男女二人組。
「わたしたちが聖書で学んだことを発表して勉強してるのですが、
聖書を読んだことがあるか?とか
教会に通ったことがあるか?とか
『天の父よ』と祈りなさいと祈り方を教えたんですね』
とか聖句の引用を次々始める。
まあ聞いてみることに。
ということは、『父』なる神の他に、
私にかたどった男と女なわけなので、
受けるのに、この父なる神だけでなく、母なる神について
学ばないといけないといけないということなんです」
等々。
要するに、「母なる神は『うちの教会にいる○○様なのです」
とか言いたいのだろう。
「今の説明がよく分からないんですが、天から下りるというときに
上に指さしてましたけれど、何故、文字通りに、空から降ってくるように
決めつけてるんですか? これは、言葉ではこう記述してはあるけれど、
文字は暗示であった、額面通りとは限らないですよね?」
ここにこのように書いてあることは確かなんですよ」
「いやそういうことではなく、言いたいことはですね、
具体的に再臨について記述しているとは限らないんじゃないですか?って
納得がいかないですね」
「でも、創世記には(略)」
2分どころか10分くらいは経っただろうか。
「たしかに言ってる箇所だけを繋ぎ合せて読むとそう考えてもおかしくないですよ。
父なる神しか解明されていなかった』のに、今この時期に
母なる神が解明され、そして、何故今学ぶときが与えられたと
考えてるのかがよく分からないです」
(聖句で応酬してきたのに、唯一ここだけはでてこなかった)
「それはどこですか?預言書ですか?」
「預言書にもあります。(ここで急に話を変え)
でも、これまでも父なる神を信じてるんですよね?
そうです。でも、命が与えられたものはそうではない。
でも、実際のエルサレム神殿はA.D.70年に滅亡したじゃないですか。
でも、教会が母であるなら、母が『天のエルサレム』を目指すというのは
おかしいですよね?」
「そういう『実は父だけじゃなく母もいる』だとか、
そんなふうにまで深く追究したいとは思ってるわけではないんですよ。
『ただ、心の中で神という創造主がいて、愛されていると信じて受け容れて』、
それだけでいいと思ってるんです」
「じゃあ聖書に興味ないんですね?」
「何でそう極端になるんですか?そうは言ってないですよ」
「でも、ガラテアには(略)」
「その、三段論法のような聖句の引用の仕方が、極端だって言ってるんです」
「でも、これは神が」
「あのですね、さっきから黙って聞いてたら『でも』『でも』と
「でも、実際聖書には」
「だ・か・ら、今もまた、『でも』って言いましたよね?言いました・よ・ね?」
ここでこれまで黙ってうなづくだけでサポート(先輩コーチ?)していた女性が
初めて口を開く。
急におしかけて、ちょっと怒られたら、逆ギレして、「わたしは悪くない」主張。
これってイメージダウンになってるのに気付いてないの?
「別に、二人のことを否定したいわけでも、応援したいわけでもないですよ。
色んな考え方やあっても、それをこうやって誰かに聞かせるのも悪くないと
思ってる。興味がないわけではないし、そういう新しいことを知るのも
なのに、自分の主張ばかりして『でも』『でも』ばっかり言って、
指摘されても、お詫びのひとつも言えないんだったら、
せっかく一所懸命伝えたいても、伝わらないどころか逆効果じゃないんですか?」
余計なおせっかいとは思ったが、自分と同じように不快にかんじる人を増やすのも、
彼らが同じことを繰り返すのも、ここで終わりにできたらという期待があった。
女性は答えた。
「わかりました。興味ないってことですね。それでは、失礼します」
自分の思い通りに相手の心が動かなかったとみるや、
さっさと去って行った。
しかし、
うーん、相手の心を動かそうと思ったのは、
自分も一緒か。
おまえ暇なんだなあ 「わたしたちがラブライブで学んだことを発表して勉強してるのですが、 2分ほどいいですか?」 でも付き合ってくれそう
何かで、飛び込み営業で成績上げるコツは、買ってくれない家で長々と粘らないことって読んだ