千の証言・投稿:<戦死>あの時のお父ちゃんの目に会いたい=大阪府吹田市・藤井朝子さん(73)
2015年07月06日
兵隊服のお父ちゃん、今日は日がさしこんで暑いねえ。お父ちゃんの目は暑くても寒くても変わらないねえ。私が右へ動けば右へ、左へ動けば左へ(目を動かして)見てくれてるねえ。
昔、兵隊さんがいっぱい乗っていた列車の停車駅で、ばあちゃんと私をおんぶした母を見つけたお父ちゃんは、列車の窓から両腕いっぱい伸ばし、顔いっぱい近づけ、母に私にばあちゃんに何か語り、発車まぎわに風呂敷包みをくれたよねえ。あのまなざし。母の背でわた入りのねんねこの中、私はその時2歳。もう一度会いたいよ。ごめんねえ。お墓も建てられず親不孝。母もそちらへねえ……。
私は父母に毎日見つめられ、見守られて長生きしています。これからもずっといつまでも見つめていてね。母と共に、私も毎日見ているよ。73歳で、一人で頑張っているよ。
あの時、日本を離れたお父ちゃんはフィリピン・ネグロス島へ。その後、ばあちゃんがあのまなざしのお父ちゃんの写真を胸に抱いて、タオルで口をふさぎ声をひそめて泣いていたよ。「小次郎が戦死した!」と声をつまらせ、あのまなざしの写真の上に涙をポタポタ落としては、手で写真をなでてふいていたよ。私はまだ3、4歳ぐらいかしら。「戦死」の言葉もわからなかった。
あの時のお父ちゃんの目にもう一度この年でも会いたい、と仏壇に手を合わせて祈り、願っているよ。いつか、いっぱいの思い出をあの時の風呂敷包みで私がもって会いにゆきますわ。それまで頑張るからねえ。
孫5人です。長男は支店長で、長女は夫に先立たれ、難聴ですが働いて3人の子供がいます。私は福祉の仕事をパートでねえ。写真の目に励まされています。