加害者の手記――元少年Aによる『絶歌』発売から何を考え、議論すべきか

神戸連続児童殺傷事件の元少年によって今月11日、元少年Aの名前で書いたとされる『絶歌』と題された本が、太田出版から発売された。事件から18年経った今、この本が発売されたに対して何を議論すべきか。TBSラジオ「荻上チキ・Session22」から抄録。(構成/住本麻子)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

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「元少年A」という匿名性

 

荻上 今日はノンフィクションライターの藤井誠二さん、恵泉女学園大学教授の武田徹さんにお越しいただきました。まず、藤井さんは『絶歌』をめぐる様々な事象について、改めて何を考えるべきだと思いますか?

 

藤井 様々な視点があると思うのですが、今回の企画の前に土師守さん(被害者・土師淳くんの父親)と連絡を取り合いました。本当は土師守さんにこの番組に肉声で出ていただきたいとお願いを差し上げましたが、今日はお忙しいということでそれはかないませんでした。

 

ただメールのやり取りの中で、非常に心を痛めていらっしゃるということはよくわかりました。そこで私は、土師さんのような被害者遺族の気持を慮りながらお話を進めていきたいという気持ちはあります。

 

実は、今年の1月には太田出版とは別の出版社から「手記が出る」ということが『週刊新潮』で報道されていたのですが、一度立ち消えになったようです。そして今回突然出た。印刷も全部極秘裡でやったわけで、御遺族のショックは当然ですが、Aの矯正に関わった関係者もふくめて驚いたというわけです。

 

そこでまず思ったのは、「元少年A」という名前で出すというのが、すごくあざといと思いました。現在32歳ですよね。自分の経験を書いていて、元少年Aという名前で書いているわけです。「じゃあ君はいったい誰なの?」と思います。

 

ぼくはよほどの例外でない限り、この文章は誰が書き、この言葉は誰が発するかということは、責任の所在を明確にした上でやるべきだと思っています。文責をきちんとあきらかにするのが報道、表現の基本だと思っています。今回はそれをせず、ペンネームで筆名を付けるということすらしていないでしょう。

 

荻上 ええ、「元少年A」ですからね。

 

藤井 わざわざそういう名前をつけているということ含め、あざとい。昔の友人や同級生が出てきますが、そこから抗議があった場合、また全体やところどころで事実誤認があった場合、そしてご遺族からプライバシーの侵害などの抗議があった場合、誰が出てきてどう説明責任をとるのか、と思いました。

 

向こうからこっちは見えるけれど、こっちから向こう側は見えない。こっちから相手が見えない表現物に対して、それをまともに受け止めていいものか? という疑問を感じます。

 

荻上 メディアがこの本に注目するならば、どのような論点で報道するのか考える必要がありますよね。

 

藤井 過去に犯罪加害者が書いた本ってたくさんあるんですよ。市橋達也や秋葉原事件の加藤智大も書いています。それらはむろん実名で書かれています。犯罪加害者が書いてきた本はこれまで日本ではどういうふうに受け止められ、読まれてきたのか議論していきたいです。

 

一方で、遺族の承諾を得なければ加害者が手記等の表現をおこなってはいけないのかと言われれば、そういう法律もないし、もちろん遺族は出さないでほしいと言う権利はありますが、遺族ではない第三者がそう声高に言うのが正しいのかどうかという問題はあると思います。

 

これは「表現・言論の自由」の観点からそう簡単に割り切れる問題ではないとも思いますから、社会全体としては、そこは冷静に分けて考える必要があるとは思います。

 

荻上 語り方というものを見つめ直しながら議論をしていきたいと思います。武田さんは出版をめぐる経緯や議論はどのようにお感じになっていますか?

 

武田 私は、この本が出版された直後に読みました。現在、ご遺族の許可を取っていないことなどがひとり歩きして、バッシングが強くなった印象があります。もし、内容を読んだ上で議論していたら、流れも多少変わったんじゃないかなと思います。そういうバッシングが出るのは当然のことだと思いますが、一度仕切りなおして、冷静な議論をしたいと思いますね。

 

荻上 読んだ上でということは、この内容に価値はあるとお考えですか。

 

武田 かなりの切迫感はあります。ヒリヒリするような、切実な感じはある。なぜこの手記が、こうしたかたちで出されることになったのか考えろと迫っている印象があり、その問いかけを社会的に受け止める、共有する価値はあると考えました。

 

しかし一方でご遺族に対する問題はもちろんあるわけです。藤井さんがおっしゃるように、個人対個人の関係と、社会の問題をどうやって関係付けていくか、そういうことを議論するべきだと思います。

 

