ここから本文です

この知恵ノートを「知恵コレクション」に追加しました。

追加した知恵ノートはMy知恵袋の「知恵コレクション」ページで確認できます。

知恵コレクション」に登録済みです。

再登録しました。

追加に失敗しました。

ノートに戻り、もう一度やり直してください。

すでに1,000件のノートが登録されています。

新しく追加したい場合は、My知恵袋の「知恵コレクション」ページで登録されているノートを削除してください。

追加できませんでした。

ノートは削除されました。

チベットは中国の土地の一部であり中国政府はチベットを弾圧していない

ライターhfproofさん(最終更新日時:2012/8/19)投稿日:2012/8/6 アドバイス受付中!

印刷用のページを表示する

中国人民解放軍による和平解放

解放軍は1952年にチベットを和平解放をしました。しかし、ほとんどの人はそれを「チベットを侵略している」と言うのです。「解放」という意味は不自由な束縛を解いて自由にしてやる事で、「侵略」という意味は他国を侵して土地を奪う事です。全然意味が違います。また、なぜ解放軍がチベットを和平解放するのかと言うと、ダライ・ラマとパンチェン・ラマとの関係が原因です。パンチェン・ラマはダライ・ラマ法王に次ぐチベット仏教の精神的指導者の地位にあり、ダライ・ラマと共にチベット仏教の二大教主であります。歴代、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは互いに師弟関係にありました。パンチェン・ラマはタシルンポ寺の住持である為、寺院の所在地であるチベットの第二の都会ジガッツェを中心とする「ツァン」(チベット西部)地方の寺院を管理する権限を持っていました。チベット仏教寺院と世俗社会の上下関係から、ダライ・ラマの下に「カンブ庁」が設けられ、ダライ・ラマ系統からの「自治」という形でこの地域を支配しました。しかし、宗教が政治を指導する政教一致制度の特徴から、権限の配分は必ずしも明確ではありませんでした。1910年代から、独立志向が強いダライ・ラマ13世と、むしろ中国政府に親近感を抱いているパンチェン・ラマ9世との間に衝突が起こり、ダライ・ラマ側は、パンチェン・ラマのジガッツェ地方における支配権は、ダライ・ラマから授けられたものにすぎないと主張し、この地域に地方官を任命して税金を徴収し始めました。また突然パンチェン・ラマの側近を拘束した為、パンチェン・ラマ9世はチベットを脱出して、1923年に中国内地に逃れ、帰還が出来ないまま1937年に青海で死去しました。青海省で後継者が見つかったが、チベットに戻る事は出来ず、その後もチベット仏教ゲルク派六大寺の1つに数えられる青海省のクムブム寺で修行をしていました。1949年10月1日に中華人民共和国が成立すると、パンチェン・ラマ10世はすぐに毛沢東に電報を送り、「早期のチベット解放」を要請し、「チベットへ帰還する命を待つ」と伝えました。そして1952年に、すでに15歳になったパンチェン・ラマ10世は解放軍に護衛されて初めてチベットに入りました。1954年、中国政府が出資してジガッツェにパンチェン・ラマの新しい宮殿「パンチェン新宮」を作り、政教一致の権限を持つ事を認めました。パンチェン・ラマ10世も9世の伝統を受け継ぎ、中国政府と友好的関係にありました。10世はのちにチベット自治区準備委員会代理委員長に就任しました。文化大革命の時期には、全国政治協商会議の副主席の肩書きを持つパンチェン・ラマは酷い目に遭い、数年間も投獄されたにも関らず、中国中央政府に協力する立場を一貫して変えようとしませんでした。1989年にパンチェン・ラマ10世は51歳で急死しました。彼の死は、中国政府にとって大きな痛手となりました。中国政府は遺体をミイラにするや霊塔の修繕に6400万元、600kg以上の黄金、500kg以上の銀を提供しました。1996年になって、中国政府が認定した第11世パンチェン・ラマの受戒式が盛大に行われました。

チベット自治区の成立

チベットの解放後にチベット自治区が成立しました。しかし、ほとんどの人は「自治区は中国の植民地」だと言います。それを言う日本人は、日本は単一民族国家であるから、多民族国家の意識がないからでしょう。そもそも中国にはいくつかの自治区や自治県、自治州を設けていますが、それは何の為にあるのでしょうか?答えは、少数民族の領域を明確にする為です。少数民族を弾圧する為ではありません。

