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「大切」を大切に。

自分の居場所を探す22歳が思ったことを思ったままに書く。人生・社会・読書・ミニマリズム。

僕の弱点は「心の平静が乱されるとストレスを感じる」ことにある。

 

こんにちは、こんばんは。

 

昨日はリバ邸八王子(リバハチ)さんにお邪魔して、

ひたすらボードゲームをやったってことを書きましたが、

今日はリバハチさんからの帰り道でふと思ったことについて、

ちょっと書いてみようかなと思います。

 

リバハチさんからの帰りの電車の中で、

僕はめちゃくちゃ疲れているのを感じました。

最近ではあまり感じないくらい。

 

いくつか考えられる原因がありました。

初対面の人たちを接することによる疲れもあっただろうし、

初めてのボードゲームに悪戦苦闘していたからかもしれないし、

遊んだあとだったから反動的に疲れが出たのかもしれないし、

単に僕がろくな食事をしてなかったこともあるかもしれません。

 

「まぁ疲れたけど楽しかったし!」って思ったときに、

「あれ、僕は何が楽しかったんだろう?」という疑問が浮かび、

電車の中でそのことについて考えていました。

 

僕は基本的に感情をあまり表に出しません。

ゲラゲラ笑うこともないし激しく怒ることもない。

大喜びして飛び跳ねたりしないし大泣きすることもない。

僕自身も自分の喜怒哀楽があまりよく分かってないんですよね。

 

確かにリバハチさんでボードゲームしてるときは楽しかったんですが、

「ゲームが楽しかったのか」と言われるとそうじゃない気がしたんです。

むしろゲームの中にはやっていて苦しいものがいくつかありました。

まぁ「苦しい」と言うと大げさなんですけどね。

 

例えば僕にとって人狼ゲームはなかなかに厳しいものでした。

初めてだったから経験もコツも掴めていなかったことはありますが、

そもそも性格的に僕はあの手のゲームが苦手なのかもしれません。

 

人狼ゲームがいろんな意味で「難しい」と思える点は、

自分にとって有利な展開にするにはどうすればいいかとか、

そういった陰謀とも言える戦略を考えなければいけない点です。

簡単に言えば「ウソをつく」「ハッタリをかます」ということです。

 

僕はそんなに立派な正義感とかを持っているわけではないです。

そもそも「ゲームなんだからさぁ~」って話なんですよね。

それでも割り切れないところが不器用すぎますね。笑

 

人狼ゲームで人狼を引いたときに感じたのは、

「疑われることに対するストレス」です。

ただの遊びにもかかわらず僕はストレスを感じ、

疑われると白状したくなって仕方なかったのです。

まぁそれではゲーム的にマズいんですが。笑

 

僕がウソをつけないのはハラハラしたくないから、

「心の動揺」みたいなものを嫌うからだと思いました。

 

ウソをつけばウソがバレないかと気になってしまいますし、

正しくないと思いながらそれをやってしまうことも同様です。

「後ろめたさ」みたいなものにストレスを感じてしまうのです。

そうやって「心の平静」が乱されてしまうのを僕は嫌うようです。

 

考えてみると僕の行動のほとんどにそれが見受けられる気がします。

階段を走って登るくらいなら一本後の電車に乗ってしまいますし、

虫対策を徹底してやるのも遭遇してビックリしたくないからですし、

現在モノを減らしているのもいろんな煩わしさをなくしたいからです。

心の平静を保てて落ち着ける環境を僕は強く望んでいるんだと思います。

 

人狼ゲームなんかはそんなわけでちょっと厳しい感じだったのですが、

「リバハチの方々と遊んだこと」はやはり楽しかったと思います。

 

そんな僕にとって「楽しい」と思えることは、

人と関わること・話すこと・時間を共有すること。

きっと僕が嫌だと思ったり怒ったりするのは、

心の平静さを乱されたときなのかもしれませんね。

 

僕の感情に波が少ないのは心の平静を保つためなんでしょう。

厳しい社会に出ていくにはある意味で僕は繊細すぎるのかもしれません。