千の証言・投稿:<機銃掃射>汽車の座席の下で母に守られた=長野県安曇野市・川上由貴子さん(77)

2015年07月06日

 戦争を知っている子供の記憶。

 私は4歳。父の出征の時、おみやげをおねだりした。

 私は6歳。家の庭に落とされた350キロの不発爆弾(の爆発)で9人が即死した時は、防空壕(ごう)の中にいた。疎開する和歌山に行く途中で、機銃掃射に狙われた汽車の中、母の座席の下に入り守られた。疎開先で待っていたのは、食糧難と分教場でうつされるシラミだった。

 私は8歳。小さな漁港に運ばれてきた、負傷した子クジラの解体で、血の海になった風景におびえた幼い心。終戦の時は栄養失調になっていた。

 空襲警報の度に飛び込んだ防空壕が、今でも地下嫌いのトラウマとなっている私は、もうすぐ78歳だ。戦後70年の日本。戦争を知らない子供たちは幸せだ。

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