(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!リーダーの眞鍋かをりです。
歴史を知れば旅はもっと楽しくなります。
今回も世界を旅して歴史を学んでいきましょう。
そして我が倶楽部のプランニング担当は…。
はい。
世界を旅する眞鍋さんにも喜んでもらえるプランを作りたい永松文太です。
はい。
さあ今回文太君に与えたミッションビザンツ帝国という事なんだけどどんな帝国だったのかな?古代ローマ帝国については以前見てきましたよね。
うん。
あのローマ帝国が4世紀になんと東西2つに分裂してしまうんです。
ほう。
その東側がビザンツ帝国なんです。
なるほどね。
ローマ帝国を受け継いで1,000年以上にもわたって続きました。
へえ〜1,000年も?はい。
古代ローマ帝国によって作られたヨーロッパの基盤がビザンツ帝国に引き継がれ洗練されつつ守られていったんです。
なるほどね。
ローマ帝国を引き継いでまたそれがどんどん変化していった時代という事だ。
はいそういう事です。
いや〜見たいなどんな時代か。
はい。
それでは早速私が作ったマジカル・ヒストリー・ツアーに出かけましょう。
まずは今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!訪れるのは現在のトルコやギリシアを中心とした地中海の東側の地域。
時代は…まずはトルコイスタンブルの…内部の壁にはビザンツ帝国繁栄の鍵を握る人物たちが描かれています。
そしてエジプトはシナイ山の麓にある現存する世界最古の修道院聖エカテリニ修道院。
過酷な歴史を乗り越えて修道士たちが守り続けてきたあるものとは?ローマ帝国を継承したビザンツ帝国を知る旅へさあ出かけましょう!イスタンブルの聖ソフィア聖堂は私も行った事あるんだけど周りがイスラームのモスクだらけなのにそこだけキリスト教だから何でかなって思ってたけどローマ帝国が関係してたんだね。
そうなんです。
そうだったんだ。
はい。
へえ〜。
じゃあイスタンブルになる前のコンスタンティノープル時代?どんな町だったのかちょっと歴史に興味が湧いてきたな。
はい。
それでは早速コンスタンティノープルを巡る旅に出かけましょう。
ファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
まず初めはトルコの…アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡に守られビザンツ帝国の首都として繁栄しました。
中でもひときわ威光を放つのがビザンツ建築の最高傑作といわれる…この時代に初めて作られるようになった大きな丸屋根を持つ聖堂です。
内部は多くのモザイク画で飾られています。
キリストを抱くマリアの左右にはささげものを差し出す皇帝。
実はこの皇帝こそビザンツ帝国の繁栄の鍵を握る人物でした。
一体何を行ったのでしょうか?時代を遡って…。
マジカル・ジャンプ!紀元前から地中海を中心に繁栄を極めていたローマ帝国。
3世紀ごろから東方から勢力を拡大してきたササン朝ペルシアと争うようになりました。
4世紀のローマ皇帝コンスタンティヌスはペルシアとの戦いに備え都をうつす事を決めます。
ペルシアに面した東の守りを固めるため330年都をローマからはるか東へと移動させました。
それが現在のトルコのイスタンブルです。
当時は小さな港町ビザンティウムでした。
ビザンティウムは三方を海に囲まれた天然の要害の地でした。
都の名前は皇帝の名を取ってコンスタンティヌスの町コンスタンティノープルと変えられました。
その後ローマ帝国は東西に分割され5世紀西ローマ帝国は異民族によって滅ぼされます。
残った東ローマ帝国はローマの文化やヘレニズム文化そしてキリスト教を守りながら1,000年以上にわたって続きました。
この国は後に元の港町の名前にちなんでビザンツ帝国と呼ばれるようになりました。
聖ソフィア聖堂に描かれた2人の皇帝。
向かって右側はビザンツ帝国の都を築いた…コンスタンティノープルをささげる姿が描かれているのです。
へえ〜。
あの壁画は見たけどそんな意味があったっていうのは知らなかった。
はい。
あのマリア様の右側にいた人がコンスタンティヌスだったんだね。
でもコンスタンティヌスって何か前に出てこなかったっけ?おっ。
僕が作ったプランに一回出てきたんですよ。
だよね。
ありがとうございます。
コンスタンティヌスは「ローマ帝国」の回に出てきてます。
ローマ帝国か。
コンスタンティヌスはそれまで迫害されていたキリスト教を公認した皇帝だったんです。
あっそうだった。
はい。
キリスト教はその当時人々の心の支えになってたからその力を利用して国をまとめるために使おうと思って公認したんだったよね。
はい。
