障がい児の話をブログに書くのは果たしていいのか?よくわからない。
(だから障がい児の親カテゴリーから外しています。)
わたしは私の人生はこれからも障がい児子育てしていくのがつとめと思っているけれど
障がい児の母としての私も私の一面だし
普通にポジティブ思考でオシャレ大好きな私も私だし…
両方の私のバランスをとるのが難しいのです。
さて障がい児子育てをしていると
子育てがうまくいかないことがよくあります。
もしかしたら、うまくいっている事のほうが少ないのかもしれない…
もうヤケになってしまい
(-_-;)
母親なのに…
「ああもう、どうぞ好きにして…もう死んでくれても構わない」と時に思います。
あとからものすごく自己嫌悪にもなるし、情けなくもなる。
今日は七夕ですがバタバタしており、織姫にうっとりなどできない状態です
ふとよぎる「たら、れば…」
しかしこんな事は考えても無駄。
もし、子どもが健常だったら…とか
もし、夫の帰りが早かったらもう少し家庭がうまいことまわるのに…とか現実的に変えられない事を考えるのは時間が無駄になります。
夫の仕事が遅いのは昨日、今日の話しじゃないし…
夫が遅くまで働いてくれているから私が働かなくてもそれなりの生活もできる。
だから実現不可能なことは考えない。
でも私が思う「たら、れば」はね…
もし息子が私に今、なにを思い何を伝えたいのかがわるのなら…
そしたらもっと意思疎通ができるのに…
という「たら、れば」
願い事が叶うならこの願いを叶えておくれと…織姫よ(笑)
そしてどうにかきて子どもの気持ちをわかるようになりたいな。
子どもを理解できないのは
私の想像力の問題か?
それとも成長過程の問題か?
わからないけど、じっくり観察して
最悪なことにならないよう注意を払いたいです。
ところで、障がい児子育てブログで
10才を過ぎてから
「あー、このお母さん大丈夫かな、やり方グダグダだ」と思っていたご家庭のお子さま方が、どんどんと脱落していっています。
学校に行けなくなっているのです。
あくまでも私の自論ですが、
子どもが今やるべき事を放棄させてしまうのはよくないと。
辛そうだからしばらく様子見ようは私にはありえないです。
子どもがよくない状態に来てしまう前に
「学校はあなたの仕事!だから熱が37.5以上なければ、行かなくてはいけない場所」なのだと思わせる必要あると思っています。
これは、健常の不登校も同じ!
嫌でもやることはやる!
学校にさえ行けなくなった人が社会の一員になれると思えません。
子育てにつまづきはつきもの。
自分だけではないのだから…
子どもの楽な流れを尊重するばかりだと、危険!
この先子どもが主導権握っていくと思いますよ。
と、書きながらも
学校ってそんないいところでも、行きたい場所でもなかったわたし(笑)
なので「学校」が大切なのではなくて
自分に課されたことをやり遂げるのがたいなのだと考えます。
子どもはそれが学校。
大人は仕事
毎日やることがないってのは
案外と虚しいものですよ…