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ゆるふわいずむ

読書と文具のファンブログ。

本との新しい再会と気づけなかった出逢いの話。

新しい再会の話。

ふとしたきっかけがあって、本棚から若木未生先生の「グラスハート」シリーズを引っ張り出して読み返してます。

「グラスハート」シリーズというのは、バンドをリストラされた女の子が新しいバンドに誘われるところから始まる青春群像劇です。名作です。

 

きっかけというのはみどりの小野 (id:yutoma233)さんの記事。

夏休みの冒険者たち~ガンバと15ひきの仲間 - ミステリーをちゃんと読もう

紹介されてる斉藤敦夫先生の「冒険者たち」が、グラスハートの同タイトル「冒険者たち」の巻で出てくるのです。当時グラスハートが好きで関連本を漁った自分は、斎藤敦夫先生の本もちゃんと読みました。懐かしい。

思いついて、グラスハートの電子書籍版て出てないんだろうかと探したら、あったんですね。しかも最近!すごい偶然。

GLASS HEART グラスハート GLASS HEARTシリーズ (バーズノベルス)

GLASS HEART グラスハート GLASS HEARTシリーズ (バーズノベルス)

 

それでせっかくだしと思って電子書籍も買ったんですよ。それでね、Kindleで読んでる時にとんでもないことに気がついたのです。

 

気づけなかった出逢いの話。

以前書いて、自分でも気に入ってるのでたまに引用する記事があるのですけれど。これです。

継続という稀有な才能。 - ゆるふわいずむ

要はプロというのは、「選ばれる」というより「残る」ものなのじゃないかしら、と。割と世の中には天才と呼ばれる人は溢れていて、でもプロとして残るのはほんの一握り、その分野での才能と「継続という稀有な才能」を持ち合わせる人、みたいな。それは運に依るのかもしれないし、絶対諦めないという執着に依るのかもしれない。

これですね、自分が演劇で照明をやってた頃、やめていく役者さんたちの背中を見続けて、そんな中で少しずつ溜まった苦い経験を元に得た経験則です。

そしてそれは大学を卒業してしばらく、学生じゃない大人になってからの気づきなんですね。と、思ってた。 

GLASS HEART 熱の城 GLASS HEARTシリーズ (バーズノベルス)

GLASS HEART 熱の城 GLASS HEARTシリーズ (バーズノベルス)

 

なのに、今さっきグラスハートの「熱の城」を読んでいたら、とんでもないことに気がつきました。

「さよならカナリア」の節で、ある少女が音楽関係者に「なんでプロになるの」て聞くんですが、

「うーん、そりゃあ売り物だから売れなきゃ困るけどねぇ。プロと一口に言ってもいろんな人のやり方があるよ。でも、ぼくは、彼にはメジャーな舞台に立っていてほしいよ」

「お金になるから?」

「未来があるから」

ぼくはそう答えた。マルは、きょんとした。

「今日でおしまいじゃなく、明日も歌うっていう約束だよ」

この文章に気がついて、心臓が鷲掴みされたような衝撃でした。「プロって何?」「明日も歌うっていう約束だよ」。つまり、明日も続いてるってこと。

え、これってそのまま私が大人になってようやく気がついたことです。そして私はグラスハートを、高校か、遅くとも大学時代に読んでいた。でも覚えてなかった。あんなに好きで何度も再読したはずなのに。多分、というか確実に、子供の私には響かなかったんですね。

つまりです、青い鳥って本当に近くにいたのです。

私は気がつけなかったけれど、答えは身近に用意されていて、望めばいつでも手に入れられる距離にあった。

 

青い鳥を手に入れたものは幸いである、なぜなら青い鳥に気がつけたのだから。

私はグラスハートに子供の頃ちゃんと出会っていて、でも気がつけたのは大人になってからだった。それまでは読んでいた気になってただけだった。

ここまで書いて思ったんですが、私、「わかってたと思ったけれどわかってなかったことに気がついた」系の感動が多すぎる。これとか、

ヘッドホンから、バンド曲のドラムが初めて聞こえた日。

もう聞き慣れたはずの曲が新しく聴こえた時、自分は普段いろんなものを見逃してるんだなぁと改めて気づかされた。そのアルバムは歌詞を諳んじられるくらい聴き込んでいたのに。

あとこれも。

池上彰氏の日経新聞連載コラムと、意味づいた記号の話。

記号が熱を持って意味づく、というのかな。これまでの記号的な存在が、関連するエピソードを伴ってただの記号ではなくなったのです。

なんか、馴染みの蕎麦屋ができてた。

記号が名前になる感覚。要は今まで知ってるつもりだったものが突然見えるようになる感覚、てやつで、そういうひそやかな驚きがあったのですよその時。

どれだけ同じこと繰り返してるんですかねー!記号が名前になるとか、自分の中で意味づくとか。理解が納得になる、も近いのかな。要は青い鳥が側にいることに気がつく。

本当はここで「言葉に意味をあたえる」と言いたいんですが、そうすると最近よく引用するブログのタイトルをパクった気持ちになるので、造語で「意味熱を持つ」と言ってみます。

 

なんか蛇足かもしれないんですが、子供の頃読んだ本が大人になってから意味熱を持って、しかもこれって本という形に残る何かに残されていたからこそ辿り着けたタイムカプセル的な存在で、あぁ、本ていいなぁて思ったという話です。

でもそういえばこれも前にブログで書いてた。

電子書籍派なりに、最近本屋が楽しい話。

一期一会は人だけではなく本にも言えて、つまり、「あなたがその本と今出逢えるのは奇跡みたいな偶然」ということです。だって、あなたの人生に一番影響を与えたかもしれない本は、実はもう昭和54年に発売されていて、でも当時は需要がなくて初版で廃版になったかもしれないじゃないですか。読みたいと思った本が、あなたが本屋に立ち寄ったその日の1、2週間前に発売されていて、目立つスペースに平積みされてる可能性ってものすごく低いと思いんですね。

私って成長してないのかもしれない。

というかここら辺の「わかってたと思ったけれどわかってなかったことに気がついた」てことがすごく好きなのかもしれないと今これを書きながら実は酔っ払っているのでそろそろ自重しようと思う七夕の夜でした。七夕なのに雨とか!

きっかけをくれた、みどりの小野さん感謝ですー!

 

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