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大河さん 結局 ブログでも 明快な回答には なっておりません。
また あちらのブログにてコメントは書きません。
二度手間になる可能性も否めませんから・・・
>>まず、「相貌・そうみょう」と、書いたはずです。
>>その「相貌」とは、何かを学びましょうね。
http://archive.is/Jf93rより
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・・・・ですから その「相貌」に対する「本」を顕した曼荼羅と
「迹」を顕した曼荼羅を伺っているですけれど 回答を避けているでしょ
その上で もう一度伺いますが
どの御本尊を祈れば「本地難思 境地冥合」になるのでしょうか?
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【参考資料】
そう‐ぼう〔サウバウ〕【相貌】
1 顔かたち。容貌。「異様な―」
2 物事のようす。様相。「陰惨な―を呈する」
https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E8%B2%8C-553180より
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あと「本迹の違い」について、あなたは結局・・・
創価学会の公式教学ページを紹介して 回答を丸なげしていたけれど
大河さんは あのHPを読んで 本地(=仏・菩薩の本来の境地)と言う意味の理解ができたのでしょうか?
理解ができているのでしたら 公式HPでも述べられていた
本地(=仏・菩薩の本来の境地)の状態を どのように理解したのか?
分かり易いように説明していただけませんか?
>創価学会員であるならば、まずは書籍「御書の世界」を
>読みましょうね、すべてはその後ですよ。
>アマゾンでも、学会出版部門でも通販で購入できますよ。
http://archive.is/Jf93rより
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これも回答を避けたゴマカシに終始していて 対話自体が成立していない事がわかりますね
本来ならば そこに書かれていた文証を示せばよろしいだけの話じゃないでしょうか
ステルスマーケティングでもしているんですか?
>誰でも、日蓮大聖人と同じ「仏の生命」は「内在」はしていても
>涌現、つまり、事実として「ひらいて」いなければ、
>十界互具ですから、苦悩の境涯ですよ。
http://archive.is/Jf93r より
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それなら人本仏迹でも間違っていないんじゃないの
沖浦御本尊と大河御本尊や あべひ御本尊の違いを 自慢しているだけだし
出来レースを繰り広げているだけ
つか この回答自体が
今回の教義改定内容と沖浦さんの自説と 如何違うのかさっぱりで回答ができていないし
しかも この人自身が逝っちゃっているような回答に終始していて
一般の人に そうやって説明しても まったく理解しないか・・・と思われますよ
それでも あえて伺いましょうか?
あなたや あべひさんと沖浦さんを比べて どちらが幸せなんでしょうか?
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