藤井 切り離しつつどう関係付けていくかは、メディアのあり方に関わる問題として、そして私たちがメディア人としてどう考えていくのか非常に難しい議論ですよね。

 

 

fujii

藤井氏

 

 

出版の是非について

 

荻上 リスナーからたくさんメールが届いております。

 

「今回の手記出版なんて、出すこと自体意味がないと思います。買う人は、興味だけで買うでしょ? 被害者の気持ちを考えてほしい。仮に印税をすべて被害者にあげても、喜ばないでしょう。こんな手記を出させる出版社が信じられません」

 

「まだ本文を読んではいませんが、素性や身分を隠した上で自分の悪行を告白する、被害者家族にとってこれほど屈辱的なことはないでしょう。同じ殺人者の手記として永山則夫の『無知の涙』がありますが、あれは死刑囚であった永山氏が自分の素性を隠すことなく、自らの罪を償うという形で綴られています。対して今回の手記は、加害者の元少年は、自分は安全圏にいながら好き勝手に書けて、なおかつ印税ももらえるという。この元加害者少年もそうですが、出版社も商業主義優先で、モラルなんてどうでもよいのでしょうか」

 

藤井 本の中では印税は寄付するということは何も書いていませんが、太田出版の担当編集の方は、印税をご遺族に渡す予定があるようだ、とは言っています。しかしぼくの予想では、ご遺族は受け取らないと思います。

 

荻上 「弁護士ドットコムニュース」でのインタビュー(http://www.bengo4.com/other/1146/1307/n_3240/)で担当編集の方がそう答えているようですね。対してこんな指摘のメールもいただきました。

 

「もし元少年Aが出版ではなく、無料で読め、収入にならない形のウェブのコンテンツとして発表されたとしたらどうなんでしょうか。元少年Aも表現したいことはあると思われますが、そのような形態なら、これほど問題にはならなかったのでしょうか? それとも、遺族にとっては同じことなのでしょうか? ちなみに手記は読んでいませんし、これからも読むことはないと思います」

 

藤井 出版社が儲からないかたちで社会公益性を満たすかたちでやるという方法は、色々あります。そこで読んだ人が意見を書けるような仕組みをつくるとか、顔を晒すことは難しいかもしれませんが、存在の真偽を示すという方法についていろんろなやり方が考えられてよかったはずです。

 

ただご遺族にとっては、個人と個人、被害者遺族として、あくまで個的に、それも激しい逡巡の中でやりとりしてきた言葉がオープンになってしまうという意味では同じなので、気持ちは同じだと思います。とくに土師さんはずっと「元少年A」から届けられる手紙を開封すらしていなかったわけですから。

 

ただ武田さんや私のような立場の人間が複数関わってインタビューをするとか、信憑性を担保するような仕組みをつくれば、また議論の方向性も違うのかなという気がしました。そして、承諾は得られないでしょうが、遺族にはきちんと事前に伝えるのが最低限の人としての、とくに加害者としての礼儀でしょう。

 

荻上 いじめ事件などでは、当事者参加型の検証委員会が組織されるようになりつつあります。そういうかたちならば別の反応もあったのではないかということですよね。

 

藤井 その可能性もあります。

 

荻上 いただいたメールを紹介します。

 

「犯罪者の手記というのは、これまでにもたくさん出版されてきたと思います。今回の件がこれほど問題にされているのはなぜなんでしょうか?」

 

武田 永山則夫の話が出ましたけども、彼は死刑囚として収監されて、その中で手記を出したということですよね。ですが、今回の場合は少年法の枠組みの下で、矯正教育を施すある程度の期間を経た後に加害者は社会復帰しています。社会の中にいるからこそ、「元少年A」としか名乗れなかった事情があると。そこにも実は少年法との関わりがある。

 

荻上 このようなメールも来ています。

 

「早速読みました。加害元少年の心境の変化を伺い知ることができたと思います。この手記の出版に関し、賛否両論あることは容易に想像できましたが、もちろん遺族の方々の賛同を経て出版できればよかったのだとは思いますが、それはなかなか難しいとは思いますし、だからといって出版できなければ、私が彼の心境を知ることはできません。専門家だけで読ますべきとの言説もありますが、少なくとも彼は法的には一般の権利回復している状態でいることを考慮すると、現在の空気はちょっと過剰だと思います」

 

藤井 今のメールは非常に大事なポイントを押えていると思いますね。先ほども申し上げましたが、法律で「絶対出すな」と止めることはできません。

 

今回の遺族の憤りは土師さん個人の思いであって、被害者・被害者家族と加害者の贖罪の関係って百人いれば百通りあります。これは個別性が高くて、全部オープンにしていきたい人もいれば、一対一の関係の中で社会と隔絶されたところでやっていきたい人もいます。

 

