こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
公開日朝イチで「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」(以下、AOU)を2D字幕で鑑賞した。間髪入れず昼の回で3D吹替。2回連続で観て、やっとこさこの映画の飲み込み方の糸口が掴めたような、そんな稀有な作品だった。とにかく圧倒された。それは、ストーリーや映像はもちろんながら、このマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)がついに「ここまで」来たのかと。むしろ、「ここで」折り返すのかと、どうにも感慨深くなってしまった。賛否両論はもはや当たり前だろう。
アイアンマンことトニー・スタークが作り上げたウルトロンという人工知能。暴走を始めるウルトロンは、強化人間である双子を従えアベンジャーズと対峙する。正義に対する考え方やウルトロンの開発背景など、無敵のヒーローチーム内にも信頼と主義に亀裂が入る。彼らはウルトロンの野望を挫き、再び世界を守ることができるのか?
まず、恐れずにこれだけは言っておきたい。今回のAOUの「ひとつの映画としてのクオリティ」を語るなら、MCUシリーズの中では「上の下」である。前作「アベンジャーズ」の方が構成を中心に全体の完成度は高く、昨年の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」はユニバースの枠をある種飛び越えた驚異のバランス感覚で観客を驚かせた。「キャプテン・アメリカ / ウィンター・ソルジャー」も、主人公キャプテン・アメリカの高潔さを軸に圧倒的なまでのアクションを添えた素晴らしい出来だった。それらに比べた時、AOUは決して「秀でてよく出来た映画」ではない。前作同様緻密に組まれてはいるが、これは、「これまでのMCUがやってきたこと」を根本から否定するような、それでいて多くの観客が求めていたものの斜め上を提示した作品である。だからこそ、この映画をファンとして評価するのは、非常に難しい。端的に言えば、前作は「アベンジャーズという名のヒーローチームの映画」で、今作は「アベンジャーズの映画」だ。
以下、本編のネタバレ込みで解説・レビューを書いていく。
※※※
この映画を語るにあたって、まず、映画ファンにはいつもネタにされている映画評論家・前田有一の超映画批評を取り上げたい。彼はこのAOUに35点をつけた後に、以下のように語っている。
「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」を見ていると、ヒーロー軍団のあまりの無能ぶりにうんざりするはずだ。
そもそも自分たちが作り出した人工知能が暴走し、地球をぶちこわすような大破壊戦闘を繰り広げながら、どの口で「人類を守る」などと言うのか。悲劇の英雄気分に悦に入っている場合じゃない、お前がまずやることは焼き土下座である。 だいたい、そもそもの原因はおまえたちであって、巻き込まれる庶民はたまったものではない。これじゃウルトロン(暴走した人工知能)でなくとも「元凶はアベンジャーズ」と言いたくなる。こちらの方がよほど的確な判断をしているのではないか。
相変わらず我が強くてチームがまとまらず、ぐずぐずしながらも、それでも最後は力を合わせてエイエイオー! ともりあがっているのを見ていると、おまえらいったい何と戦ってんだと空しくなってくる。いっそおまえたちがいない方が平和なんじゃないか、そんな風にすら思えてくる。
・「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」35点(100点満点中)マッチョと巨乳の無能集団
これを読んで、おそらく多くのファンが「何を言っているんだ」と思うだろう。しかし、前田有一の批評は、実はAOUの根っこに確実に触れている。ただ、向いている方向が180度逆なだけだ。
今回のアベンジャーズがやっていることは、壮大な「尻拭い」だ。アイアンマンことトニー・スタークが作ってしまったウルトロンに、常に一手遅れた形でアベンジャーズが応戦する。ハルクを操られ市街地で大規模な破壊を伴う戦いを繰り広げてしまうし、宙に浮いた街は無事隕石にはならなかったものの消滅してしまった。終始、これでもかとアベンジャーズの面々が一般市民を救出するシーンが描かれるが、冷静に考えればこの映画の中で誰一人死んでいない訳がない。ただ、それが画面に映っていないだけで、確実に「アベンジャーズによる一般市民の死」は、訪れているだろう。また、百歩譲ってそれが無かったとしても、命が助かったからそれで良いという訳ではない。トニーが基金で対応してボランティアを差し向けたからといって、それで足りる訳でもない。確実に建造物や生活は破壊されたし、怪我も病気も蔓延しただろう。彼ら一般市民が通常の生活に戻れるまで、どれくらいの期間を要するだろうか。
アベンジャーズの面々は、それを全て分かった上で、今回の戦いを乗り越えた。中盤、ホークアイことクリント・バートンの家に身を寄せたくだりで、トニーとスティーブが薪割りをしながら主義主張をぶつけ合うシーンがある。トニーはとにかく強調する。「我々は家に帰るために戦う、チームを無くすために戦うんだ」と。「アベンジャーズがなくなる」ことは、つまり「アベンジャーズでなければ対処できない驚異の消滅」であり、それが平和である、と。対してウルトロンは、「平和のためにアベンジャーズ、もとい人類を滅ぼす」という行動原理によって諸々を画策する。実はこのAOU、対するふたつの陣営の双方ともに、目的は「アベンジャーズを無くすこと」なのだ。アベンジャーズを無くすことを、アベンジャーズ自身も、ウルトロンも、求めている。だからこそ、このAOUは「アベンジャーズとは?」というこのMCUの根幹も根幹の部分を語る映画になっているのだ。
