日記 その1  

2月8日(土) 

今日からハンドブックを片手にホームページを作り始めています。なんだか、ドキドキしながらやっています。また、今日は二人のメールが届きとてもうれしいでした。
神父様は忙しそうです。こまっちゃたなあ〜

2月9日(日) 

今日は日曜日。本原教会のミサに行きました。神父様のお説教で特に響いたところがありました。
それは、「どんな名医や名看護婦がいたとしても、罪という病気は治せない。神さまだけがこの病気を治せます。それも、人の弱さの中に神さまの力が働くからです。神さまとの接点はこの人の弱さなのです。」と言うことでした。
聖パウロが「私は喜んで自分の弱さを誇ります。私は弱いときこそ強いからです。」といったように、自分の弱さを知っている時,神さまとの出会いを求めます。しかし、自分でいっぱいの時は神さまの必要もないのです。
そして、祈りの時、私は「神さまの手のぬくもり」を感じました。福音の「イエスは手を取って起された」という部分です。「神さまの手」のぬくもり(愛)は神さまの手を通して私の中に入っていきます。そして、私の中からは神さまに反するもの(罪)がイエスの手を通して出て行き清められ、赦されるのです。不思議な通路が感じられました。
一番確かな「神さま(イエスさま)の手」を感じたのは、私が一番苦しい、つらい時でした。その時「共にいてくださる神さまの愛(emmanuela)」を洗礼名にいただいていたことが大きな力でした。

2月10日(月)  

今日は嬉しいメールが届いていました。大先生から「パチパチ」と拍手をいただいたからです。光栄の行ったり来たりです。(礼)
さて、今、本原教会に「釜ヶ崎の越冬セミナー」で一緒になったオーストラリア人の学生さんが一週間滞在しています。毎日6時のミサの後話をちょっとしていますが、昨日彼が言うことには「この長崎は僕は好きです。マリアさまが本当に愛されていると感じます。」と。それを聞いて「すごい感じ方だなあ」と驚きました。とても嬉しいことでした。
これも昨日になりますが、大先生の声のお説教を聴くことができました。要点がはっきりしていて聞きやすいのと、そして、実行しやすいので、「生活と信仰が一体化」していることに神父様の生き方を見るようでした。そして、教会の人々への「愛」とイエスさまへの「愛」がその雰囲気を通して感じられたのはさらに私の喜びとなりました。
声の説教はいいですね。感謝!
そこで感謝のプレゼントです。召し上がってください。
初めて、一回聞いて感激しているのですから、最後まで聞くうちに何回感激するでしょう!!
そして、老人ホームの信者さん(30年間寝たっきり)に聞かせてあげようと思いました。きっと、感激されるでしょう。
今日はいい天気。
神父様はダイエットの運動に出かけておられるかな?

今日は赤鬼さんをこんなふうに怒らせてしまいました。私の説明不足のためです。“ごめんなさい”

2月11日(火)  かなのか分かりません

一日ベットの中で「う〜ん、う〜ん」と。モグラのように布団の中に入っていたのでお天気さえもわかりません。こんな時は何も食べられないので困ります。何しろ、“しよう”と思うとそれをやらないと気がすまない方ですから。
エンマヌエラ 今日は ゆっくり おやすみ”という声を聞きながら・・・
決してさんのせいではありませんので、ご安心下さい。

2月12日(水)  

今日は晴れ“青い空にお日様があるから晴れ”と晴佐久神父様がおっしゃていました。まぶしい太陽を眺めながら、昨日と違った新しい“いのち”を感じました。ちょっとしんどいけど、大丈夫。
神父様の今年のお説教も全部聞きましたよ。聞きながら、すごいなあ・・そういう観点からも見れるなあ・・・と違った光をいただきました。
それが私の「心の糧」となり、嬉しいでした。
神さまに感謝!と賛美!   

2月13日(木)

「少し元気が出てきました。」というのが分かるのは・・・?いたずらを始めたからです。
大先生は研修中!
何かとお世話になっているのだから、お祈りしていますよ。「風」が吹くように!
今日の朗読で思い出したのは、「釜ヶ崎のセミナー」での3日間のミサでした。
それは、“特別”と言って
日本キリスト教団の牧師さんもご聖体を拝領されたのでした。
まさに、パン屑ですよね。
3日目にこの方は
「ぼくにもマザーテレサがご聖体が一日の糧、力であることが少し分かりました」
おっしゃったことでした。
一日目に「ふるさとの家」のH神父様は「労働者のミサ」をされ、「ここに集っている皆にご聖体を差し上げたいと思いますが、もし、いやだと思う方は申し出てください」と言ってご聖体(食パンの耳を落とし、小さく四角に切ったもの)を配られ御血に浸していただきました。決して、子犬にやっておられるのではありません。
しかし、他の神父様方もあずかっておられましたが、「あれは、やばいよね」と首をかしげておられました。
2・3日目は、「旅路の里」のH神父様(イエズス会)の司式でした。牧師さんが「拝領出来ますか」と聞かれると「この“釜”ではそんなの関係ないですよ。だいたいこんなことに縛られるのがおかしいのとちゃいますか」
と答えられました。イエスさまも同じでしょう。
時々、ファリザイ的見方の自分が恥ずかしくなります。
“信仰を増してください!”

2月14日(金)   かな?

やっと、お腹に力が入ってきました。もう、大丈夫。
今日は休みの日、そして共同体でミサがある日です。私たちの共同体の使徒職には、教会が3つあるので日曜日がお休みではありません。本原教会の神父様が来てくださいます。8時10分からなので、ぎりぎりの7時45分まで休んでいました。
すると、神父様からのメールは私のぎりぎりの時間とほぼ同じ頃で、もうすでに仕事にはいっておられたのだなあーと感心しました。

午前中は「使徒的考察」があり、叫びをあげることさえできず、結局死を選んだ人のことを取り上げました。そこで、早速午後はイエスさまと一緒にイエスさまを携えて(神父様が下さったCDをテープに入れて)「滝下さん」の所へ持って行きました。この方も叫びがあげられない一人のように思えたからです。まだまだ、叫びがあげられない人を見つけたので、電話をし、神父様のお説教を送る約束をしたというわけです。


よしよし、今日はよく仕事をしたね。
イエスさまの声が聞こえました。


2月15日(土) 

朝から3人のメール仲間に神父様のホームページを紹介しました。

今日の福音で、「人里はなれた・・・」という箇所で神父様のことと重なりました。「長崎から少し離れた田舎(?)で・・・」と。弟子達がパンを配る行為は,今「インターネット」だとおもいました。そこで養われた人々は約400人?(5000人にそのうちなることでしょう)すごいですね。

本原教会ではK神父様のミサでした。いつも、聖変化の時、御体と御血を掲げられる時「長いなあ」と思っていた私でしたが、今日は特別に福音と重なり、「イエスさまの感謝の祈り」を感じました。その一瞬の静止(5秒位)の中に「御父と御子と聖霊のダイナミックないのち」を感じました。
その神さまのいのちを私たちは戴いているのですね。
まだまだ、感謝の足りない私です。

今日は記念すべき日です。「ホームページ」の日記が、丁度一週間になりました。
すご〜い。
“でも・・・いつまでつづくかな?・・・”
(赤鬼さんも意地悪ですね)

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