【インタビュー】話題の「森岡書店」店主に聞く"一冊の本を売る"理由
買い物客でにぎわう銀座の中心街からちょっと離れた、ひときわ静かな場所に、去る2015年5月5日、新しい本屋さんが産声を上げました。その名は「森岡書店 銀座店」。その主は、東京・茅場町にある「森岡書店」のオーナー・森岡督行さんです。しかも、そのコンセプトは「一冊の本を売る本屋」。雑誌の本特集などでひっぱりだこの森岡さんが一風変わった新店をオープンすると聞きつけ、開店までの1カ月に密着しました。
今回は、銀座店のオープンが翌日に迫った森岡さんに伺った、開店のきっかけや新事業にかける思い、そしてドタバタ(?)の開店準備の様子をお届けします。
取材・文:榊原すずみ/撮影:後藤洋平(2015年5月4日、森岡書店にて)
作った人と買う(読む)人が、売る場所でより近い距離感でいてほしい
――「森岡書店 銀座店」をまだ知らない人のために、どんなお店なのか教えていただけますか?
森岡督行(以下、森岡):茅場町は写真集や美術書をメインにした古書店という形ですが、銀座店は一冊の本から派生する作品を展示しながら、その本を売るお店です。つまり展示会の会期中、取り扱うのは本は一冊だけ。だから「一冊の本を売る書店」なんです。沖潤子さん「PUNK」展、湯沢薫さん「幻夢 Day Dream」展などが予定されています。年内はすべて展示の予定は埋まりました。
――「一冊の本を売る」というコンセプトは、以前から考えていたアイディアなのでしょうか?
森岡:銀座店を開店するにあたって、昔からよく茅場町に来てくれていたお客さんに「こういう本屋をやります」という話をしたら「茅場町のオープンの翌年くらいから、そんなお話をしていましたよね」と言われました。そうなんだ、そんなに昔から言っていたんだとびっくりしてしまったんですが、よく口にしていたみたいです。
――そう思い至るきっかけになるような出来事に記憶はありますか?
森岡:おそらく、8年間働いていた神保町にある一誠堂書店から独立して、茅場町で出版記念のイベントを何回かやっているうちに思い立ったのかもしれません。「もしかしたら、売る本が一冊だけあればいいんじゃないか」って。
興味のある人は来てくれる。そして来てくれた人を見て、作家さんも喜んでくれます。そして私も、足を運んでくれたさまざまな人たちと話ができてうれしい。これが、それなりに本も売れていくんです。作家さんの作品も売れていきます。そういう風景を目の当たりにしたことが、大きく影響しているのでしょう。
作った人と買う(読む)人が、売る場所でより近い距離感でいてほしいなと、そんな空間を提供できないものかと、思うようになりました。
――初めてだった茅場町と今回の銀座店、オープンするにあたってなにか違いのようなものはあったのでしょうか?
森岡:茅場町は、どちらかというと自分の感覚に任せて開店準備を進めていたところがありました。ところが銀座店は、いろいろな人の協力や支えがあったからこそできたこと。"写したものではなく、写った写真こそがいい写真"みたいな言葉をどこかで読んだか、聞いたかしたことがあるんですけれど、まさにそんな感じなんですよ。自分がやろうとしてお店ができたというより、できてしまったというか。もちろん、「一冊の本屋」というアイディアがあって、自分の意思で始まったことなんだけれど。
――具体的には、どういうことなんでしょうか?
森岡:たとえば、今回の銀座店には食べるスープをコンセプトにしたスープ専門店「Soup Stock Tokyo」などを手掛ける株式会社スマイルズの遠山正道さんが参画してくださっているのですが、そうなるに至った経緯はまさにその典型です。
茅場町で開業した当初、神保町時代から集めていた"対外宣伝誌"[★]の目録を作ってお客さまにお渡しし、注文を取ろうと思っていました。これは伝統的な神田の古本屋が売り上げを上げるための手法です。でも、予算がなくてそれもできず、どうしようかと思って相談したのが、茅場町のご近所にあるコスメブランドのデザイナーをしている方でした。私の話を聞いて「出版してみてはどうか」と言ってくれました。お金がなくてそれができなくて、どうしようかと思っていたときに、知人を介して、ビー・エヌ・エヌ新社の吉田知哉さんを紹介してくれました。
★国家の政治的、軍事的方針や文化水準を海外に宣伝するために作られた本で、『NIPPON』(日本工房)や『FRONT』(東方社)などがある
――"対外宣伝誌"が、本屋につながっていくのですか!
