今から17年前の長野オリンピック。
(スターターピストルの音)
(実況)スタート!弾丸スタート!勝っている!スピードスケート男子500m決勝。
(実況)清水あと50だ!清水ゴールイン!35秒59!金メダルを獲得した!スピードスケートで日本人初の金メダリストとなった清水宏保さん当時23歳。
身長162センチの小柄な体で快挙を成し遂げました。
スタンドで涙を流す母津江子さん。
その手には亡くなった宏保さんの父均さんの遺影がありました。
父均さんは宏保さんが16歳の時に亡くなります。
スピードスケートの世界に宏保さんを導いたのも父でした。
54歳という若さで亡くなったため父の人生やルーツについて聞く事ができませんでした。
番組では宏保さんに代わり家族の歴史を追いました。
浮かび上がってきたのは旧樺太サハリンへ渡った祖父篤。
極寒の地樺太でエリート銀行員として働きました。
その暮らしぶりが明らかになります。
裕福な銀行員の家に生まれた父均。
しかしその後生活は一変します。
父親の急死によって貧しい暮らしに突き落とされます。
そして父と母の…清水お願いします!息子の才能を伸ばそうと必死だった父。
(聞き手)今練習はどれぐらい走ってます?大体30キロぐらいです。
しかしその父に突然突きつけられた…最期まで息子の将来を案じていました。
この日清水宏保さんは自らの家族の歴史と初めて向き合う事になります。
宏保さんは北海道の帯広生まれ。
16歳で父を亡くしたため清水家がなぜ北海道に来たのか分からないといいます。
清水家の戸籍を遡ると祖父の代まで茨城で暮らしていた事が分かりました。
戸籍に書かれていた住所には現在も清水家がありました。
(チャイム)
(取材者)こんにちは。
よろしくお願いします。
寛さんの祖父が宏保さんの曽祖父と兄弟です。
裕福な農家だった清水家。
この家は明治2年に建てられました。
(取材者)もともと清水宏保さんとここのおうちがつながりがあるっていう事はご存じ…?地域の観音堂に清水家の記録が残されている事が分かりました。
郷土史家の平野伸生さんです。
絵馬を奉納した治右衛門は江戸時代後期を生きた宏保さんの先祖だと考えられます。
当時清水家は集落をまとめる役割でした。
そして明治38年。
後の宏保さんの祖父篤が清水家の三男として生まれます。
篤が通った…当時の成績表が見つかりました。
全ての科目において「甲」がびっしりと並んでいます。
おじゃまします。
8歳年上の篤のこんなエピソードを覚えています。
大正9年篤は茨城県湊商業学校に進学します。
学校のモットーは「世界我市場」。
すると卒業した篤が就職先に選んだのは…北海道開拓のための資金を融資する特殊銀行でした。
昭和5年篤は樺太に配属される事になります。
現在のサハリンです。
当時樺太は豊富な森林資源を利用した製紙業が盛んで好景気にわいていました。
樺太には30万人もの日本人が暮らしていました。
篤は樺太南部の都市大泊の支店に勤務します。
現在の地名はコルサコフ。
人口3万ほどの港町です。
今もその建物が当時のまま残されていました。
篤はここで計理調査を担当します。
大泊支店で一緒だった後輩の…樺太の冬の暮らしは厳しいものでした。
気温は氷点下20度を下回り積雪が2mにもなりました。
当時大泊周辺ではニシン漁が盛んになっていました。
最盛期には現在の貨幣価値で年に300億円の経済規模を誇っていました。
篤が担当する大口の顧客の中にはニシン漁の網元もいました。
戦前の樺太の経済を研究する…当時篤はよく漁師の家に招かれました。
ある網元の家で一人の女性に心を奪われます。
網元の娘石岡ミエ。
後の宏保の祖母です。
エリート銀行員と裕福な網元の娘。
縁談がすぐにまとまります。
昭和11年2人は結婚。
篤31歳ミエ27歳の時でした。
2人が暮らしたのは南畑甲66番地。
この地区に家を建て新生活を始めたと考えられます。
当時の日本家屋が残されている事が分かり訪ねてみました。
この家は100年前に建てられたといいます。
偶然通りかかったロシア正教の神父がこの家を管理していました。
部屋には大きな暖炉が残されています。
そして昭和11年。
長男均が生まれます。
後の宏保の父です。
樺太の地での裕福な暮らし。
しかしこの後波乱の日々が待ち構えていました。
長男均が誕生した翌年の昭和12年。
篤は札幌へ転勤になります。
そして拓銀の関連会社北海道土地株式会社で働き始めます。
担保として差し押さえた農地を転売する仕事でした。
開拓に失敗した農地を有効活用するための会社です。
収入は安定し裕福な暮らしを送る清水家。
当時撮られた写真では均はハンチング帽に蝶ネクタイおしゃれな洋服を着ています。
その後一家は室蘭に転勤。
均の小学校時代の同級生が当時住んでいた家を覚えています。
5人の子宝にも恵まれ一家は幸せな日々を送っていました。
ところがそんな清水家を悲劇が襲います。
まだ戦時中の…篤が39歳の若さで突然亡くなったのです。
