千の証言・投稿:<空襲>丘陵から見渡した大阪市街の惨状=兵庫県芦屋市・古森裕子さん
2015年07月06日
阪神間がアメリカの空爆を受けて壊滅的にやられた時のことです。その頃、私の家は東豊中(大阪府豊中市)の丘陵地にあり、当時は今のように高いビルなどの建物はなくて遠く大阪市の方まで見渡せました。
しょうい弾が線香花火のような糸をひいて、無数に街の上にふりかかっていくのが見えました。思わず私は「きれいやねー」と言いました。その時父が「今、あの下でたくさんの人が死んでいきはんねんで」と厳しい声で言いました。まだ4歳だった私ですが、70年たった今でもありありと覚えています。
恐怖の中を逃げまどい、熱くて苦しい地獄だったでしょう。