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みんなの「ヘンデルのオラトリオ」ブログ


ヘンデル〜オラトリオ「ベルシャザル」クリスティ盤

2014/08/27 23:44
ウィリアム・クリスティの自主レーベル第一弾となった、ヘンデル「ベルシャザル」を聴いてみました。

Handel: Belshazzar
Les Editions Arts Florissants
2013-10-28


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台本はユダヤ人のバビロン捕囚(Wikipedia)とその解放の物語で、旧約聖書のダニエル書:第5章などを元に、ジェネンズが書いています。
内容に感動したヘンデルの筆が非常に速く、台本の続きをジェネンズに催促したのは有名な話。
このオラトリオ、最低限以下の予備知識があれば楽しめると思います。

・ベルシャザル…バビロン(アッシリア首都)の王
★自堕落な毎日に明け暮れ、捕囚しているユダヤ人の神エホバを冒涜する行為に及ぶ
・ニトクリス…その母
★息子の愚行に心を痛め、王国の前途を憂っている

・ダニエル…捕囚されているユダヤ人の預言者
★賢者の一人で、空中に現れた手が壁に書いた謎の文字(ベルシャザルの敗北を示唆)を解読

↑↑↑彼らの居るバビロンは、城壁とユーフラテス川によって守られていますが、この二人↓↓↓が率いる軍が…

・キュロス…ペルシャの王子
・ゴブリアス…アッシリアの貴族、息子をベルシャザルに殺されたので復讐したい

干上がったユーフラテス川の川底を歩いて城内に侵入、ベルシャザルを殺して、囚われていた大勢のユダヤ人をめでたく解放!


恋愛要素などが全くない叙事的な展開の中に、ニトクリス(聖書に彼女の名前は出てきません)を紅一点で配し、母と息子の感情の交錯を加えた台本は秀逸で、これがなかったら感情移入し辛い作品になっていたかもしれません。
HMVの紹介ページでは「脇役のニトクリス」となってますが、全然脇ではないと思いますよ。

バビロン人、ユダヤ人、(城内に攻め入る)ペルシャ人&メディア人が、それぞれ異なる様式で作曲されている合唱、有名なベルシャザルの饗宴とそれに続く「壁に字を書く手」のシーンは光景が目に見えるようだし、音楽的にも聴きどころが多いです。
単独で歌われる有名アリアは少なくも、ヘンデルのオラトリオの第一級作品と言えるでしょう。

クリスティの指揮は非常に雄弁かつ堂々としたもので、歴史ドラマを扱ったオラトリオに相応しい重量感があります。
歌手陣は声だけでなく歌い方にも役の性格が良く出ていますね。
思慮のかけらもない不敬の輩ベルシャザルに対し、クールで知的なダニエル、若き勇士キュロス(英語ではサイラス)、憂いと悲しみに満ちたニトクリス…レチタティーヴォのやりとりだけでもドラマを感じる演奏です。

3枚のCDが見慣れない蛇腹状の紙ケースに入っていて、最初は何じゃこりゃ?でしたが、通常の窮屈な紙ジャケより、取り出し&収納が簡単なスグレモノでした。しかも赤黒のモダンな色調がオシャレ。
ブックレットの最後にはレザール・フロリサンのCD&DVDのディスコグラフィー付き、眺めているとその膨大な業績には驚かされます。

─── とまあ、総合的に素晴らしいアルバムだと思います。やはり新レーベルの評判もかかっているので、力が入ったのでしょう。
これからもレザール・フロリサンには期待大ですね。
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「内臓が外に出る」アタリヤの旦那

2010/09/16 22:49
ヘンデルのオラトリオ「アタリヤ」(Athalia)の背景についてお話します。
(以下、人名は新共同訳聖書に従い、オラトリオの人物はカッコ内に英綴りを書きます)

ソロモン王の死後、王国は内紛の末、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂します。
双方の国は、イスラエルの神ヤハウェに忠実な良き王あれば、異教のバアル信仰にうつつを抜かすダメ王ありと、様々でした。
さて、ユダ王国では・・・


32歳で王となったヨラムは、悪の血筋を引くアタルヤ(Athalia)を妻としていたこともあり、ダメ王の典型でした。
彼は、エルサレムの住民に淫行を強いて人々を堕落させたので、ついに神の怒りを買い内臓が外に出る病気で死んでしまいます。
この部分、聖書には「内臓が外に出る」とサラリと書いてあるだけですが、それがかえってブキミです。
ヨラム王、とても苦しんで死んだようで、想像するだに恐ろしい・・・。