篤のおいの家にその直後の写真が残されていました。
病院の霊安室。
憔悴しきった表情の妻ミエ。
均はこの時8歳でした。
篤のひつぎの写真も残されていました。
一家の大黒柱を失ったミエは一人で幼い子供たちを育てなければなりません。
そのため仕事を求めて引っ越す事にしました。
向かった先は十勝清水。
終戦直後十勝清水はにぎわっていました。
実はここには日本軍が保管していた大量の物資がありそれが市場に出回っていたのです。
それまで全く働いた事のなかったミエも米の運搬や縫製などの仕事をして生計を立てます。
ところがこのころ長男均の体に異変が起こります。
右足が小児まひに侵されスムーズに歩けなくなったのです。
中学校時代の同級生が当時の均の様子を覚えています。
それでも均はハンディをものともせず母を懸命に支えます。
中学校に通いながらも酒の配達や土木工事などのアルバイトに明け暮れました。
そんなある日学校でクラス写真の撮影が行われる事になります。
当時均の制服は継ぎはぎだらけでした。
それでも均は友人たちに弱音を吐かなかったといいます。
中学を卒業すると進学を諦め建設会社に就職。
土木作業員として働き始めます。
そして二十歳になるとより安定した仕事を求め当時できたばかりの自衛隊へ入隊しました。
配属先は旭川の第2師団第2施設大隊。
北海道の開発が遅れた地域の道路工事などを担当していました。
このころ均は仕事のかたわらクロスカントリースキーを始めます。
右足が不自由で走力が弱かったため上半身を徹底的に鍛えました。
均の友人で同じ自衛隊員だった吉田龍平さん。
すると競技を始めて僅か3年で北海道代表として国体の選手に選ばれたのです。
ただし登録は補欠。
そんなある日。
列車で一人の女性が均の斜め前に座りました。
そこは友人が座っていた席。
たまたま少しの間席を離れていただけでした。
均は言います。
「そこは友達が座っていてすぐに戻ってきます」。
すると女性は反論したのです。
「戻ってきたらどきますから」。
思ってもみなかった反応。
その女性こそ後に宏保の母となる佐々木津江子だったのです。
あの…宏保さんにとってもう一つの大切なルーツ。
母津江子さんの実家佐々木家。
津江子さんは現在77歳。
実家の佐々木家がもともと岩手にあった事は知っていますがなぜ北海道に渡ったのかその理由は知りません。
佐々木家はこの地で暮らす農家でした。
栽培していたのは葉たばこ。
「南部葉」と呼ばれる葉巻用のたばこでした。
南部葉は高値で取り引きされていたため耕作面積の少ない山間部では貴重な農作物でした。
しかし昭和9年宏保の祖父金松と祖母ツルエはある試練に襲われます。
凶作に見舞われ葉たばこが壊滅したのです。
更に手軽に吸える紙巻きたばこに押され葉巻の需要が落ち込んでいきます。
このころ北海道などへの出稼ぎや開拓の斡旋が盛んに行われていました。
昭和10年一家は北海道釧路への移住を決意します。
今も岩手で暮らす母津江子のいとこミエ子さんと夫忠夫さん。
当時の事を伝え聞いています。
当時の記録が北海道立文書館に残されていました。
佐々木金松さん関係の資料になります。
川上郡標茶町塘路に向かいます。
地図で言うとこことこことこのこの3筆。
この区画になります。
で現在の場所ではその木の端っこの方から向こうのあの木の生えている所までの…一家に与えられた土地はおよそ10ヘクタール。
東京ドーム2つ分の広さでした。
後の宏保の母です。
しかしそれから2年後与えられた土地の権利が取り消されています。
その後金松は帯広の保険会社に就職。
仕事は徐々に軌道に乗り生活は安定していきました。
ところが昭和23年。
金松が突然家族を捨て家を出ていったのです。
女性がいたからでした。
夫が出ていき子供3人を一人で育てる事になったツルエ。
小さな雑貨店を始め生活費を賄いました。
長女津江子も中学を卒業すると母を助けるため隣町にあった電気店に就職します。
高校進学は諦めました。
そんなある日。
津江子は列車で空席を見つけます。
そこは友人の席だと言う男性に平然と言いました。
「戻ってきたらどきますから」。
津江子さんはこの時均がどう思ったか後にこう聞いています。
それから間もなくの事。
当時津江子の兄が理髪店を営んでいました。
たまたまその日休みだった津江子が客にお茶を出しました。
すると…。
それがきっかけで均は津江子に猛烈にアタックします。
そして昭和37年2人は結婚。
均26歳津江子24歳でした。
均は自衛隊を辞め建設会社を立ち上げます。
子宝に恵まれた2人。
昭和49年には4番目の子供宏保が誕生します。
均は子供たちにしっかりとした教育を受けさせスポーツもやらせたいと考えていました。
すると3歳の宏保を次女のスピードスケートの練習に連れていった時の事です。
最初のうちリンクに寝そべって遊んでいた宏保。
それがしばらくすると…。
見よう見まねで立ち上がり滑り始めたのです。
均の友人の吉田龍平さんがたまたまその場に居合わせました。
