戦争記録画:「タブー視」から積極公開へ 国立近代美術館

毎日新聞 2015年07月08日 15時00分(最終更新 07月08日 15時15分)

東京国立近代美術館に展示された戦争記録画。左から鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」と佐藤敬「クラークフィールド攻撃」=永田晶子撮影
東京国立近代美術館に展示された戦争記録画。左から鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」と佐藤敬「クラークフィールド攻撃」=永田晶子撮影

 第二次大戦中に有力画家らが戦意高揚のために制作し、戦後は長くタブー視されてきた「戦争記録画」12点が東京国立近代美術館(東京都千代田区)で公開中だ。1970年に米国が戻した153点の一部で、一回の公開点数として過去最多規模。かつては展示に慎重だったが、積極的に公開するようかじを切った。【永田晶子】

 「戦後70年の節目に戦争と人間の関係を見つめ直すきっかけになれば」。同館美術課長の蔵屋美香さんは話す。方針転換の理由について「2011年の東日本大震災も大きかった。美術は社会と切り結ばなければ、という思いを強くしました」とも話す。

 公開されているのは洋画の藤田嗣治(つぐはる)や宮本三郎、中村研一、日本画の吉岡堅二ら10人の油彩画や彩色画。戦時下の表現や男女間の争いなど幅広い「たたかい」をテーマにした所蔵作品展の中で紹介している(9月13日まで、原則月曜休館)。

 同館は保管する153点のうち、77年に代表的な50点の公開を計画した。だが、アジア諸国の対日感情に対する懸念から見送られた。元捕虜ら外国人から「過去の戦争を賛美するのか」といった苦情が寄せられ、「そうした声への配慮もあったようだ」。

 その後、展示替えごとに2、3点ずつ、年20点程度の紹介にとどまってきた。だが、12年末の展示室改装以降、多い時で7、8点を一度に展示するように。

 「大規模なテーマ展示が可能になり、関心が高まっている戦争画を基軸の一つにした。制作した画家ら関係者の大半が亡くなり、より冷静に鑑賞や分析を行う雰囲気が醸成されてきた」と蔵屋さん。

 数年前から戦争画展示に対する苦情がなくなった状況も踏まえ、展示拡大に踏み切った。

 今秋には藤田が制作した14点を初めて一挙公開する。「大作が多い戦争記録画はスペース的にも全面公開は困難。だが、解説文を付けた上で、なるたけ多くの人に見てもらう方向性が定まってきた」と話す。

 【ことば】戦争記録画

 日中戦争や太平洋戦争期に、戦争の記録保持などを目的に描かれた絵画。軍に委託された画家多数が、戦地に赴いて制作し、作品は全国を巡回する「聖戦美術展」などに出品された。1951年に連合国軍総司令部(GHQ)が一部を接収し、米国に運ばれたが70年、日本に「無期限貸与」され、事実上返還された。

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