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【社会】

九条俳句 事なかれ 「公民館」じゃなく「偏民館」

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◆森村誠一さんもエール

 文芸作品の検閲が当たり前だった戦時中を知る作家の森村誠一氏(82)が本紙のインタビューに応じ、提訴に踏み切った「九条俳句」の作者の女性に「日本人の良識、表現の自由をめぐる戦いだ」とエールを送った。 (聞き手・谷岡聖史)

 −三橋公民館が掲載拒否を伝えた六日後の昨年七月一日、安倍内閣は集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。公民館を管轄するさいたま市教委などが「掲載拒否は妥当」とすぐ追認したのをどう見ますか。

 安倍さんの暴走は誰の目にも明らかだが「安倍さんの風に逆らってはいけない」とお役所根性で気遣った。沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事が予算要望のため上京したのに閣僚が面会を断ったことがあったでしょう。それと同じ、上への迎合だと思います。

 −市教委は掲載拒否の理由を「公民館は公平中立であるべきで、世論を二分するテーマの俳句は好ましくない」と説明しました。

 だったら、改憲派の俳句があれば載せればよい。もし改憲派が載せたくないと言えばそれは勝手です。東日本大震災では公民館が行政と被災者をつなぎ、見事に活躍しました。公民館とは本来、民の側に立って働くものなのです。ほとんど全ての公民館は憲法に忠実です。市民が詠んだ俳句の掲載を拒んだその公民館に「公民館」の名はふさわしくない。自分の立場、保身に偏った「偏民館」の事なかれ主義です。

 −市教委は「表現の自由の侵害ではない」とも主張しています。

 へ理屈もいいところ。作者は「公民館の月報で発表したい」と願っていて、市教委はその発表を阻止したじゃないですか。作者はデモを見て非常に感動して、大勢の人に読んでもらいたいと思った。どこにも悪いところはない。

 −表現の自由が制限された戦時中、好きなだけ活字を読めなかった体験が、作家の道を歩む原点になったそうですね。

 八歳から十二歳の四年間が戦争でした。あの当時、うっかりしたことは言えないから本には伏せ字が多くてね。少しでも反軍的な表現をすれば、新聞社や出版社は紙の配給を止められた。「もう戦争は嫌だ」と本音を言えば「非国民」「国賊」「売国奴」と罵倒された。七十年前、理不尽な時代からわれわれは基本的人権を奪回したんですよ。戦争を体験した日本人は表現の自由がいとも簡単に圧殺されると知っている。

 −作者や句会は掲載を求め続けています。

 作者は憲法二一条の表現の自由に則して掲載を求め、公民館は憲法九九条(公務員などの憲法尊重擁護義務)を尊重し、護憲の表現は掲載しなければならない。非常に重要な問題です。国民の表現や創作の自由が公に圧迫されたわけですから。その公民館があくまで長いものに巻かれていれば「物言えば唇寒し秋の風」。それこそ「売国奴」「国賊」の時代の再現ですよ。これは日本人の良識、表現の自由をめぐる戦いです。

<もりむら・せいいち> 1933(昭和8)年、埼玉県熊谷市生まれ。45年8月に熊谷空襲を経験。青山学院大文学部を卒業後、9年余りのホテル勤務を経て作家に。69年に「高層の死角」で江戸川乱歩賞、73年に「腐食の構造」で日本推理作家協会賞、2011年に「悪道」で吉川英治文学賞。代表作に「人間の証明」、旧日本軍731部隊の実態を描いた「悪魔の飽食」など。写真と俳句の組み合わせで日常の情景を表現する「写真俳句」の創作、普及にも取り組む。

 

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