千の証言・投稿:<終戦>1年後も引き取り手のない子供たち=川崎市麻生区・相原多恵子さん(80)
2015年07月06日
手元にある1枚の写真を説明したい。撮影時・終戦翌年の昭和21(1946)年春。所・新潟県加茂市神明町の定光寺。
東京都江東区東陽小学校(当時、国民学校)の学童疎開児童23人が、引き揚げを前に先生、寮母さん、定光寺住職の奥様、お手伝いの方々と記念撮影したもの。最後の引き揚げという。
当初、お寺は100人の生徒を引き受けてくださった。お寺の名前の下に「JOKO TEMPLE」と英語で併記してあるが、これは占領下であることを示している。
東京都江東区深川などの大空襲は、昭和20(1945)年3月9日から10日にかけて、アメリカのB29爆撃機により大量に投下された焼夷(しょうい)弾で火の海となる中、10万人もが亡くなった。みんな住民であって戦闘員ではなかったのに。東陽小学校のあたりは空襲の惨禍が最もひどかった。
定光寺などのお寺で生徒を預かっていた先生がたは、情報を得るのに困難を極めたと思われる。問い合わせるべき学校も、子供たちの親の生死も分からない。親の方も、疎開している我が子を引き取りに行こうにも、わが家は灰燼(かいじん)に帰している。
しかし、その中でも生徒は引き取られて去っていく。家族が亡くなっても、復員した兄が迎えに来たりした。大空襲の日から1年たって最後の引き揚げが行われた。その中には、誰からも迎えがない生徒さんもおられたという。
戦争へと政治が動いている今、多くの国民が戦争に反対の一票を投じてほしいと切に願う。