その後を継いだアハズヤも、母アタルヤの入れ知恵のせいで背信の王となり、反対勢力に殺されてしまいました。
ここで悪女アタルヤはその本性をムキ出し!孫も含む王家の血筋を引く者を皆殺しにして、自分が女王にのし上がります。
このクーデターとも言うべき非常時に、まだ乳児のヨアシュ(Joas)をこっそりかくまい惨殺から救ったのが、祭司ヨヤダ(Joad)の妻ヨシェバ(Josabeth)。
祭司ヨヤダは、異教のバアル信仰を推し進めるアタルヤ女王から人々を解放するため、ヨアシュを神殿の片隅で乳母に育てさせながら、アタルヤを出し抜く機会を密かに狙っています。

7年が過ぎて、祭司ヨヤダは国中から長達を呼び集め、包囲した神殿の中でヨアシュを王とする儀式を行います。人々の新しい王を讃える声を聞いたアタルヤは、自分が出し抜かれたことに気づき衣を裂いて逆上しますが、ついに軍に捕らえられ刺殺されます。
彼女が死んだ後、町は平穏になり、めでたしめでたし♪

残念ながら?オラトリオの台本ではアタルヤは殺されず、単に神殿から「逃げて」終わるようになっていて、若干インパクトに欠けます。
それにしても、死んだり殺したり、スゴイ話ですね〜!
ヤハウェ信仰と異教バアルの軋轢は、旧約聖書の中に繰り返し登場し、ほんとに懲りないなと呆れるほどです。
この部分じゃありませんが、バアルの神殿を破壊して、そこを便所にしたとかね・・・(笑)

聖書を、品行方正な決まりごとが書いてあるもの、と誤解してる人も多いかと思いますが、実際書いてあるのは人々の「行動」であり、それを突き詰めると「邪魔な奴は殺す・要らない物は壊す」だけだったりします。
これがそのまま人類の歴史ということか・・・?

【参考】新共同訳聖書(日本聖書協会) 歴代誌下 第21章〜第23章

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超悪女のオラトリオ「アタリヤ」

2010/09/09 04:15
ヘンデルが本格的に、英語によるオラトリオに目覚めた時期の作品「アタリヤ」(Athalia)を聴いてみました。1735年のロンドン版による、世界初録音です。

Handel: Athalia
Deutsche Harm Mundi
2010-08-24
Handel


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「アタリヤ」はこの2年前に、オックスフォードで初演されていますが、ロンドン版では当時ヘンデル・オペラで活躍していたカストラートのカレスティーニのために、祭司ヨヤダ役がイタリア語でアリアを歌うのが特徴です。
つまり彼が、母国語で歌えるように(つまり英語は下手だった)という配慮です。

またへ長調のオルガン協奏曲 HWV 292 が、最終楽章に合唱を伴った形でオラトリオの最後に追加されています。
その結果この「アタリヤ」ロンドン版は、英語のアリア、デュエット、合唱に加えて、オペラを髣髴とさせるイタリア語のアリアや器楽の聴き所も含む、何でもアリ的な作品になっています。
これを雑多で散漫と取るか、バラエティに富んでいて面白いと取るかは、人それぞれでしょうが・・・。

タイトル役のアタリヤ(新共同訳聖書ではアタルヤ)は、息子であるアハズヤ王が殺されたのを知って、王位を継ぎそうな者達を皆殺しにして自分が女王にのし上がり、異教の神バアル信仰を推し進めた・・・という、とんでもない悪女です。
しかしアハズヤ王の子で、虐殺を逃れ密かに養育されていた王子ヨアシュが7歳になった時、彼は祭司ヨヤダの作戦により引き出され、民が王の冠を与えたので、アタリヤは王座を追われ(聖書の記述では)殺されてしまいます。

なかなか面白い話だと思うのですが、台本に人物の心情をえぐる突っ込みや緊迫感が不足しているため、どうも盛り上がりに欠けます。
それがこのオラトリオが、ヘンデルが付けた音楽は素晴らしいのに、イマイチ「傑作」とされない理由のようです。
特にこのロンドン版では、前述の伊語アリア(5曲あり、どれも6〜7分と長いです)の部分で、ドラマが完全にストップしてしまい、それに聴き惚れていると物語なんかど〜でも良くなってしまいます。(笑)
まあここは無い物ねだりはせずに、素直に音楽を楽しむのが得策でしょう。