森岡:そうなんです(笑)。
ビー・エヌ・エヌ新社の吉田さんが興味を持ってくれたおかげで『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』を2012年に出版しました。その後、吉田さんが手がけることになった別の本、レナード・コーレン氏著の『Wabi-Sabi わびさびを読み解く』で後書きを書かせてもらうことになったのですが、同じく後書きを書いたのがtakram design engineering(以下、takram)の渡邉康太郎さんでした。
――銀座店の入り口やトートバッグに描かれているロゴのコンセプトメイキングをしたのも、takramの渡邉康太郎さんでしたよね?
森岡:そうです。ロゴには、あともう一人、同じくtakramの山口幸太郎さんもデザイナーとして携わってくれましたが。
渡辺さんと山口さんが所属するtakramは"takram academy"という勉強会を行っているのですが、そのアカデミーで遠山正道さんが「新しいビジネス」をテーマに講義を行い、参加者が実際に新しいビジネスについてプレゼンできるという連絡を渡辺さんからもらったのです。
「お!」と思いました。遠山さんなら、もしかしたら、私の「一冊の本屋」というコンセプトを理解してくれるかもしれないと思ったんです。
――遠山正道さんなら理解してくれるかもしれないと思われた根拠は?
森岡:遠山さんの著書に『やりたいことをやるというビジネスモデル』(弘文堂、2013年)があるのですが、その編集・執筆に関わっているカワイイファクトリーさんも茅場町のご近所さんなんです。知り合いが作ったということでそのご著書を読ませていただいていました。そこに書かれていた内容を読んでいたことが大きいと思います。
「きっと理解してくれるに違いない」という強い気持ちと、やる気満々な体制で、プレゼン当日を迎えました。今でも忘れません、2013年9月2日のことでした。
最初にあったのは『一冊の古本屋+アトム書房』というアイディア
――独立して「森岡書店」を始めたからこそ思いついたアイディアが、そこで出会った人とつながって、花開いたということですね。実際にはどのようなプレゼンをしたんですか?
森岡:まずは、4~5人のグループに分かれて着席しているテーブルごとにディスカッションをしました。グループで選ばれた代表が、遠山さんやtakramのみなさんの前で自分の考えているビジネスをプレゼンするという流れなのですが、幸いなことに、私のアイディアが選ばれたんです。
私が発表したのは、「一冊の古本屋+アトム書房」というアイディア。遠山さんが「それはおもしろい!」と言ってくださって、「3坪でもできるか?」と聞かれたのを覚えています。一冊の本を売るスペースがあればいいので、3坪くらいがちょうどいいと僕は思っていました。だから「できます」と答えたんです。すると「なんでスマイルズと一緒にビジネスをやりたいと思うのか」と質問が。「Soup Stock Tokyoの大ファンで、ポイントカードが貯まっています」と答えました(笑)。
――そんな軽いノリといっては何ですが、和気あいあいとした雰囲気だったのですか? プレゼンというとパワーポイントを駆使して、グラフや画像を見せたりといった印象がありますが。
森岡:いやいや、ちゃんとプレゼンもしましたよ(笑)。ただ、もともとグラフや画像を駆使してといった趣旨ではなかったようです。その日、会場で配られた紙にコンセプトを書いて、言葉で説明をする形式でした。
――半年以上前のことになりますが、どんなことを話したか覚えていますか? ぜひ聞かせてください。
森岡:覚えていますよ。では、ちょっと再現してみましょうか......。
