策落語」の存在も記述しています。
「国策落語とは、戦争遂行のための国策にそって軍事費確保のための貯蓄や債権購入のすすめ、『産めよ殖やせよ』に即応した噺、防空演習や隣組などを題材にしたさまざまな新作落語を作り演じたことである」(同)
つまり、「禁演落語」は自粛の形をとり、「国策落語」も当時の絶対的天皇制政府から直接的に命令されたという証拠はないものの、「禁演落語」も「国策落語」も、落語家たちが好んで行ったことでもないことははっきりしているということです。
このように同書では1億総国民を侵略戦争遂行に総動員するため、落語はもとより全ての文化が「自粛と協力」を強いられたと告発しています。
そして「もちろん、当時の落語家たちがこの愚行を行ったことによって戦争遂行の協力者の役割を担わされ、戦争の被害者である落語家が加害者になってしまったという歴史的事実は消すことはできない」と断罪しています。
戦後になって、「禁演落語」は復活祭が行われ、自由に演じられるようになったそうですが、一方、「国策落語」にいたっては、今日では演じる落語家はいないということです。
同書は「この愚かな歴史は、二度と戦争は起こしてはならないことを私たちに強く求めている」と結んでいます。
【出典参考】『経済』2010年10月号「随想」より
(以下略)
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桂福若なる御仁はこれら戦中における落語をめぐる状況、そして今自分がやっている落語が「国策落語」同様の時局迎合であるを知らずに「日本人の顔をしていない日本人」などとほざいてるのだったらアホそのもの、知っててやってるのなら悪質そのものであります。