今回、元少年Aを担当した元神戸家裁の判事の井垣康弘氏は家裁が認定した事件の事実関係(決定書)を月刊誌で全文公開しましたが、これについても土師さんは不快感を示しておられます。

 

土師淳さんのご遺族の土師守さんと山下彩花さんのご遺族のお考えというのは少し違う部分もあります。社会にオープンにしてほしくないというのはあくまで、奪われた側の心情の問題ですよね。そこを我々はどう捉えるのか。

 

ご遺族の気持ちを無視するというのは、加害者は「贖罪」という意味で一番やっちゃいけないことだと思いますが、それを今回は裏切るかたちでやってしまった。

 

荻上 加害者は法的にはすでに対応済みで、退院してから時間も経ちました。一生「元加害者」として生き続けなければならないというふうに世論が吹き上がっていくと、それはそれで不健全な社会になってしまいます。ただ一方で、本の中でもここまで何度も謝罪しているならば、被害者家族としては「なぜ」という疑問が残るでしょう。

 

 

90年代的な「心の闇」を捉え直す

 

荻上 武田さんは切迫感を感じたとおっしゃっていました。確認しておくと、当時の報道の盛り上がり方は「今(当時)の少年にはこれまでの世代とは異質なものが生まれてきている」というフレームアップでした。

 

しかし後の時代に検証してみれば、少年犯罪は減少傾向にあり、「異常犯罪」とされるものも戦前から多数ある。特異な事例を象徴に持ってくることが錯誤だったということが、2000年代に入ってから指摘されたと思うんですよね。90年代は過剰なまでに、加害者の心の問題に回収して、「心の闇に光を当てる」といった動向が増えていったわけです。

 

藤井 「心の闇」という言葉が使われ始めたのはこの事件からですよね。

 

荻上 「少年」と「心の闇」がセットになって語られ始める。それよりは、犯罪を妨ぐ社会的な支援システムの不備や、それぞれの発達の段階でケアが必要な場合もあるだろうとか、そういうことを検証するモードにここ数年で変わってきたように思います。

 

しかし元少年Aがこの本の中で当時の自分を説明する言葉というのは、フロイトがどうだとかサディズムがどうとか、90年代に流通したような言葉で埋め尽くされています。自分自身で心の解説を試みていますが、その言葉は当時の借り物です。

 

ぼくは基本的に人の心情よりも、制度やシステム面に興味を持ちます。「元少年A」の心に寄り添ったとして、じゃあどうすればいいんだろう?という道筋は描かれていない。武田さんはどうですか?

 

武田 心の闇を読み取って物語への欲望を喚起するような、そういう事件ではありましたよね。「酒鬼薔薇聖斗」という名前もそうですし。

 

そういう物語をつくる土壌が90年代にあったのか、事件が先か社会の動きが先かはわかりません。ある意味で共振共鳴現象の中で盛り上がったのだと思います。この手記の前半は、心の闇を自ら語り、事件を物語的に見ようとする欲望をもう一度喚起しかねない性格がある。後半は性格が違うけど。

 

荻上 例えばライターの松谷創一郎さんは、ブログ上で、酒鬼薔薇聖斗の脱神話化、つまり神格化された物語として受容されている加害者自身が、「実は生身の人間として、支援されながら生活しているんだ」と見せることは、むしろ模倣犯に対する抑止になるんじゃないかと指摘しています。(「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”――元少年A『絶歌』が出版される意義

 

藤井 抑制のために出版に意義があるという意見があるのは確かです。しかしその逆の例も指摘されています。彼が世界を震撼させた殺人者を取り上げた雑誌、「週刊・マーダーケースブック」を読んでおり、殺人者にものすごく憧れていたということもこの本には出てくるわけです。

 

つまり、彼は数々のそうした猟奇的な殺人を犯した者たちの言葉やサブカルの言葉を援用しながら自己を物語化していき、ある種の自己肯定感のようなものを得ているような読後感でした。ならばそれを読んで彼に憧れる者もまた出てくる面も否めない。

 

この事件以降十何件、この「酒鬼薔薇聖斗の事件」に影響を受けて起こした事件を取材してきました。彼のようになりたいと思って事件を起こしたケースもあるわけです。この間起きた名古屋の明大生の事件もそうでしょう? 彼女は自身のツイッターに神戸事件ふくめて有名になった事件に対する同調のような言葉を残しています。そのあたりの問題は両面から考えていかなきゃいけないと思います。

 

 

出版社はどうあるべきか

 

荻上 出すべき・出すべきじゃないという議論の中でもう一つあるのが、担当編集の方が「弁護士ドットコムニュース」のインタビューで「この本はすごいと感じた」と答えていたということですね。何がすごいと感じたかというと、彼が少年院を退院後、いろんな大人たちからものすごいフォローを受けていたことが、すごいと感じたと。

