千の証言・投稿:<シベリア抑留>妻子4人の死を知った父からのはがき=大分県別府市・三浦光子さん(80)

2015年07月08日

 シベリアに抑留されていた父から届いた捕虜用郵便はがきが、六十数年たった今も手元にあります。わずか数ミリの小さなカタカナで祖母、伯父、叔母、私、弟へと紙面をギッシリ埋めた父の思いが伝わります。

 父は旧満州の鶏寧(けいねい)という地の陸軍病院に軍属として勤めていました。第867部隊と記憶しています。ある日、私たちは他の家族の方々と一緒に病院へ集められ、その日のうちに避難が始まったのです。父は病院へ残されました。兵隊さん、看護婦さん数人に付き添われ、貨車や徒歩での逃避行。地名や村落名も全くわかりません。苦難は他の多くの方々と同じです。

 何カ月かかったのか、河原で野宿したときに仰いだ星空の美しかったことが、ただ一つ良い思い出です。弟2人と妹、母も満州の土になりました。私とすぐ下の弟は孤児院のお世話になり、引き揚げてくることができました。

 母方の祖母宅でお世話になっていたときに(父から)届いた往復はがきで、母たちが亡くなったことなどを返信したのを父が読んで、再び届いたはがきを今も大切に持っています。

 終戦時10歳でしたので、いつ満州に渡り、いつ引き揚げてきたのか不明です。

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