かつて、1945年に広島には「アトム書房」という本屋がありました。原爆投下直後で、この先60年は草木も生えないと言われたなか、大連から引きあげてきた当時21歳の杉本豊という人物は、広島の復興を担おうと古本屋を始めます。米兵に溶けたガラスをお土産として売ったり、持っていた古本を売っていたのです。その様子を写真家の木村伊兵衛が写真に収めていて、広島市立図書館に保管されています。
参加者のなかに、アトム書房を知っている人がいらっしゃって「おー!」と声が上がりました。続けます。
そのアトム書房をいま復活せずして、いつ復活するのでしょうか。というのは、2013年3月、東京駅前に「KITTE」がオープンしたときに、東日本大震災で甚大な被害を受けた福島県三春の桜の写真が大きく展示されました。私はそれを見に行きましたが、まわりにはその桜を見て涙を流している人たちがいました。それは、汚染地帯になってしまったけれど福島は必ず復活するんだという思いを桜を通じてみんなが共有したからだと思います。
いまアトム書房を復活することは、あの福島県三春の桜の写真を掲げることと同じような力がある。日本人は関東大震災からも戦後からも復活してきたのだから、その力を忘れずに先祖がやってきた仕事を継承していこうという思いを共有できるはずである。だからこそ、アトム書房をできれば丸の内、東京駅の前でやりたい。日本中の人が集まる東京駅にこそ復活させたいのです。
そんな話をしたように記憶しています。
森岡督行さん
――先ほどは、笑い話交えて軽いノリな印象を受けましたが、かなり具体的にイメージがおありだったんですね。
森岡:そうですね。この話の後に、「アトム書房を復活するにしても、一体どんな本を売るんだ」という流れになりました。そこで出たのが「一冊の本屋」です。本をただの「本」として捉えるのではなく、アート作品、オブジェとして見るという考え方をしたいんです。編集者やライター、デザイナー、写真家など本に関わる人たちが思いを込めて作っているものなのだから、アート作品と本を同等に取り上げたいのです。
そんな話をしました。その結果、遠山正道賞をいただくことができました。そのとき、遠山さんにプレゼンするときコンセプトを書いた紙に「日付をちゃんと書いておけよ」と言われました。こういう場でアイディアを公開したから、誰かが先にやってしまう可能性があるからだと思いました。今でもそのときの紙は大切にとっています。
takram academyでのプレゼンに使ったアイデア用紙(撮影:編集部)
銀座店はパズルのようにできあがっているんだと思います
――遠山正道賞を受賞後、話はとんとん拍子に進んだのですか?
森岡:いいえ、いろいろと考えなくてはいけないこともありましたし、物件探しなども難航したりと不安な日々が続きました。考えに考えて、原爆の苦しみを前提に商売を行うことはとても難しいテーマだということが分かったので、アトム書房の構想は切り離して、「一冊の本屋」というコンセプトにすることに決めたんです。
――現在、銀座店がある東京都の歴史的建造物にも指定されている鈴木ビル以外にも候補地があったのですか?
森岡:そうなんです。馬喰町にいい物件が見つかって、最初はそこに決めようと思っていたんです。3階建ての1棟貸しだったので、1階をカフェに、2階は書店&ギャラリー、3階をスタジオにして、本から派生して人が集まることができるサロン的な場所にもできます。ここしかない!と思いました。ところが、他の人が先に契約してしまい諦めざるを得なくなってしまった。
馬喰町の物件がダメになったこのとき、実はもうこれで「一冊の本屋」はないなと、思ったんです。茅場町の物件を決めたときもそうだったけれど、私は場所の力をすごく信じているんです。だから、馬喰町の物件だからできるけれど、他の場所、物件では「一冊の本屋」は成立しない、もうダメだなと。
そう思っていたら、現在の鈴木ビルがなんと40年ぶりに空いたという話が飛び込んできたんです。
――他の場所では成立しないと思っていたのに、鈴木ビルではなぜできると思われたのでしょうか?