ウルトロンの行動原理も、正直なんら新しいものではない。むしろ「平和のために人類は滅ぼすべきだ」というのは、今ではもはや少々手垢がつきすぎた主張だ。日本のあらゆるアニメや特撮でも、そういった敵は無数に出てきた。ただ、今回のウルトロンが面白いのは、それがそのままアベンジャーズの是非にも繋がってくるところだ。アベンジャーズという、あまりにも強力すぎるヒーローチームは、ともすれば世界を救い、時には(今回のように)諸悪の根源になり得る。そんなアベンジャーズが「成立」していることが、果たして正しいのか? 間違っているのか? それをウルトロンは問いかけている。
だからこそ、ストーリーはアベンジャーズメンバーの人間性に踏み込んでいく。
自らの怪物性に怯えるブルース・バナーに、同じく「(不妊治療による感情的な)人間離れ」と自覚するナターシャ・ロマノフが歩み寄る。このカップルは、一見悲哀として美しいが、やっていることは傷の舐め合いであり、あれ程までに強力なハルクとブラックウィドーがイチ個人であるというギャップを醸し出している。チームの顔であるトニーは実は誰よりも臆病で、外敵の襲来に対する対抗策を考えてはそれに取り憑かれている。これは「アイアンマン3」でも描かれた葛藤だが、彼の「自分たちで守れなければ…」の選択肢は、スティーブ・ロジャースとは水と油だ。キャプテン・アメリカは眩しいまでの正義であり、それがトニーの持つ影を一層濃くする。彼に選択肢は無いに等しく、誰よりも愚直に自分と仲間を信じることで葛藤をとうに吹っ切っている。ソーは、今後のMCUで物語のメインとなっていくインフィニティ・ストーンに一番近い存在であり、だからこそ自身の溢れんばかりの力がいつ暴走してしまうか、葛藤している。
そして、今回家族の存在が明かされたホークアイが、実は誰よりも早く葛藤を乗り越えており、最も俯瞰した視点で「アベンジャーズ」を見ることができるのだ。彼だけが、ただ一人、抱えていない。すでに家族を抱えているからである。
そんなホークアイだからこそ、前田有一が批判した、そしてウルトロンが問いかける、「アベンジャーズは必要なのか?」のカウンターポジションになれる。終盤、スカーレット・ウィッチと家屋に逃げ込んだ際に、彼は彼女を諭す。「自分のせいだとか、今はそんなのはどうでもいい。戦えないなら戦わなくていい。だが、ここから外に出たなら、君もアベンジャーズだ」。つまり「アベンジャーズ」とは、「アイアンマンとキャプテン・アメリカとソーを中心としたヒーローチーム」という意味を超えた、何かなのだ。それは一種の象徴であり、存在であり、脅威であり、憧れであり、希望。「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」ことが、このAOUが踏み出した一歩であり、今後のMCUを別次元に押し上げていくのだ。
決して、一般市民の犠牲や、時に諸悪の根源となってしまうことを「是」とはしない。しかし、アベンジャーズが象徴的な何かに羽化していくために、その「存在が抱える矛盾」を見て見ぬ振りする訳にはいかないのだ。AOUは、「敵が攻めてきてヒーローが派手に大活躍して倒してイェーイ!」な映画に、いくらでもすることができた。全世界にファンがいるのだから、それは、やれば確実にウケる。みんな、アイアンマンやキャプテン・アメリカの派手な活躍が観たくてたまらないからだ。
しかし、そんな「真っ直ぐさ」や「明るさ」「明朗さ」「分かりやすさ」を、今回マーベルは意図的に避けた。サム・ライミ版「スバイダーマン」や、もっというと「X-MEN」シリーズや「ダークナイト」三部作など、「ヒーローも人間であり悩む」というトーンを半ば否定する形で、活劇的なヒーローを打ち出してきたマーベルが、このMCUフェイズ2終盤でついに針を振り戻した。世界中の観客が潜在的に求めていたであろう「分かりやすいヒーローたちの活躍」を映像的には叶えつつ、物語で否定してきた。彼らは、自分自身のこと、アベンジャーズのこと、そして「平和」とその手段について葛藤するイチ個人なのだ。
だからこそこれは、今後のMCUに向けた試金石だ。控えるはアイアンマンとキャプテン・アメリカが対峙する「シビルウォー」であり、「アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー」でついにインフィニティ・ストーンを巡る戦いは大詰めを迎えるだろう。ヒーローたちの分かりやすい明朗さ、そして「一見馬鹿馬鹿しく見えるコスチュームや要素をリアルに明るく落とし込む」というMCUが積み上げてきた「陽」の方向性に、今回のAOUは一気に影を落とした。それは今後のユニバース展開に向けた前振りであり、伏線と要素も同時に沢山散りばめている。
この「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」に、現時点で何かの評価を下すことは、私にはできない。それは今後のユニバース展開を観て、結果的に浮かび上がってくるものだろう。こんなにも素晴らしい映画でありながら、その評価を、最終的な感想を、「保留」にさせてくるなんて、MCUは本当にやってくれる。全世界で爆発的な興行成績を叩き出し、それほどに世界中にファンがいるシリーズでこれをやるのは、相当なことだ。あくなき覚悟と挑戦だ。AOUは、傑作でも駄作でもなく、長きに続くユニバースのほんの一編であり、単なる壮大な「記録」なのだ。
作品の細かな内容については、また後日別の記事で補足していきたい。
(あわせて読みたい)
・映画の宣伝が客を「切り捨てる」ということ …AOUの宣伝について
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