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【一首のものがたり】

命差し出せば、償いかなう

短歌と出会って、まろやかな心を取り戻した元死刑囚・岡下香(右)。獄中の岡下に、師・光本恵子(左)は最後まで寄り添った。背景は、岡下が光本に贈った絵(中央)と、岡下の遺書

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◆罪は裁けても心までは裁けぬ

吾が心は己で裁かねばならぬ 岡下 香

 二〇〇九年九月、埼玉県所沢市の斎場で、歌誌『未来山脈』を主宰する歌人・光本恵子(68)=長野県下諏訪町=は、長い棺(ひつぎ)に納められた男の遺体と向き合っていた。顔は白い布で隠されている。

 遺体は男の死後、その遺志をくんで防衛医科大学に献体され、この日、一年半ぶりに家族らの元に戻ってきた。

 光本は棺にカサブランカの花とともに、合同歌集『未来山脈選集』を入れ、焼き場に送った。選集には、男の歌が三十七首載っている。人を欺き、あやめた男。彼が歌と出会い、まろやかな心を取り戻した最後の証しだった。

 一九八九年に東京都杉並区でアパートを経営する女性=当時(82)=から資産をだまし取って殺した上、詐欺の共犯者の男=当時(38)=も銃殺したとして、〇五年三月、元不動産ブローカー・岡下香(おかしたかおる)の死刑が確定した。光本の元に獄中から手紙が届いたのは、その前年の夏のことだ。

 「こんな私でも会員になれますか」。光本は分け隔てせず「総理でもどなたでも入会できます」と返信した。

 高裁判決後、いら立ちを静めるため、岡下は短歌総合誌『短歌現代』を買う。そこで三つの歌誌に目を留め、それぞれに手紙を出した。『未来山脈』にひかれたのは「言葉の響き」からだった。

 「明るい未来がそびえている様で(略)心が大きく動いたのです」。〇六年六月、光本への手紙でこう明かした。最終的に『未来山脈』の同人になったのは、光本の返信が最も早く、「心ある内容」だったからだという。

 宮崎信義(一九一二〜二〇〇九年)の流れをくむ『未来山脈』には、三十一文字の定型にとらわれない口語自由律の短歌を詠む歌人が集う。岡下は毎月十首を投稿し、光本の指導を受けながらメキメキと腕を上げた。「心を歌に書き留める能力がありました」と、光本は振り返る。

 歌うことは心を見つめ、反省を深めることでもある。

 <大空を切り裂くように稲妻が唸(うな)る 罪深い吾を切り裂いてはくれぬか>

 「先生、私の過去はどうしようもない生活でした。今ある立場には、全て私に非があり、現在の立場が辛(つら)いとか罪から逃れたいとか思うことはありません」。〇六年二月の手紙では、こう記した。

 獄中での小さな発見も歌になった。「最近は短歌創りが楽しいんですよ。これほど夢中になれる事、今までなかった」(〇五年十月の手紙)

 贖罪(しょくざい)の日々は、一本道だったわけではない。裁判で認定された「事実」には、納得しなかった。捜査段階で一度は女性殺害を認めたが、裁判では「気が付いたら死んでいた」と否認に転じた。一人殺害か二人殺害かは死刑の判断に影響する問題だが、最高裁は「不可解な弁解」と退けた。

 <人ひとり殺(あや)めたこの手で短歌を綴(つづ)る 侘(わ)びと願いごとの歌をつづる>

 自らの罪は、ただわびるしかない。だが「人ひとり」は、譲れない一線だった。

 それでも岡下は、一部の死刑囚のように、再審請求を出すことで執行を遅らせようとはしなかった。「いたずらに延命方法を選べば、自らの罪を償うことなく、いつまでも生きようとする卑怯(ひきょう)な自分と闘い乍(なが)ら生きることになります」(〇六年十月の手紙)

 〇四〜〇六年にかけて作った六百三十首は、六十回目の誕生日を迎えた〇六年十二月十四日、歌集『終わりの始まり』(未来山脈社)として出版された。費用は短歌の仲間のカンパなどで賄い、足りない分は光本が負担した。

 死刑執行後の献体も決まった。<執行が償いの最終儀式なら清めた心も身体も丸ごと差し出す>。そう歌った念願がかない、岡下は「やっと体が役立てる」(〇七年五月の手紙)と喜んだ。

 〇八年四月上旬、二十年来の交際相手で、死刑確定後に結婚した妻(72)が面会に訪れた時、目の下にひどいくまができていた。「本を読んだりするから」。そう言ったが、妻は「(死の瞬間が近づき)悩んでいたのでは」と気持ちを察する。「時として集中的に今日か明日かとの怯(おび)えにおそわれる」。〇八年二月の師への手紙で、執行への恐怖を明かしていた。

 だがまもなく、岡下は長い恐怖から解放される。四月十日朝、東京拘置所で刑が執行された。享年六十一。年内の執行を予想し、その年の元日に妻や師の光本らへの遺書を書き、二月下旬にはキリスト教の教誨(きょうかい)を受けていた。

 執行から三、四日して、光本の元に遺書が届いた。

 「汚れた自分がどんどん浄化されて、(略)現世での償いをする為(ため)の大きなパワーを短歌にもらいました」「先生に出会えてよかった。きれいな心で人生を締め括(くく)ることが出来ます」。文面には、感謝の言葉ばかりがつづられていた。 (敬称略)

      ◇

 「一首のものがたり」は月一回程度掲載します。 (文化部長・加古陽治)

 

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