千の証言・投稿:<特攻隊>出撃前、壁面につづった母への感謝=大分市・梅木信子さん(84)

2015年07月08日

 「挺身(ていしん)隊」「掩体壕(えんたいごう)」。現在の中高生の何人がこの言葉を正確に読めたり、意味を知っていたりするでしょうか。中高生に限らず、20代、30代の方々に尋ねてみても、結果は変わらないかもしれません。若い世代の人たちが想像すらできない世界を私たちは生きてきたのです。

 今から70年前、「学」の文字が入った白い鉢巻き、もんぺ姿の私たち挺身隊の女子学生は、学業そっちのけで、宇佐航空隊(大分県宇佐市)の基地で戦闘機の格納庫を覆う掩体壕(敵の攻撃から守るための施設)作りや、出征兵士の家の農作業にかり出されました。

 ある日、ものすごい爆撃が航空隊めがけてなされました。慌てて防空壕に駆け込み難は逃れたのですが、やがて何とも言えない臭いが防空壕の中に流れ込んできました。後になって、爆撃で亡くなったたくさんの兵隊さんたちの亡きがらを、河原で焼いていたのだと聞きました。

 慣れない手つきで朝から晩まで、掩体壕を掘っていた14、15歳の私たち少女を気遣って、飲み物を分けてくれたり、優しく慰労してくださったりした、あの兵隊さんたちです。あちらこちらからすすり泣きの声が漏れました。

 宇佐航空隊には特攻隊員の控室もありました。掩体壕作りの傍ら、見学する機会がありました。

 その部屋の壁面いっぱいに書かれた文字は今でも忘れられません。ただただ、母への感謝の言葉が書かれているのを見たときには胸がつぶれる思いでした。今日にも明日にも飛び立つという僅かな時間に覚悟を決め、思いの一端をしたためていったのだと思うといたたまれず、涙が出ました。

 悪夢のような思い出は70年たっても、決して忘れることができません。

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