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あざなえるなわのごとし

ネット事件から妄想まで雑食


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イスラム教世界と新旧の女性の生きる道 映画「少女は自転車にのって」

因習の中に生きる少女の姿を通して未来への希望を描き出したドラマ。お転婆な女の子・ワジダは、自転車を手に入れるために必死にアルバイトをする。そんな時、学校でコーラン暗唱コンテストが行われることになり、彼女は賞金を目当てに立候補する。

中東の映画を観るとその文化の違いに毎回驚く。
たとえばイランのアッバス・キアロスタミ「友だちのうちはどこ?」では借りた宿題のノートを返すために友だちの住む山の向こうまで一人で少年が返しに行く話だったり、「自由の壁とヒップホップ」ではパレスチナの中でラップを歌う若者の目を通じて国内を通るにも検問がある抑圧された生活が描かれていたりする。
日本と文化や環境が全く違う。



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この映画でまず驚くのが女性は自転車に乗るものじゃないという考え方。
イスラム教では人前で女性が肌を見せてはいけないからと黒いベールに身を包む。

そりゃあそんな国でママチャリに乗って女性が移動してない。
そもそも道が舗装されてない。
服を買うにも、お店から服を借りて女性トイレで試着するくらい。

そんな戒律の厳しい世界の中で主人公のワジダはかなり近代的な西欧文化の影響を受けてる。
聞くのはロックだし、履くのはジーンズに足元はコンバース。
ワジダは自転車に乗りたいと言い始める。
そこでミサンガを作って売ったり、ちょこちょこ小遣いを稼ぐがなかなかお金が貯まらない。

彼女が通うのは戒律の厳しい学校で校長の目が光ってる。
当然、ワジダは学校では問題児。

ある日のこと、学校でコーランの大会があり優勝すれば賞金がもらえると聞き途端やる気になるワジダ。
「心を入れ替えます」
と言って宗教クラブに入り、突然コーランの勉強に打ち込む、というお話。


ちょっとしたことでも小遣いを稼ごうとするワジダは、自転車の練習に付き合ってくれと男友だち(金持ちのボンボン、マコーレー・カルキンみたいな)を誘い自転車を持ってきてもらう。
けど補助輪が付いているのを見てワジダが泣く。
ところが「泣き止んだらお金をあげる」と友だちが言うと無言で手を出して金を請求するんだからちゃっかりしてる。
どこの世界も女性の涙は強いですわー。


さて、この映画の構造は、まず母親がイスラム教やイスラムにおける女性の象徴として描かれる。
サウジアラビアという土地での女性が生きることの大変さの象徴。
癇癪起こして食器を破るのはいかがなものかって感じですが。

父親は第二夫人をもらおうとしてるし、母親は引き止めたいがそれも難しい。
母と娘が旧時代的な宗教や慣習から抜け出せない親世代と新しい娘世代としての比較になってる。

ワジダというキャラはそんなイスラム教世界で自立するこれからの〜未来の女性の希望。
宗教や戒律よりも、年齢関係なく自分で稼ぎ資本主義の中で自立して生きようとしてる。
”自転車”は自分で漕ぎ進む、つまり自立して進むことの暗喩、象徴。

自分自身の力で稼ぎ、挑戦し、勝ち取り、自分の足で進もうとする少女が宗教戒律の中で力強く生きる。
そういう映画。


これは観て正解。
iTunesで格安レンタル(100円)になってるやつは案外侮れない。

少女は自転車にのって [DVD]

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azanaerunawano5to4.hatenablog.com