さてこのCD、良く統率された気品溢れるオケと、量感のある合唱が素晴らしいです。
それに比べるとソロ歌手が、概して引っ込んでいて大人しい感じ。
録音(ミキシング?)のせいかもしれませんが、台本のユルさがここにも影響してると言えなくもありません。
アタリヤ役、ソプラノのマクグリーヴィが、多少ハッタリをきかせた悪女ぶりで目立っているくらいでしょうか。
聴きモノの伊語アリアも、カウンターテナーのザッゾは非常に端正な歌い方で、これはこれでいいのでしょうが、どうしてもオペラと比べると地味ですね。

王子ヨアシュ役のボーイ・ソプラノは、子供だからしょうがない・・・とはいえ、もう少し上手い子はいなかったのか?と思いますし。
ヒョロヒョロ&ヨレヨレで、発音も舌足らず。
気にしてる人が多い?ヨシェバ(王子ヨアシュを助けてかくまう)役のリアルは、役通りの清楚な歌いっぷりです。
別に悪くはありませんが、そんなに印象に残るわけでもないかと。
全体的には良い演奏の部類に入るCDですが、スゴイ!スゴイ!と熱狂できるとこまでは行きませんね。

で、お気づきかと思いますが、似た名前の人物が何人もいて、混乱するんですよ。(笑)
このアタリヤ関係のエピソード、聖書を読むとまた面白いので、その話は次回に

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「テオドーラ」マクリーシュ盤

2009/12/25 23:16
ヘンデルのオラトリオ「テオドーラ」(Theodora)、マクリーシュ盤が素晴らしい演奏です♪

Handel: Theodora
Deutsche Grammophon
2000-09-12


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余計な小細工をせず、作品に真正面から取り組んで、素直に良さを引き出した演奏です。
これと言って目立った「特徴」はないんですが・・・ソロ、合唱、オケ、全てが過不足無くバランスが取れていて、大変完成度の高い仕上がり。
これがオペラなら、もう少しハチャメチャな所も欲しいかなと思いますが、これはオラトリオだし、作品の性格を考えると、これくらいがベストだと感じます。
変にいじくり回したり、個性的な演奏に走らない方がいいと。

ですが、「特に何もやってない」ように聴こえるけど、聴き応えのある演奏って、実は難しいんですよね。
その点、このマクリーシュ盤は、とても優れていると思います。
マクリーシュの芸風と作品の性格が、ピッタリ合っているんでしょうね。
もちろん、ヘンデルの作品自体が良く出来ていることもありますが。

こういうCDって、書くことがなくて困ります。(笑)
突っ込みどころが見つからない!

なお再演の際、何とヘンデルは第2部第2場を変更し、(現在では聴きどころの1つとされている)テオドーラのアリア「With Darkness deep as is my Woe」をカットしてしまいます。
このマクリーシュ盤では、変更バージョンでも聴けるように、2枚目のCDの終わりに、それがオマケ収録
・・・でもこれは、それほど有り難くもないけど。

以下余談・・・♪

初演当時、「テオドーラ」が全く不入りだったことに関して、解説に書いてあった逸話
(C.バーニー著「ヘンデルの生涯」によると)ヘンデルの言葉として
「der was room enough to tance dere, when dat was perform.」
↑これは、ヘンデルのドイツ語なまりの英語を、そのまま書いたもので、直すと
「there was room enough to dance there, when that was perform.」ですね。
「上演中でもダンスが踊れるほど場所が空いていた」

もう1つ、幕が開く前ガラガラの客席を見て、心配する友人達にヘンデルが言った言葉
「Nevre mind; de moosic vil sound de petter.」
これは「Never mind; the music will sound the better.」でしょうか。(笑)
「心配するな、音楽はより良く響くから」
↑あ、これヘンデルの言葉だったんですね!

