1951年(昭和26年)8月、邦画5社はGHQ(連合軍総司令部)の指令により自粛していた時代劇の製作本数規制を撤廃。これを受けた翌年から、東映は創立時の首脳陣でもあった片岡千恵蔵、市川右太衛門“両御大”主演のスター時代劇『旗本退屈男シリーズ』『水戸黄門漫遊記』などを量産、ヒットを飛ばし続けます。54年には、“東映娯楽版”と銘打たれた、中村錦之助、東千代之介、美空ひばりら若手スターを中心とする中篇映画の併映がスタート。ラジオドラマを映画化した『笛吹童子』『紅孔雀』が子供を中心に爆発的な大ヒット、全国に“錦之助・千代之介ブーム”を巻き起こします。
1955年(昭和30年)、それまで大映から借り受けていた京都撮影所の土地・建物を買収。56年9月には、京都二条城を模した城郭のパーマネント・セット「東映城」を竣工。その圧倒的な威容は、同年『赤穂浪士』『旗本退屈男 謎の決闘状』ら強力なラインナップで年間配収の最高記録を打ち立てた、東映時代劇の躍進のさまを象徴するものでした。57年には日本映画初のシネマスコープ『鳳城の花嫁』を公開、東映スコープと銘打たれ、全国52館の直営館、1600に及ぶ契約館で上映されました。
1959年(昭和34年)、テレビの普及に伴い、戦後初めて映画の年間観客動員数が前年を割り込みます。その逆風の中、前年に設立された「東映テレビ映画」を「第二東映」と改称し、1社による“2系統2本立て配給”を開始。近衛十四郎、品川隆二、山城新伍らフレッシュなスター、工藤栄一ら次世代を担う多くの監督ら多くの人材を輩出します。
1961年(昭和36年)、内田吐夢監督『宮本武蔵』5部作がスタート(65年まで)。斜陽と叫ばれ始めた日本映画界にあって、この大作を以って映画の真髄を示さんとする力作で、数ある宮本武蔵ものの決定版となりました。しかし観客の時代劇離れに歯止めはかからず、63年の『十三人の刺客』、『武士道残酷物語』などリアリズム・集団抗争時代劇が最後の光芒を放ちますが、時代劇の主戦場はテレビへと移行していくことになります。
1975年(昭和50年)、京都撮影所のオープンセットの一角を開放したテーマパーク「東映太秦映画村」がオープン。時代劇の灯を消すな、という京都の映画人の情熱は、78年、12年ぶりの大型時代劇となる『柳生一族の陰謀』、続く『赤穂城断絶(78年)』『真田幸村の謀略(79年)』のヒットにつながります。
時代劇で培われた撮影・照明・録音・美術・衣裳・結髪等の技術は、その後も超大作映画『男たちの大和/YAMATO(2005年)』を生み出すほか、近年の時代劇ブームを作った多くの他社作品の制作を務めるなど、内外から高い評価を得ています。
時代劇スター
片岡千恵蔵
1903年群馬県生まれ。戦前からの大スターで、東映時代劇の礎を築いたひとり。遠山の金さん、大石内蔵助、清水次郎長、『大菩薩峠』の机龍之助などを当たり役とする。
市川右太衛門
1907年大阪府生まれ。戦前からの大スター。片岡千恵蔵とともに東映時代劇の礎を築いた。数多い主演作品のなかでも『旗本退屈男』シリーズは極めつけで、戦前からの作品を含めると30作になる。
大友柳太朗
1912年山口県生まれ。新国劇の俳優から映画界入りし、'37年『青空浪士』でデビュー。'50年から東映専属。腕っ節は強いが、女に弱い役柄を得意とし、『丹下左膳』『右門捕物帖』『怪傑黒頭巾』シリーズで人気を博す。
月形龍之介
1902年宮城県生まれ。渋い芸風で知られる戦前・戦後を通じての名優。東映草創期に片岡千恵蔵らとともに活躍しながら後進の指導につとめる。『水戸黄門漫遊記』の黄門役は持ち役となり、14作に及ぶ。
東千代之介
1926年東京都生まれ。日本舞踊の師匠をしていたが、'54年『雪之丞変化』で映画デビュー。中村錦之介と共演した『笛吹童子』『紅孔雀』で人気を博し、スターの地位を確立。端正なマスクと踊りで培ったきれいな身のこなしが特長。
萬屋錦之介[中村錦之助]
