千の証言・投稿:<シベリア抑留>同胞の遺骨、一刻も早く返せ=長野市・坂田雪男さん(91)

2015年07月06日

 私は19歳だった1943(昭和18)年夏、「お国の為(ため)に」と満蒙開拓団に単身入植した。食料増産に励み、翌年ハルビンで徴兵検査を受け、工兵第一乙種合格となり、終戦の年の5月、ソ満国境地帯の孫呉工兵123連隊に入隊した。

 そして、3カ月後には極寒零下30〜40度にもなるというシベリアの地に抑留され、飢えと寒さと重労働の三重苦の収容所生活を3年間送った。戦後70年を経た今でも常に思いだされるのは、伐採か炭鉱か(作業中に)、辺ぴな奥地で亡くなった仲間が、真っ裸でトラックに積まれて一冬に何回か私たちの収容所に運ばれてきたことだ。

 全くどこの誰かも分からずにソ連人の墓地の片隅に埋葬してきたが、あの同胞の親族たちにシベリアのどこで亡くなった、という訃報が届いているだろうか。

 今も沖縄や太平洋上の島々では遺骨が収集されたという記事を目にすることが有るが、シベリアの地で眠る同胞の遺骨収集が行われたという話はなかなか聞かれない。ソ連の戦後復興に強制的に従事させられて尊い命を落とした本人もさぞ残念無念な思いを抱いて死んでいっただろうが、残された家族、親族には「シベリアにて死亡」と通知する1枚の紙切れだけでは納得できないだろう。

 私たちが埋めてきた人たちの家族は、父、夫、息子がどこに葬られているのかを知らされたのだろうか。家族が遺骨をその胸に抱くまで、戦争は終わっていないのではないか。一刻も早く、極寒の地に眠る同胞の遺骨を祖国に帰してほしいものだ。

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