水木しげる「人を土くれにする時代だ」 出征直前の手記で語った戦争への思い
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 7月7日(火)7時1分配信
残酷な現実を前に水木青年は煩悶を繰り返す。
《一切の自分ていふものを捨てるのだ。》
しかしその後に自分の言葉を否定する。
《吾は死に面するとも、理想を持ちつづけん。吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する。》
芸術を志しながらも救いを仏教や基督教に求め、また哲学が芸術を支える杖となるのかと悩む。
《吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。》
《俺は画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。》
かと思えば
《前に哲学者になるやうな絵描きになるやうな事を書いたが、あれは自分で自分をあざむくつもりに違ひない。哲学者は世界を虚空だと言ふ。画家は、深遠で手ごたへがあると言ふ。(中略)之ぢや自分が二つにさけねば解決はつくまい。》
当時の水木さんは哲学書や宗教書を読みあさっていたようだ。漱石やゲーテ、ニーチェの言葉を引用しながら、自身の揺れる心境を綴っている。絵に対する情熱や才能を確信しながらも、荒波のような時代のなかで何を信じてゆけばよいのか苦悩する姿が、現実味をもって感じられる。手記を読んだ誰もが自分の青年時代を思い起こさずにはいられないだろう。
《時は権力の時代だ。(中略)こんな時代に自己なんて言ふ小さいものは問題にならぬ。希望だ理想だ、そんなものは旧時代のものだ。(中略)時代に順ずるものが幸福だ。現実をみよ。個人の理想何んて言ふものは、いれられるものではない。恐ろしい時代だ、四方八方に死が活躍する。こんな時代には個人に死んでしまふ事だ。》
後に水木さんの所属した部隊はニューブリテン島聖ジョージ岬で圧倒的な米軍の戦力を前にし、玉砕を命じられる。その悲劇を描いた『総員玉砕せよ!』で戦争のなかで個人が虫けらのように扱われ、日本軍の美学や信条を支えるための無謀な突撃により、犬死にを果たす一般兵の姿が描かれる。
そんな状況のなかでも水木さんを勇気づけ、生へと導いたのは絵画への情熱だったのかもしれない。
《私の心の底には絵が救つてくれるかもしれないと言ふ心が常にある。私には本当の絶望と言ふものはない。》
《唯心細さと不安の中に呼吸をする。なにくそなにくそどんなに心細ても、どんなに不安でも己の道を進むぞ。四囲の囲ひを破るのだ。馬鹿、馬鹿たれ、馬鹿野郎。(中略)黙れ、黙れ、吾が道を進むのぢや。己の道を造るのだ。》
《生は苦だと言ふ事。明白に知る事が必要だ。生ある限りは戦である。休息は死だ。本当に死程幸なものはないだらう。(中略)生とは活動である。死とは休止である。生ある限り戦ふ事だ。》
この力強い言葉の数々。生きて戦う努力を放棄せず、生ある限り己の信じた道を進むのだという、水木青年の決意が伝わってくる。
今回手記を掲載した「新潮」の矢野優編集長は手記の意義や価値についてこう語る。
「一読して、震えるような感銘を覚えました。後の国民的漫画家が、戦争の残酷さと迫り来る死にいかに苦悩し、どのような思いで戦地に向かったのか。この血のにじむような言葉は一級の歴史的資料であるのみならず、戦争をめぐる『表現』として、高い文学的価値があると確信します。現代のすべての日本人、とりわけ若い方々に読んでいただきたいと願います。」
戦時下の日本で一人の若き芸術家が何を感じていたのか、その生々しい言葉は戦後70年を迎える日本においてもまったく色を失わず、切実な魂の叫びとして私たちの心を揺さぶる。
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