均はすぐに宏保にもスピードスケートを習わせます。
しかし身長が低かったため背の高い子供たちにかないませんでした。
宏保にいつもこう言い聞かせました。
均は自らコーチ役を買って出ます。
こだわったのはストライド。
宏保の股関節を徹底的に柔らかくしストライドを広げ背が低いハンディを埋めようとしました。
その結果生まれたのが独特の低い姿勢のフォームでした。
均の指導はすぐに結果となって現れます。
それまで勝てなかった背の高い選手を追い抜き優勝を重ねていったのです。
しかしこのころ均の体に異変が起きていました。
病院に行くと思わぬ病名を告げられます。
胃がんでした。
宣告された余命は僅か半年。
均は激しく動揺します。
そして残された時間を宏保のために使おうと決めたのです。
学校に行く前朝5時からの2時間の練習。
そして放課後は夜9時まで宏保に付き添いました。
NHKに当時の練習の様子が残されていました。
夏場脚力を鍛えるための自転車での練習。
均は必死に声をかけます。
(聞き手)今練習はどれぐらい走ってます?大体30キロぐらいです。
闘病生活を送りながらの息子のコーチ。
病状を子供たちには悟られないようにしました。
すると余命宣告の半年が過ぎ1年また1年と過ぎていきました。
宏保は大会で連戦連勝するようになります。
北海道内では敵なしと言われるまでになりました。
しかし宏保が高校2年生の冬。
均の体はついに限界に達し入院。
余命宣告を受けてから9年の月日が流れていました。
その1か月後には宏保の大学推薦がかかった高校総体が控えていました。
入院から間もなく宏保は練習時間の合間に父を見舞いに行きます。
しかし父は宏保を追い返しました。
そして高校総体当日。
均は病室で結果を知らせる電話を待っていました。
(スターターピストルの音)行け!ラスト!来い!勝ってる?そして電話がかかってきました。
その時の父の様子を母津江子さんが日記に記していました。
「優勝したんですね…うんうんと個室で良かった…2人で声をあげて…ヒロ良かったねおめでとうおめでとう…小さいときから体が小さいからダメだダメだとみんなに言われ続けて来たのに良く頑張った…ナあ〜と又又涙男泣きに…」。
それから2週間後均は息を引き取りました。
54歳の若さでした。
うんもう…。
いやぁ…。
父均さんの死後宏保さんは無事に大学への特待生での推薦入学を果たします。
大学2年の時の事。
スイスでの世界選手権に出場する事になりました。
しかし当時遠征費の一部が自己負担。
母に負担をかけたくなかった宏保さんは参加を諦めます。
母津江子さんは夫の死後建設会社を畳んでいました。
津江子さんはしばらくして宏保さんが大会に出場しなかった本当の理由を知りました。
そして津江子さんは少しでも多くの収入を得ようと決心します。
土木作業員として昼夜を問わず工事現場に立ち続けました。
母の仕送りを受け宏保さんは海外の試合にも出場できるようになりました。
そして迎えた…スピードスケート男子500m決勝。
会場では母津江子さんが見守ります。
父均さんの写真を胸に忍ばせていました。
レディー…。
(スターターピストルの音)
(実況)勝っている勝っている!ここで来た今日もすばらしい!50通過した。
父と作り上げた低い姿勢のフォーム。
(実況)第2カーブ。
直線に入った!ブシャール追ってきたが清水あと50だ。
清水ゴールイン!35秒59。
金メダルを獲得した!
(歓声)Mr.HiroyasuShimizu!オリンピックの舞台でついに世界の頂点に立ったのです。
清水宏保さんの「ファミリーヒストリー」。
そこには逆境をばねに力強く生きた家族の歴史がありました。
ルーツをたどっていくと…いや…う〜ん…。
いろんなものを背負ってたんだなっていう。
2015/07/03(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「清水宏保〜金メダルの真実 祖父は樺太で銀行員〜」[字]
スピードスケート金メダリスト・清水宏保さんは、16歳の時に父を亡くす。そのため、北海道以前のルーツを知らない。明らかになるのは、茨城、旧樺太にいた清水家の歳月。
詳細情報
番組内容
長野オリンピックの金メダリスト・清水宏保さんは、16歳で父を亡くす。そのため、北海道以前の清水家のことを聞けなかった。明らかになる、茨城、旧樺太での清水家の日々。祖父は北海道拓殖銀行に勤めていた。しかしその後、一家を襲った悲劇。貧しい暮らしを強いられる中で、父は進学を諦め、家族を支えた。そして、自分の夢を息子に託した。それが突然の余命宣告。残された日々を、宏保さんのコーチとして全力を注いだ。
出演者
【出演】清水宏保,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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