日本の「明治日本の産業革命遺産」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産登録で、「強制労働」という言葉を入れるかどうかは韓日外交戦の争点だった。ドイツのボンで開かれた世界遺産委員会が、当初4日に予定されていた「明治日本の産業革命遺産」登録審査を一日延期したのも、韓日がこの問題をめぐり最後まで合意できなかったためだ。
韓国政府の基本姿勢は「日本の植民地支配自体が国際法に違反したまま行われたため、その下で行われた動員は強制労働だ」というものだ。しかし、日本は「労働環境が過酷だったと言っても、労働の対価を支払い、日本人とまったく同じ待遇だったので、強制労働と呼ぶことはできない」と主張した。日本側は「強制労働」という表現が入ると、後に請求権問題の新たな口実になる可能性があると考え、韓国側に修正を要求し続けたという。
しかし、国際社会で「韓国が日本の施設の登録を反対しない代わりに、日本も該当施設で行われた『全体の歴史』(full history)を反映させなければならない」という世論が広がり、日本も見解を変えるしかない状況になった。特に、世界遺産委員会の議長国・ドイツが「日本の施設の登録決定は来年に先送りすることもできる」と強い圧力を加えたことが「決定的」だったことが分かった。
このため、日本の和泉洋人代表団長(首相特別補佐官)は同日の会議の発表で、「1940年代に数多くの韓国人や他国民が本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で強制的に労働させられた」「第二次世界大戦当時、日本政府も徴用政策を施行したという事実が理解できるようにする措置を取る準備ができている」と述べた。こうした発表内容は登録決定文の本文でなく注釈(footnote)に盛り込まれた。韓国が「実質的な内容」を得たとすれば、日本は「形式」を引き下げることで妥協したのだ。
韓国政府当局者は「そもそも世界遺産に登録できないよう阻止できればもっと良かったが、これは実現の可能性が高くない。日本が初めて『強制労働』を認める発言を引き出したことに大きな意義がある」と述べた。