2015年7月8日

ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (後編)

悪魔は自らの名前を知られると、魔術師に服従しなければならない。

世の中には人を不安にさせる正体不明のものがある。これに名前をつけることで人は少しだけ安心する。さらに仕組みや正体を知ることで、そういう不安は人に「服従」する。例えば原因不明の熱や痛みは苦しい上に不安だが、病院で診察を受けて病名がつくと、たとえ熱や痛みがそのまま変わらなくても少しだけ安心できる。これは一般の人にとって、「病名がつく」=「原因が分かる」=「対処法がある」と思えるからだろう。(※)

精神科の診察室でも、病気ではないと判断して「病名はありません」と告げるとガッカリした表情をする人がいる。「この悩み、この辛さ、この苦しみが病気でないのなら、いったい何なんだ!?」という不安や憤りや失望があるのだろうし、「性格傾向や生活習慣の問題」とは考えたくないという心理もはたらくだろう。いずれにしろ、病名を欲しがる人は少なくない。

まるで魔術師が悪魔の名前を知って服従させようとするのと同じだ。というより、「得体の知れないものに名前をつけることで安心する」という人間の性質が、メタファー(隠喩)として悪魔と魔術師の関係になったのだろう。

ところでその逆、つまり「安心感を与えるもの」に名前をつけるとどうなるのだろうか。典型例が偽薬「プラセボ」であるが、これはあまりに広く認知されてしまっており、患者は「あなたが与えられたのはプラセボです」と言われた途端に効果を感じなくなるだろう。この「プラセボ」に巧妙な化粧を施したものがホメオパシーである。患者は「あなたが与えられたのはプラセボです」と言われても、「いいえ、そんなインチキではありません。ちゃんとホメオパシーと“名前のついた”治療です」と反論するだろうし、プラセボ効果は簡単には消えない。

同様に、ほぼ全ての代替医療において「名前をつけた」ことは意義深い。名前がなければプラセボとも言えないただのオマジナイだったものが、名前を持つことによって効力を発揮するようになったのだ。少なくとも一部の信心深い、あるいは騙されやすい人にとっては。

前後編のまとめとして思うのは、論文の著者・板村論子先生は一般精神医学で充分に多くの患者を救えるだけの人柄精神療法を身につけていらっしゃるのだから、よりによってホメオパシーなんかに手を出されなくとも……といったところである。精神医療界は、貴重な人材をあっち側にとられてしまったのだな、きっと。


※実際には原因不明の病名もたくさんあり、原因が分かっていても治療法・対処法がないことも多々ある。

<関連>
ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (前編)
プラセボ薬の凄さ



0 件のコメント:

コメントを投稿