世界遺産に「明治日本の産業革命遺産」が登録される。戦時中に一部施設で朝鮮人労働者の徴用があったと日本が公式に言及し、韓国側も評価した。対話と交流を軌道に乗せる契機としたい。
日韓関係のさらなる悪化は何とか食い止めた。もし韓国の反対で明治の産業遺産の登録が見送られたならば、日本側の不信感は強まり韓国との文化、教育交流に深刻な影響が出たのではないか。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が登録を決めた遺産は、九州各県と山口県を中心とした二十三施設。西欧以外で最初の産業国家となり、アジア諸国のモデルになった明治期の発展が、あらためて評価された。近代史の光の部分である。
政府代表は議場で、朝鮮人労働者らについて「一九四〇年代に意思に反して連れて来られ、厳しい環境で働かされた」と述べた。政府は当初、遺産の対象期間は幕末から一九一〇年までであり、「戦時中の朝鮮人徴用と時期が異なる」と主張したが、譲歩して韓国の見解を発言に反映させた。
炭坑や製鉄所は明治以降も存続した。戦時には植民地から多数動員され、日本人とともに過酷な労働に従事したという史実は否定できない。日本側が歴史の影の部分にも言及し、「犠牲者を記憶にとどめる措置を取る」と一歩踏み込んで表明したのは、国際社会の理解を高めるのではないか。
だが、火種は依然として残る。韓国最高裁が二〇一二年、日韓基本条約に付属する協定に反して、徴用工など個人請求権は消滅していないと判断を示したため、韓国では日本企業を相手取る賠償請求訴訟が相次いでいるからだ。
日本政府が世界遺産になる施設でも厳しい環境で労働させられたと認めたことで、係争中の元徴用工の訴訟に影響を与える恐れがある。日韓条約で合意した以上、韓国政府は賠償を求める動きとは一線を画すよう望む。
遺産登録の場に、日韓は政治介入をしすぎたとの批判がユネスコ側から出ている。日韓双方はもっと早い時期から意見交換をし、対立を会議終盤まで持ち込まないよう努力すべきだった。
ユネスコは今回、朝鮮半島で四〜七世紀に栄えた国家、百済の遺跡群についても世界遺産登録を決めた。百済は当時の大和政権に漢字と仏教、儒教を伝え、技術者が渡来して寺建立や仏像づくりに携わった。古代の日韓交流が選定の理由だったことにも注目したい。
この記事を印刷する