そのあとキリスト教はローマ帝国の国教になってますます国をまとめる力になっていったんです。
ほう。
ところがそのキリスト教が今度は逆に対立を生むもとになってしまうんです。
え〜。
せっかくまとまったのに今度はそれが原因でもめちゃうんだ。
そうなんですよ。
何でかな?気になりますよね。
一体何が起こったのか見ていきましょう。
それではセカンド・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いてはエジプトはシナイ山の麓にある聖エカテリニ修道院。
現存する世界最古の修道院です。
コンスタンティヌスの母親が礼拝堂を寄進したのが始まりでその後今のような修道院が建てられたのは6世紀。
ここではビザンツ帝国の時代から一日も休む事なく毎朝同じように祈りがささげられています。
この聖エカテリニ修道院には6世紀に描かれたイコンキリストや聖人の肖像画が残っています。
こちらは世界最古のキリストのイコン。
この時代のイコン実はある事件が起きたためにほとんど残っていないのです。
一体何が起こったのでしょうか。
時間を遡って…。
マジカル・ジャンプ!8世紀ビザンツ帝国の皇帝はイコンを含むキリストなどの絵画や像聖像をあがめる事を禁止。
聖像崇拝禁止令を出しました。
キリストは神であり神の姿を人間のように表現するのは許されないというのがその理由でした。
更に聖像の破壊を命じ聖像破壊運動が始まります。
聖像を守ろうとする修道士たちは目を潰され手足を切断され顔を焼かれました。
西ヨーロッパで勢力を広げていた…西側には文字を読めない人が多くその人たちへの布教には聖像が必要だったのです。
聖像破壊運動によってローマ教会とコンスタンティノープルの教会は対立。
その後聖像破壊運動が終結した後も対立は続き11世紀東のギリシア正教会と西のローマ・カトリック教会とに分裂してしまいました。
今も6世紀の姿を残す聖エカテリニ修道院。
ここにも8世紀「聖像を破壊せよ」という勅令が届いていました。
しかし修道士たちは従わずイコンなど聖像を守り続けたのです。
世界最古のキリストのイコン。
このイコンはキリスト教会を東西に二分するような混乱を乗り越えてきたものだったのです。
そうか。
やっぱりキリスト教っていうとカトリックとプロテスタントに分かれてるっていうイメージがあったけどギリシア正教会っていうのもあるんだよね。
そうです。
それぞれどういう関係になっているのかな。
それについてはこちらをご覧下さい。
先ほどご覧頂いたようにローマ・カトリック教会は11世紀に枝分かれしたものです。
そしてプロテスタントはもっと後になってカトリックから分かれたものなんです。
あっそうだったんだ。
はい。
ビザンツ帝国の時代はコンスタンティノープルを中心とするギリシア正教会とローマを中心とするカトリック教会がキリスト教の二大勢力でした。
そうなんだね。
はい。
ギリシア正教はそのあとロシアなどの東ヨーロッパを中心に伝わって今も続いているんです。
そうなんだ。
じゃあこの時の変化が今のキリスト教にも影響を与えてるっていう…。
そうなんです。
そこにつながっていく訳だね。
はい。
キリスト教だけでなくほかにもローマ帝国から引き継いださまざまなものがビザンツ帝国で洗練されて伝わっていきました。
ほう。
それについて見ていきましょう。
マジカル・ヒストリー・ツアーサード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最後は再びトルコのイスタンブルに戻ります。
特に功績を残したコンスタンティヌス帝と共に描かれたもう一人の皇帝。
それは…その功績はどのようなものだったのでしょうか。
ビザンツ帝国の最盛期へ…。
マジカル・ジャンプ!5世紀ユスティニアヌスはビザンツ帝国の農民の子供として生まれました。
成長したユスティニアヌスは皇帝だった叔父の養子となりコンスタンティノープルに出て頭角を現します。
そこで出会ったのが踊り子だったテオドラでした。
当時貴族と踊り子は結婚が許されませんでした。
ユスティニアヌスは法律を変え晴れてテオドラを妻として迎えます。
その後皇帝に上り詰めたユスティニアヌス。
テオドラに支えられさまざまな業績を残しました。
古代ローマ時代から伝わる法律を初めて体系化し「ローマ法大全」を編さんしました。
これは現代にまで続くヨーロッパの法体系の基礎となりました。
またユスティニアヌスは古代ローマ帝国の栄光を取り戻そうと領土の拡大に励みます。
しかし領土拡大のための戦費は人々への負担となり民衆の不満が積もっていきました。
そしてついにコンスタンティノープルの戦車競技場で大暴動が起こります。
勝ち目がないと思ったユスティニアヌスは逃げ出そうとしました。
そんなユスティニアヌスを一喝したのはテオドラでした。
