トップ > 一面 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

一面

養蚕復活へ世界遺産タッグ 富岡の蚕、白川村で飼育

展示している繭を手にする和田正人さん=岐阜県白川村の和田家で

写真

 世界文化遺産の登録から今年で二十周年の岐阜県白川村と、昨年登録された富岡製糸場がある群馬県富岡市の住民たちが、養蚕文化の継承で協力することになった。七月一日に富岡市から白川村へ蚕四百頭が届き、繭になるまでの約一カ月間、村内で飼育。繭は富岡市に送り、製糸場内の実演などに使われる予定だ。

 「養蚕は合掌家屋と切り離せない重要な文化」と、白川村荻町の合掌家屋「和田家」(国重要文化財)の当主、和田正人(まさひと)さん(54)は話す。和田家の建物では十年前から毎夏、生きた蚕五百頭を展示している。蚕は家畜として扱われてきたため、一頭、二頭と数える。「今ではどこの家でも養蚕をしていない。今回が復活のきっかけになれば」と期待する。

 村では江戸時代末期から昭和初期にかけて養蚕が生活を支えた。「合掌」の形になぞらえられる切り妻造りの屋根は、窓から光と風を取り入れられるため、蚕の飼育に適していたとされる。繭や各家でつむいだ生糸は長野や北陸、京都などへ出荷していた。

 今回の交流は富岡市の富岡シルクブランド協議会が、市民向けに企画した蚕の飼育体験がきっかけ。同会事務局の長谷川直純さん(55)は「製糸場は今後も建物として残るが、養蚕は衰退する一方。同じく養蚕が盛んだった白川村の皆さんにも協力してもらい、徐々に盛り上げたい」と話す。

 世界文化遺産学の研究活動として、製糸場で学習イベントを開いたり、白川村を訪れたりしている筑波大大学院の黒田乃生(のぶ)教授が、この企画を和田さんに紹介した。

 蚕は和田家や白川小学校など、村内の四つの団体や個人が飼育していく。和田さんは「養蚕復活に向けて協力を続け、今後は製品化も実現できたら」と話している。

 (高山支局・片山さゆみ、写真も)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索