森岡:鈴木ビルは、昭和4年竣工の近代建築で、戦中期に名取洋之助さんが主宰する「日本工房」が入居していたのです。そこでは、日本の文化や近代化を海外に伝える『NIPPON』などの雑誌が制作されていました。土門拳や藤本四八などの名だたる写真家、山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策などの気鋭のデザイナーが参加していたの場所で、本をアート作品として捉える展示を行うことはとても大きな歴史的意義があると考えました。
それに鈴木ビルのあの物件には、石炭置き場があるんです。22歳の私が住んでいた中野ハウスにも茅場町の「森岡書店」にも石炭置き場がありました。どちらも私にとってとても大切な場所です。これは運命だとしか思えませんでした。
森岡督行さん
――私は鈴木ビルの内装工事のはじまりから密着取材をさせていただきましたが、本当にオープンできるのかハラハラするような出来事ばかり続出していました。焦りや不安はなかったんですか?
森岡:めちゃくちゃ焦っていましたよ。当初予定していた工期スケジュールが全部遅れましたからね。明日(5月5日)から始まる一番最初の展示「PUNK」展のDMはもう配っていましたし、今日(5月4日)には搬入ができる状態になっていないと一大事です。すっごく不安でした。
外壁に付着したモルタルを外す作業を、飛松陶器の飛松弘隆さんに手伝ってもらったのですが、昭和初期のレンガの破損を防ぐため、電動機器が使えなく、手作業で進めることになりました。丸々4日間をこの作業に費やしました。
――そんなこともありましたね(笑)。私は、飛松さんの照明に明かりが灯された瞬間、お店に命が吹き込まれたんだなと感じました。
森岡:いやー、照明がついたのが開店2日前の昨日(5月3日)でしたからね(笑)。店で使用する什器が届く日になっても、店内のペンキ塗りが終わっていなかったときも大変でした。什器を入れられませんから。結局、什器を受け取れたのも昨日で。本当にギリギリですよね。
――什器に関しては、更なるアクシデントがありましたもんね。
森岡:そうなんですよ(笑)。
届いた什器をレイアウトしてみたら、思っていたよりも高さがあってお店の雰囲気を壊してしまっていたんです。搬入前日のタイミングで什器を再発注なんて間に合うわけありません。途方に暮れていたら、たまたま店の前を通りかかった家具職人の方が什器を切ってくれて助かりました。
ドタバタだった銀座店のオープンにはキーとなる人物がたくさんいるのですが、忘れてならないのが内装の設計をお願いしたcmyk Interior & Product(以下、cmyk)の吉里謙一さんです。予定外なことの連続で、本当に不安だったので吉里さんがいつも「大丈夫、大丈夫」とどっしり構えてくれていて、落ちつくことができました。吉里さんが代表を務めているcmykもまた、大きな関わりがあるんです。なにせ、「森岡書店」のお隣さんですから(笑)。
――「森岡書店」で出会った人たちとのつながりで、いままさにアイディアが花開いたということなんですね。
森岡:本当に、その通りです。銀座店はパズルのようにできあがっているんだと思います。誰が欠けても、いまのような形に完成することはなかったでしょう。
「一冊の本を売る本屋」をどうビジネスとして成立させていくかはもちろんのこと、展示する本をどのように選んでいくかなど、まだまだ試行錯誤しながらの店舗運営になると思います。
今後は、新刊だけではなく、少し前に発売された本を取り上げる展示もしていきたいです。素敵な本は、新刊以外にもたくさんありますから。ジャンルに制限は設けません。写真集や美術書以外にも、小説や詩集などの展示も行っていく予定です。作る人、売る人、読む(買う)人は問わず、本と人が出会える場所に育ってくれたらいいと思います。
森岡書店 銀座店
住所:東京都中央区銀座1−28−15 鈴木ビル1階
営業時間:13:00〜20:00、月曜休
電話:03-3535-5020
PROFILEプロフィール (50音順)
1974年、山形県生まれ。1998年に神田神保町の一誠堂書店に入社。2006年に茅場町の古いビルにて「森岡書店」として独立。去る2015年5月5日には銀座に「森岡書店 銀座店」をオープンした。著書に『写真集 誰かに贈りたくなる108冊』(平凡社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『荒野の古本屋』(晶文社)など。