自民党議員らによる報道機関を威圧する発言について、安倍首相はきのうの衆院特別委員会で「非常識な発言だ」と認め、「心からおわびを申し上げたい」と述べた。

 憲法は、表現の自由、言論の自由を保障している。非公式な会での発言であっても、戦前の言論統制につながるような発言は看過できない。党総裁として首相の陳謝は当然である。

 だが、これで政権の表現の自由をめぐる姿勢がどれだけ変わるのか。疑問はぬぐえない。

 このところの報道機関への対応を振り返れば、衣の下に鎧(よろい)が見えるからだ。

 安倍氏が2012年に首相に返り咲いてから、報道機関への「介入」と受け取れる自民党の振る舞いが相次いでいる。

 今年4月には番組での「やらせ」が指摘されたNHKと、コメンテーターの発言が問題視されたテレビ朝日の幹部を呼び出し、事情を聴いた。昨年の衆院選の際には、在京テレビ各局に選挙報道の「公平中立、公正の確保」を求める文書を送った。

 「放送の不偏不党、真実及び自律を保障する」ことで、「表現の自由」を守る。そんな放送法の理念に照らして、見識を欠いた行為である。

 大西英男氏ら自民党の議員が「マスコミを懲らしめる」「日本の国を過てるような報道をするマスコミには、広告を自粛すべきだと個人的には思う」などとする発言を繰り返しているのは、こうした報道機関に対する「介入」を強めようとする政権の姿勢の反映ではないか。

 自民党が、12年の政権復帰前に発表した憲法改正草案を読み返してみよう。

 草案は、一切の表現の自由を保障した現憲法に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は「認められない」との例外をつけ加えている。

 「法律の範囲内」でしか言論の自由が認められなかった大日本帝国憲法への回帰である。

 首相は大西氏らの発言について当初、「私的な勉強会で自由闊達(じゆうかったつ)な議論がある。言論の自由は民主主義の根幹をなすもので、尊重しなければならない」と述べていた。

 だが、表現や言論の自由は、権力の介入から守られるべき個人の基本的権利であり、権力者が振りかざすものではない。ましてや、誤った事実認識をもとに他者を誹謗(ひぼう)中傷していい権利では決してない。

 首相はきのう「報道の自由を守るのが私たちの責任だ」と語った。今後は、それを行動で示さねばならない。