ラマダンとは「日の出から日没の間は断食をする」という儀式で、これが4週間近く続けられる。
イスラム教徒は広範囲に広がっているので、ラマダンが行われる場所は広い。
中東は言うに及ばず、東南アジアでもマレーシア、インドネシア、ブルネイ等のイスラム国家、さらにはシンガポールやタイ南部のイスラム教徒まで、ほぼすべてがこのラマダンの儀式を取り入れている。
ラマダンの時期は多くの国で労働時間が短縮され、店も早く終わる。
もちろん「魂の浄化」の意味があるので、娯楽的なものも自粛され、パーティー、音楽、バーなどもイスラム国家では、ほぼ閉店状態になる。喫煙も禁止だ。
ほとんどのイスラム教徒はそれを守ろうとする
イスラム教徒にとって重要な儀式であるラマダンだが、どこの国でも、非常に厳格に守っている人もいれば、そうでない人もいるようだ。
私は、たまたまラマダンの時期にインドネシアのビンタン島に訪れていたことがあった。その時、イスラム教徒のドライバーと行動を共にしたが、彼は目的地に着くなりビールをうまそうに飲んでいた。
イスラム教徒はアルコールも禁止なのだが、ビンタン島はシンガポール人が多いので、ビールが普通に出回っている。
ラマダンのときにビールを飲むのだから、不信心極まりない男ではあった。
しかし、この男がイスラム教を何とも思っていないのかと言えばそうでもなく、モスク(イスラム寺院)では敬虔なる信徒として神にひれ伏すお祈りをしている。
ラマダンの儀式をどのように守るかは、本人の意思に任されている。ほとんどのイスラム教徒はそれを無視することはなく、努力をするという方向で一致している。
日の出から日没まで何も食べないというのは、正確には「断食」ではない。しかし、修行僧ではなく一般人にとっては、断食にも等しい行為ではある。
面白いことに、宗教儀式に「断食」を取り入れているのは、イスラム教だけでない。
ヒンドゥー教も、ジャイナ教も、ゾロアスター教も、シーク教も、ユダヤ教徒も、仏教も、みんな「断食」を教義の中に取り入れている。
キリスト教は儀式としての断食は行われていないが、イエス・キリストは新約聖書の中ではしばしば「断食」を行っており、やはりそれが神に近づく行為であると認識されている。
東南アジア最大のイスラム人口を抱えているのがインドネシアだ。インドネシアでも約2億人がラマダンに入る。
なぜ宗教に断食という行為が重要なのだろうか?
この中で、ジャイナ教は禁欲主義の宗教として非常に有名で、教義の中にも断食は神聖なる行為として扱われている。
ジャイナ教では、最も崇高な死は「断食死」であると言われている。ジャイナ教の始祖はマハーヴィーラだが、このマハーヴィーラも最後は「断食死」している。
ジャイナ教はヒンドゥー教にも大きな影響を与えた宗教なので、ヒンドゥー教もまた断食がしばしば行われる。ヒンドゥー教の影響下から生まれた仏教もまた然り。
多くの宗教は、ごく自然に「断食」という行為を取り入れる。それにしても、なぜ宗教に断食が重要なのだろうか。
興味深いのは、断食が「神に近づく行為である」と、多くの宗教で認識されていることだ。では、なぜ断食が神に近づく行為として認識されるのか。
もちろんこれには様々な解釈があって一様ではないのだが、一番すんなりと納得できるのは、それは断食と死が密接に関わり合っているからだというものだ。
誰でも知っていることだが、断食という行為の先には「死」が待っている。
死は一度しかない。そして、一度死んだら二度と現世に戻って来られない。死は、私たちの誰もが未知の領域なのである。
だからこそ、断食によって死に近づくというのは、つまり神の領域に近づくということであると認識される。
断食が多くの宗教で崇高な行為であると言われているのは、その先に死が待っているからなのだ。そういった意味で、空腹に耐えるというのは、死を予感させる行為であり、神に近づく行為であると認識させられる。
ジャイナ教の女性。ジャイナ教は禁欲主義の宗教として非常に有名で、教義の中にも断食は非常に重要な行為として扱われている。
苦行には「神に近づく」以外に別の効果もある
あなたは断食をしたことがあるだろうか。
病気で食べられなかったとか、何らかの精神的ショックで食べられなかったというのは別にして、自分の意思で断食をするというのは強い意思の力がいる。
それはまさに苦行である。しかし、その苦行には「神に近づく」以外に別の効果もある。
断食は、飽食に明け暮れる現代人にとっては内臓を休め、余分な脂肪を捨て、体内の毒物や老廃物を排出する効果的な方法であるとも言われているのだ。
特に体内の毒素を排出する解毒(デトックス)効果は著しいと言われており、これによって断食明けは身体の抵抗力が増すことが知られている。
宗教儀式ではなく、健康のための断食を行ったことがある人は日本でも多い。断食は支持されている。
こうした健康目的の断食は、3日から1週間のものが多い。中には2週間に渡って断食をする人もいるという。
断食は、自ら進んで飢餓に入ることだから、見よう見まねですると、健康になるどころか、それこそ死に直結してしまうような行為でもある。
拒食症は「断食」の悪例だが、これが行き過ぎると健康を害して最後には衰弱死が待っている。(拒食症を引き起こす女性の深層心理に何が隠れているのか)
しかし、それをうまく取り入れている人は、断食をしながら健康になれるという一面もあるようだ。意思が強く、自己管理ができる人だけに許された健康法と言えるかもしれない。
仏教にもしばしば断食は取り入れられる。断食によって死に近づくというのは、つまり神の領域に近づくということであると認識される。
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