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中国・唐宋の時代のチベットに「吐蕃」という王国が存在しました。日本の沖縄にもかつて「琉球国」という王国が存在しました。まずは日本人が沖縄を独立させなければ、「チベット独立!」と叫ぶ資格はありません。昔の沖縄は琉球国として独立したけれど、今は日本の領土になったのと同じように、昔のチベットも吐蕃として独立したけれど、今は中国の領土になったのです。
チベットが正式に中国の領土となったのは元の時代からです。元の時代から中華人民共和国成立前のチベットは中国の領土でしたが、政教一致の政治だったことは変わりありません。、元朝はチベットに宣政院を設置し、現地の政治と軍事などを管理しました。明の時代になると、明朝はチベットの統治権を受け継ぎ、チベットに烏斯蔵都指揮使司が設立され、当地の僧侶や貴族が都指揮使以下全ての役職に就きました。ちなみに、元朝は中国の王朝の一つです。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n191423
清の時代のチベットも中国の領土でした。雍正帝の時代、ラサに駐蔵大臣(蔵=チベット)を設置しました。乾隆帝の時代、清朝は正式に「チベット地方政府」を成立し、駐蔵大臣とダライ・ラマ、パンチェン・ラマが共同でチベットの事務を管理しました。また、「欽定蔵内善後章程二十九条」を発布しました。
この時から「チベット軍」が成立しましたが、この軍隊は国家レベルの軍隊ではなく、チベット地方政府の軍隊です。例えば、第一次国共内戦の中国では国民党の国民革命軍と共産党の中国工農紅軍が存在したというように、昔の中国は一つの国に複数の軍隊が存在したのはおかしくありませんでした。チベット軍はアメリカでいえば、州兵のような存在だったのでしょう。チベット軍の軍旗は「雪山獅子旗」を使用しました。しかし、この旗がチベットの国旗になったことは一秒もありません。また、この旗には2頭の獅子が描かれています。これは中国の想像上の動物であり、中国を象徴する動物でもあるのです。しかも、チベットに獅子はいません。この旗は「チベットは独立国」どころか、「チベットは中国領」であることを証明できますね(笑)。
チベットの貨幣は1959年までにチベット地方政府が鋳造しました。16世紀中頃のチベットはネパールが鋳造した貨幣を流通し始めました。1792年、清朝の大将軍・福康安は軍を率いて、チベットとネパールの紛争を平定しました。チベット・ネパール間の貿易紛争から逃れるため、福康安は清の朝廷に、チベットが独自で貨幣を鋳造するようにと求め、朝廷はそれを批准しました。この時から1959年のチベット騒乱までの間、チベットには独自の貨幣が流通しました。また、独自のパスポートもあったと聞きました。しかし、チベットに独自の貨幣やパスポートがあるだからといって、チベットは独立国であったというのは大間違いです。現在の香港には「香港ドル」、マカオには「マカオパタカ」という独自の貨幣が流通しており、香港とマカオにはそれぞれ独自のパスポートがあるだからといって、香港とマカオはそれぞれ独立都市国家なのでしょうか?もちろん違いますよね。香港もマカオも中国の領土です。
清朝末期、イギリスがインドを植民地にして、そうなると隣のチベットへの侵略を始めました。そのため、ダライ・ラマ13世は北京を訪れ、清朝に何とかしてほしいと頼み込んで、清朝はチベットを守るべく戦いを始めました。ところが、辛亥革命によって清朝が崩壊し、それに便乗して、成立したばかりの中華民国の軍事力が弱かったのを利用したイギリスが、主権までは奪わなくとも、日本の傀儡国家・満洲国のように、チベット政府をイギリスの傀儡政府にしようとしたわけです。1914年、チベットとイギリスが「シムラ条約」を調印しましたけれど、この条約は日満議定書のような、列強が中国のどこかに傀儡政府を設置するという条約でしょう。しかも、この条約は何の公的保護もされていなかったのは確かです。
1912年に成立した中華民国は清朝の領域を受け継いでおり、チベットは五族共和の中華民国の領土でした。中華民国は蒙蔵事務局を設置し、後に蒙蔵委員会と改称し、中国国内のモンゴル族・チベット族の行政管理をしました。1940年にはラサに中華民国蒙蔵委員会駐蔵弁事処をも設置しました。このように、当時のチベットにはイギリスの傀儡政府があったものの、中華民国の領土でした。台湾の歌手・テレサ・テンが「中華民国頌」という歌を歌ったことがあります。以下がこの歌の歌詞です。
青海的草原,一眼看不完。
喜瑪拉雅山,峰峰相連到天邊。
古聖和先賢,在這裡建家園。
風吹雨打中,聳立五千年。
中華民國!中華民國!
經得起考驗,只要黄河長江的水不斷。
中華民國!中華民國!
千秋萬世,直到永遠。
歌詞の中には「青海」と「喜瑪拉雅山」(ヒマラヤ山脈)が書かれています。それらと中華民国と何の関係があるのかと思う人がいるでしょう。青海にはチベット族が多く暮らしており、ヒマラヤ山脈はチベット自治区の近くにあります。つまり、この歌でチベットは中華民国の領土になったことがあったと証明できるのです。
一方、当時の外モンゴルは独立していませんでした。中国だけではなく、国際社会でも外モンゴル独立を認めていませんでした。1924年、中国とソ連が締結した「中ソ解決懸案大綱協定」の第5条で、ソ連政府は外モンゴルが中華民国の一部分であることを認めました。ちなみに、外モンゴルが正式に独立したのは1946年です。
中華民国臨時約法
第3条
中華民国の領土は22行省・内外モンゴル・チベット・青海である。
中華民国訓政時期約法
第1条
中華民国の領土は各省及びモンゴル、チベットである。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/zgxz/t62928.htm
http://japanese.beijingreview.com.cn/zt/txt/2008-03/23/content_109285.htm
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