チベットが中国の土地の一部である理由

下の地図は、元王朝の領域で、現在のチベット自治区が元王朝の領土となっています。

元王朝の領域下の地図は、明王朝の領域で、現在のチベット自治区が明王朝の領土となっています。
明王朝の領域下の地図は、清王朝の領域で、現在のチベット自治区が清王朝の領土となっています。

清王朝の領域

このように、歴史上、中国の王朝(元朝・明朝・清朝)がチベットを直接支配した事があるからです。チベットを「直接支配」したのだから、当時はチベットは独立していませんでした。
ある人は「元朝は中国の王朝ではく、モンゴルの王朝」と言いますが、それは大間違いです。もし中国の王朝ではなかったら、中国五千年の歴史はないと同じです。中国の歴史を見ると、ほとんどは周辺の異民族です。例えば、日本は中国に遣隋使や遣唐使を送りましたが、隋朝も唐朝も漢族ではなく、鮮卑族の王朝であったのです。簡単に言うと、漢族と周辺の異民族が共同して中華文化と文明を作り上げたというという事です。元朝の首都は今の北京で、中華人民共和国の首都も北京です。また、政府所在地は故宮の近くです。北京に「胡同」があります。元朝時代に造られましたが、モンゴル風ではなく、漢風です。当時のモンゴル人は少し漢化されていたのです。また、今の中国に「省」という行政単位がありますが、それは元朝の「行省」という行政単位が基です。
さらに「清朝は満洲族の王朝であり、漢族の王朝ではない」という人もいます。清朝は確かに満洲族の王朝でしたが、ほとんど漢化されています。隋朝から約1300年も行われた中国の昔の公務員採用資格試験「科挙」が清朝も受け継いでいました。満洲八旗の軍旗や清朝の国旗、皇帝服等には、漢族の神様でもある「龍」が描かれています。また、1906年に清朝の陸軍が成立しました。その軍歌の歌詞;
於斯萬年,亞東大帝國!
山嶽縱橫獨立幟,江河漫延文明波;
四百兆民神明冑,地大物産博。
揚我黄龍帝國徽,唱我帝國歌!

1911年10月4日には中国史上最初の国歌である清朝の国歌がつくられました。その国歌の歌詞;

鞏金甌,承天幬,民物欣鳧藻,
喜同袍,清時幸遭。
真熙皞,帝國蒼穹保,
天高高,海滔滔。

このように、満洲族が使う満洲語ではなく、漢族が使う漢語が歌詞となっています。だから、元朝も清朝も中国五千年の歴史の中の王朝の1つです。そもそも、中国五千年の歴史の中で、清朝の弁髪等の異民族の文化が入ったとしても、中華文化が途切れる事はありません。
それらの中国の王朝がチベットを領有した事があるのなら、チベットは中国の土地の一部です。

中国政府によるチベット族の生活の支援

ほとんどの人は、「中国政府はチベット族をいじめや虐殺をしている」と言いますが、それは大きな間違いです。正しくは中国政府はチベット族の生活を支援しているのです。1952年、毛沢東はチベット代表団と会見した時、「清朝の皇帝や蒋介石は皆あなた方を抑制搾取していた。帝国主義も同じである。それによってあなた達の人口が減り、経済力が弱く、文化も発展出来なかった。しかし共産党は違う。あなた方を抑制搾取するのではなく、必ず民族平等を実行し、あなた方を支援して人口を増やし、経済と文化を発展させる。」というように述べました。今はそれらが少しずつ実現しています。
下の写真や解説を御覧下さい。
昔のチベットの交通

昔のチベットの交通は、このように大変不便でした。しかし…
今のチベットの交通

今は橋もできて、交通が便利になりました。




昔のチベットの用水

昔のチベット族は、水を使うのに大変不便でした。しかし…
今のチベット族の用水

今はこのように便利になりました。



昔のチベット族の住まい

昔のチベット族の生活はとても貧しかったです。しかし…
今のチベット族の住まい

今は豊かな生活を送っています。



今は西部大開発によって、チベットも含め、西部が北京や上海のように発展している最中です。このように、中国政府はチベット族も含め、少数民族を弾圧していません。

宗教(チベット仏教)