1932年東京都生まれ。父は歌舞伎の三世中村時蔵。'54年『笛吹童子』と'55年『紅孔雀』で一気に人気大スターに。『親鸞』『武士道残酷物語』などで演技派俳優へと脱皮する。'78年『柳生一族の陰謀』では時代劇スターとしての貫禄を披露した。
大川橋蔵
1929年東京都生まれ。'55年歌舞伎界より転身し、『笛吹若武者』でデビュー。『若さま侍捕物帖』『新吾十番勝負』シリーズで見せた爽やかな男の色気と美剣士ぶりが女性に人気を呼ぶ。'65年テレビ界に進出、第一作『銭形平次』が大ヒット、888回の長寿番組となった。
1957年(昭和32年)、東映・日本短波放送などが共同で進めてきた「日本教育テレビ(NET)」が発足。59年の放送開始を前に、58年、番組供給の為「東映テレビ・プロダクション」を設立。同年12月、『風小僧(主演・目黒祐樹)』がテレビ時代劇の第一号として、西日本テレビで、続いて59年にNETで放送され、好評を得ます。翌60年には『白馬童子(主演・山城新伍)』が続けて高視聴率をあげました。
1964年(昭和39年)、拡大するテレビ番組需要に応え、時代劇テレビ映画を制作する「東映京都テレビ・プロ」を設立。第二東映のスター、品川隆二を主演に『忍びの者』がNETで放送、好評を博します。
1965年(昭和40年)、テレビ受信機の世帯普及率が80%を超え、時代劇は本格的にテレビへ進出。片岡千恵蔵ら銀幕の大スターがテレビ局制作の“生ドラマ”に出演する一方、京都撮影所からは『新選組血風録(主演・栗塚旭)』『素浪人月影兵庫(主演・近衛十四郎)』(いずれもNETで放映)ら、低予算ながらも魅力溢れる新世代のスターを擁した、テレビ時代劇ならではの傑作が生まれます。66年には、大川橋蔵主演『銭形平次』がフジテレビで放映開始。東映時代劇の黄金期を支えた正統派のスターが、はじめて民放の連続ドラマに登場するということで大好評を博し、以来放映終了まで足掛け19年、放送回数888回の大記録を打ち立てるヒット番組となります。
1967年(昭和42年)、『仮面の忍者 赤影』が関西テレビで放送。初のカラー特撮時代物として子供たちの人気を博します。カラー化はまた、絢爛豪華な画面つくりの需要を生み、関西テレビ制作『大奥(68年)』など、東映京都が時代劇映画で使用した、数々の衣裳がテレビの画面を飾りました。また『旅がらすくれないお仙(主演・松山容子 68年 NET)』などの女性時代劇もブームになりました。
1969年(昭和44年)、当時は悪役のイメージが強かった東野英治郎を主役に抜擢した『水戸黄門』がTBSで放送開始。42年間という、驚異的な長寿番組となりました。その後、70年には『大岡越前(主演・加藤剛 TBS)』『遠山の金さん捕物帳(主演・中村梅之介 NET)』、76年『桃太郎侍(主演・高橋英樹 日本テレビ)』、78年『吉宗評判記・暴れん坊将軍(主演・松平健 テレビ朝日)』、87年『三匹が斬る!(主演・高橋英樹 テレビ朝日)』、90年『お江戸捕物日記 照姫七変化(主演・沢口靖子 フジ)』、2000年『八丁堀の七人(主演・片岡鶴太郎 テレビ朝日)』など、お茶の間の人気者が次々と産みだされます。
1978年(昭和53年)、前年にヒットした時代劇映画をテレビ化した『柳生一族の陰謀(主演・千葉真一 KTV)』がスタート、真田広之ら若手アクションスターを擁したテレビ時代劇活劇という新境地を開拓します。時代劇復興の波は、フジテレビでの2時間枠『時代劇スペシャル(81年)』を生み出し、大川橋蔵主演『沓掛時次郎
この愛に命をかけた流れ旅』から、84年までに40本を越える作品が放送されました。
1985年(昭和60年)正月には、テレビ東京で“12時間一挙放送”された超大型時代劇『風雲柳生武芸帳(主演・北大路欣也 テレビ東京)』を制作。以来正月番組に欠かせない定番として多数の放送局で放送され、近年でも2010年『柳生武芸帳(主演・反町隆史 テレビ東京)』などが放送されています。