 

そのあとにこう続けています。「ここは、全然知られていないところです。少年を更生するために、いろいろな方々がほとんどボランティアみたいな形で力を尽くしている」。こういうフォローの実態をはじめて知ったから、この本に価値があるんじゃないかと言っています。

 

藤井 少年Aのその後のフォローに関しては特殊チームが組まれて、例外中の例外です。これは業界の中ではとてもよく知られた話なんですね。普通の少年犯罪の少年にはまずそんなフォローはつかない。それを知らなかったというのは、ぼくも驚いた。

 

荻上 驚いたことに、むしろ驚いた、ということですね。保護士の方が付くとか、そういうフォローそのものはあるわけです。それならば先ほど武田さんがおっしゃったように、社会的包摂の今の形をしっかりとクローズアップした方が、太田出版がやりたかったことはできたんじゃないかと思います。

 

武田 少し異論を申し上げると、担当編集の方は、フォローのチームが存在することを知らなかったわけではなく、人間の可塑性をここまで信じた大人たちがフォローに付いていることを初めて知ったということではないのでしょうか。

 

この本の後半は「非行少年の未来を本当に信じて献身的に助ける人がいる」ということが伝わる書き方をしていたので、フォローのチームがあったと知っていても新鮮なところがあったと思います。私自身にも新しい情報ではありましたよ。

 

藤井 もちろん、出所後の生活のディテールや支援者はどういう動きをしたかという情報の社会的な価値は、ぼくは否定しません。更生保護の領域というのは、普段光が当てられる話ではないし、関わる人たちも少ない。だからどういう人たちがどういう動きをしたのかということを情報として知ることは大切なことかなとは思います。

 

 

情報公開の重要性と被害者参加の仕組みづくり

 

荻上 藤井さんはこの事件に関連する人たちの取材も行ってきたんですよね。

 

藤井 私は事件そのものよりも、土師さんら事件後のご遺族の活動を見てきた立場です。その後も光市の母子殺害事件など様々な事件がありましたが、そういうご遺族の方々は全国的に集まって「あすの会」という被害者遺族組織を作ったわけです。土師さんはその会の中心メンバーでした。

 

土師さんご夫婦は法務省に対して、一貫して情報公開を求めてきました。どのような矯正教育がなされているのかなどの情報公開を遺族に対してはきちんとやってほしい、と。個別の加害者の更生プログラムや、少年院の内情については外にはぜったいに出すことはしなかった。が、そういうことを教えてほしいと、ずっと訴えてきたわけです。

 

そこでこれは異例中の異例だったわけですけども、少年院の仮退院の記者会見を法務省はやりました。こんなことは普通ありませんよ。土師さんはそんな働きかけをずっとやられてきて、成果はあったと思いますよ。少年法の度重なる改正や刑事訴訟法の改正、犯罪被害者等基本法の制定等、いろいろな法制定や改正にもつながったと思います。

 

荻上 つまり被害者の家族も部外者にしないという努力が、これまでなされてきた。

 

藤井 国は少年事件のその後の情報に関しては、例外なく公開しないという方針でやってきたし、少年法を護持する立場の弁護士さんや研究者、矯正教育に関わる人たちもそういう閉鎖性を少年の更生のために是としてきましたから、土師さんの活動は大きかったわけです。

 

荻上 例えば障害の分野でもこの部分が進んでいます。「私たち抜きに私たちのことを決めるな」という有名なフレーズがあります。例えば厚労省などで障害者政策を決めるにしても、いろんな分野の障害の当事者が参加して決めていくというのをスタンダードにしていこうという動きがあります。

 

その意味では被害者や被害者家族に対しても、その後の更生プログラムを知るというだけでなく、参画とまでは行かなくても、少なくとも置いてけぼりにならないようにするための動きは必要です。どの程度、進められてきたんでしょうか?

 

藤井 現在、被害者基本法ができ、基本計画が制定され、さまざまな被害者救済・支援のシステムを法務省は導入を進め、自治体でも取り組んではいます。最近は少年院や刑務所にご遺族の方を呼んで講演することもあるようです。しかし、被害者や遺族の個別の問題にまでこまかく手が届いているかというとまったく遅れているのが現状で、比べるとまだまだ進んでいないと思います。

 

たとえば、被害者通知制度といって、加害者の服役状況などについて知りたいと申請すると加害者がいまどういう状況なのかが、定期的にペーパーで通知が来ます。ただこれも、「態度:中の上」とか「やっていること:農作業」とか、その程度なんですよ。詳細については、ほとんどわからない状態です。【次ページにつづく】

 

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