「私はいにしえの言葉が正しいと思います」。
この言葉に踏みとどまる事を決意したユスティニアヌス。
3万人ともいわれる犠牲者を出しながら反乱を鎮圧しました。
反乱を鎮圧した事でユスティニアヌスは絶対的な権力を手にしイタリア北アフリカ地域を再征服。
古代ローマ帝国の威光を取り戻します。
更にニカの乱で破壊された聖堂を再建。
現在見られる聖ソフィア聖堂はユスティニアヌスが建てたものだったのです。
ここに描かれるユスティニアヌスは聖ソフィア聖堂をささげる姿です。
ユスティニアヌスはビザンツ帝国の最盛期を作り出しローマ帝国の遺産を現代にまで伝える大きな役割を果たしました。
そっか。
私が見てきた今の聖ソフィア聖堂はユスティニアヌスが再建したものだったんだね。
そうなんです。
そっか。
でもローマ帝国の威光を取り戻すくらい勢力を広げてユスティニアヌスってやっぱりすごい人だったんだね。
そうですね。
ユスティニアヌスの「ローマ法大全」は今の日本の法律にまで影響を与えているんですよ。
日本にまで?はい。
今の日本の法律のモデルとなっているのはヨーロッパの法律ですからね。
そっか。
じゃあローマ帝国の文化が今にも残って日本にも影響を与えてるっていうのはあのユスティニアヌスさんのおかげなんだね。
そういう事です。
ここからは世界史についての深いお話をマジカル・ヒストリー倶楽部アドバイザーの先生に伺います。
大月先生よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ先生ビザンツ帝国知れば知るほど面白い時代ですよね。
そうですね。
今ご覧頂いたようにユスティニアヌスの時代っていうのもね一つの見どころなんですね。
最盛期。
その聖ソフィア聖堂にあるようにキリスト教の信仰が人々の生活の芯に入った訳ですね。
でユスティニアヌスがね聖ソフィア聖堂を建てたんですね。
何か大きな建物なんですけれど。
大きかったです。
大きいでしょ?で一人で寄進をして建てたんですよ。
一人でですか?寄進ってね要するに自分のポケットマネーで…。
え〜!建てたっていうね。
それが後のヨーロッパ世界アメリカ世界に引き継がれていった。
例えばねアメリカでみんなが使ってるパソコンの基を作ったビル・ゲイツさんって方がいるでしょ?大富豪の。
大富豪。
今や大富豪。
そのビル・ゲイツさんは今や第一線のビジネスを引退して財団を作っているんですね。
自分が作ったビジネスモデルから上がってくる収益を世界の恵まれない人たちに寄進というか再分配をするという事にこそ彼は生きがいを見いだしているんですね。
まあキリスト教的な用語でいうと慈善というんですけれどチャリティーですね。
そのチャリティーという形でユスティニアヌスもいろんな事をやっている。
じゃあ元祖なんですかね?ユスティニアヌスが。
ビル・ゲイツに受け継がれているような文化の元祖がユスティニアヌスである…というふうに理解するとまたいいかもしれませんね。
いや面白いお話でした。
先生どうもありがとうございました。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ねえ今の欧米も本当に寄付文化が根づいてますもんね。
それの源がこのビザンツ帝国で出来上がったというふうに…。
そこからつながってたんだ。
まさかでしたそれは。
やっぱり行ってみなきゃ。
めっちゃ行きたいんですよ。
ねえイスタンブル。
そしてコンスタンティノープル。
コンスタンティノープルも。
…の時代を感じたいよね。
そうですね。
うん。
2015/07/03(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ビザンツ帝国」[字]
歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。
詳細情報
番組内容
歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアー。今回訪ねるのはビザンツ帝国。4世紀にローマ帝国が分裂した後の東側の帝国だ。分裂後、西側の帝国が間もなく滅亡したのに対し、ビザンツ帝国は千年にわたって続き、古代ローマやギリシャの文化を守り伝えた。現代日本にも大きな影響を与えているビザンツ帝国の遺産とは何なのか? イスタンブルや南イタリアを訪ねてその謎に迫る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】一橋大学教授…大月康弘,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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