「中国政府は宗教を弾圧している」と言う人がほとんどです。でも、実際は違います。
中華人民共和国憲法第36条に「中華人民共和国の公民は宗教を信仰する自由がある。いかなる国家機構、社会団体及び個人も公民の宗教信仰または不信仰を強制してはならない。国は正常な宗教活動を保護する。いかなる人も宗教を利用して社会秩序を破壊し、公民の身体健康を損害し、国の教育制度を妨害する行動をしてはならない。宗教団体と宗教事務は外国勢力の支配を受けてはならない。」書かれています。つまり、中国政府は宗教を信じる自由を認めますが、悪い事はしていけないといっています。だからチベット仏教も含め、その他の宗教も弾圧していません。

世界遺産

第五版人民元五十元札の裏 

上の画像は、第五版人民元の五十元札の裏ですが、そこにはチベット自治区の区都ラサにあるポタラ宮が描かれています。また、その建物は世界遺産にも登録されています。中国はチベットを植民地扱いしていると言いますが、普通、世界遺産に登録したのなら、それをしっかり保護するのです。もし植民地扱いにするのなら、ポタラ宮を世界遺産に登録しないはずです。

チベット語・チベット文字

「中国政府がチベット語やチベット文字を無くそうとしている」と言われますが、本当にそうなのでしょうか?上の画像もそうですが、人民元のどのお札にも、例えば上の画像の右上に5つの文字が書かれています。それは、「中国人民銀行」という中国語のアルファベット表記・モンゴル語・チベット語・ウイグル語・チワン語です。お札にチベット語が書かれているのだから、チベット語やチベット文字を無くそうとしていません。

チベット族

第四版人民元五元札

上の画像は、第四版人民元五元札です。右の人物はチベット族です。「中国はチベット族をいじめたり漢化しようとする」等と言われますが、もしそうするのであれば、このお札に載せるわけがないし、中華人民共和国の55の少数民族の一つとして認定するわけもありません。このお札にチベット族が描かれたり、少数民族として認定をするという事は、チベット族を保護しているという事です。


補足

「清朝滅亡後、チベットは一時独立した」と言っている人は大間違いです。
下の中華民国の版図を見て下さい。
中華民国の版図地図の青い部分は中華民国の「西蔵(チベット)地方」ですが、清朝滅亡後も、中華民国時代のチベットは中国の領土でした。

アドバイス(このノートのライターへのメッセージ)を送る

このノートはどうでしたか?  いいと思ったことや、こうしたらもっとよくなるといったメッセージを送りましょう! ノートの内容やライターについて質問がある場合は、Q&Aから質問してみましょう

アドバイスを送るには、
Yahoo! JAPAN IDでのログインおよび
Yahoo!知恵袋の利用登録が必要です。

利用登録ナビへ

感想アドバイス履歴

もっと見る

このノートに関するQ&A

このノートに関するQ&Aは、まだありません。

このノートについて質問する

このノートについてライターの方に質問できます。

※ライターの方から必ず回答をいただけるとは限りません

※別ウィンドウで開きます

この知恵ノートのライター

グレード

グレード知恵ノートのグレード:1-2

hfproofさん

ピックアップ

妻のパート勤め、いくらまでな...
 はじめにパートやアルバイトの年収って、いったいいくら稼ぐ...
お尻や足の贅肉にさよなら、本...
本にできない「正しい」下半身ダイエットなぜ「本にできない...
大学生を持つ親御さん、お子さ...
お子さんも大学生になり、学費や生活費の仕送りに奔走されて...
知恵ノートを書いてみませんか?知恵ノートの書き方はこちら

知恵ノートとは?

役立つ知恵情報は、Yahoo!知恵袋公式Twitter@yahoochiebukuroをフォロー
本文はここまでです このページの先頭へ

お得情報

New!ヘパリーゼWお試しキャンペーン!
アンケートに答えてローソンで
ヘパリーゼW100mlを無料でもらおう!

その他のキャンペーン