「軍艦島」世界遺産登録に関係者複雑「興味本位で来る人と僕らの目線は違う」
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産決定から一夜明けた6日、国内各地では関係者が喜びをかみしめた。九州・山口と関連地域に含まれる長崎市の通称・軍艦島(端島)で18歳まで青春を過ごし、現在も市内に住む端島小中学校の同窓会の石川東会長(69)は、当時の島の暮らしを語った。世界遺産登録には喜びと同時に複雑な心境もあるという。
父が端島炭坑で働いていた石川さんは、5人きょうだいの長男として1945年に生まれた。5階建て鉱員社宅の自宅は6畳と4畳半の2部屋。「家族8人。せまいアパートで暮らした。20~30年前に自分の家に行った時は涙が出た」
41年に年間出炭最高記録の41万1100トンを達成した海底炭鉱の端島での採掘作業。鉱員は3交代制の24時間操業で、「父が夜中の仕事の時は終わって帰ってきたら昼は寝とるから、うるさく遊んだら怒られる。夏は毎日泳ぎに行きよった」。
大人も子供も最大の娯楽は映画。「テレビのない時代は映画しかない。『笛吹童子』とか見たなあ。当時の値段は40円。学校が連れて行く時は10円やった」。映画館はステージにもなって歌謡ショーや演芸大会が開かれることもあり、「(国民的な歌手だった)藤山一郎とか人気歌手も来たよ」と振り返った。
島内では水は貴重品。57年に対岸の三和町から6500メートルの海底送水管が敷かれて日本初の海底水道ができるまでは、水船(みずぶね)と呼ばれる給水船が1日2回来て、貯水タンクから配給された。「母が水おけを持って給水栓にくみに行っていた」
端島小中学校の同窓会は2010年に結成された。それまで端島会という炭鉱労組の集まりがあったが高齢化で解散したからだ。現在、住所が判明している名簿は1900人分。元島民は全国に散らばっている。石川さんは今秋に同窓会を開き、世界遺産登録を祝って卒業生らと一斉上陸したいと思っている。
同窓生らから映像や写真の収集を続けている。「スライドの写真集と記録映画を作るんだ。端島で育った人たちのコミュニティーのよさを伝えていこうと思っている」。会員に販売して会の活動資金の一部にするが、島の歴史を伝える貴重な記録となることは間違いない。
世界遺産登録には喜びと同時に複雑な思いもある。「うれしいことやけど、観光客の目線と僕らの目線は違うんです。廃虚ブームで興味本位で来る人と、離島で18年育った人間。僕ら最盛期に暮らしていろんなことを見たり聞いたりしてきてるから」。表面的な見方ではなく、大勢の人たちの生活があったことに思いをはせてほしい。18歳で島を出た石川さんの本籍地は今も端島にある。(角田 史生)