ヘンデルがあのメタボ腹で、大きな目をギョロつかせながら、ドイツ語なまりの英語をガンガンしゃべる姿って・・・なかなか迫力あったのでは?と思います。(爆)

テオドーラのあらすじはこちらの記事にあります

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信仰を貫いて殉教!「テオドーラ」

2009/12/21 21:36
1750年に初演されたオラトリオ「テオドーラ」(Theodora)は、信仰を貫いたヒロイン、テオドーラが殉教する崇高な結末が特徴です。
初演当時は全くウケず、客席は閑古鳥でしたが、現在ではヘンデル晩年の傑作オラトリオとして、時にはオペラのように演技付き上演も行われる、人気作となっています。
他のヘンデル・オラトリオと違い、「テオドーラ」は聖書ではなく、それより少し後の時代、イエスの死後弟子達が地中海沿岸一帯に、キリスト教を広めていた頃が舞台です。

<あらすじ>
4世紀の初め、古代シリアの首都アンティオキア(現在はトルコ南部、シリアの国境近く)は、ローマの支配下にあった。
ローマの総督ヴァレンズは、ローマ皇帝の誕生日を、ローマの神々に捧げ物をして祝うよう市民に強制し、従わない者は罰すると通達する。
敬虔なクリスチャンのテオドーラは、異教の神を崇拝することを断固拒否し、捕らえられてしまう。
彼女は死罪も覚悟だったが、宣告されたのは死刑よりもさらに屈辱的な、ローマの男達相手の「身売りの刑」だった・・・!

一方、ローマの将校でありながら、密かにキリスト教に改宗し、テオドーラにも恋していたディディマスは、テオドーラを助ける決意をする。
彼は、テオドーラが捕らえられている小部屋の見張り、友人のセプティミアスに自分の本心を明かし、友情のよしみで部屋に入れてもらう。
そして渋るテオドーラを説得し、自分とテオドーラの服を取り替え、テオドーラを脱出させる。

テオドーラは無事クリスチャン達のコミュニティに戻ったが、ディディマスが反逆者として捕らえられ、総督ヴァレンズも激怒していることを知ると、自らローマ側に出向いて行く。
テオドーラとディディマスは互いに、死刑に値するのは自分の方だと主張し、相手の命だけは助けようとするが、聞き入れられずに一緒に処刑されてしまう。


・・・・・・ヘンデルが付けた音楽は、ここで終わっています。
しかし、モレルが書いた台本は当初、この後にテオドーラとディディマスの信仰を貫く姿に感動したセプティミアスが、キリスト教に改宗するというオチ?がついていました。
この部分は初演の際、(売られていた)台本にも載せられていたそうです。
ヘンデルが何故、最後まで音楽を付けなかったのかはわかりませんが・・・蛇足と思ったのでしょうかね?

従って最後は、テオドーラとディディマスの死を悼む、クリスチャン達の合唱になっていて、劇的ヘンデル作品いつものパターンであるこれでめでたし合唱がありません。
短調の合唱曲でオラトリオが終わると、悲しみの空間にポンと放り出されたような、独特の感覚に襲われます。
これだけでも聴く価値アリ、なんて思ってしまいますね。

捕らえられたテオドーラが歌う、With Darkness deep as is may Woe は、アリア集に良く録音されています。
他にも、技巧を誇示する派手さこそなくても、深い情感をたたえる落ち着いた趣のアリアが多く、老境ヘンデルが達した円熟の技が堪能できます。
台本の展開&まとまりも良く、現代では高く評価されているのも、当然とうなづけますね。

CDの紹介は次回に・・・♪

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「サムソン」クリストファーズ盤

2009/11/03 17:06
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)、とりあえず愛聴しているのはクリストファーズ盤です。

Handel - Samson / The Sixteen, Christophers
Coro
2003-01-01
Handel


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明るく柔らかな響きが美しい、とても聴きやすい演奏です。
歌手も皆よく通る声で滑らかに歌い、自然体でドラマが進行していくので、聴く方も構えることなく物語の流れに乗っていけます。
CD3枚通すと200分以上ある、かなりの長丁場ですが、「聴き疲れしない」のはこの盤の長所でしょう。

「サムソン」は、ヘンデルの生前とても人気があり、何度も再演されていますが、長すぎた初演版はその後手が入れられ、多少は短くなっているそうです。
この盤は、後にカットされた部分も含め、初演時のバージョンをほぼ再現しています。
古楽演奏としては、かなりユルい方だと思いますが、通して聴いてもダレた感じはありません。
素直な演奏ゆえでしょうか、別にクリスチャンでなくても、聴き終わると「サムソン、死んじゃったけどやっぱすごい英雄だな〜♪」なんて、ごく自然に思います。(笑)

・・・・・と、一応は気に入ってる演奏ですが、何度も聴いているうちに、物足りない面も出てきました。
★ 柔和なサウンドが、男性的なサムソンのイメージと合わない
★ 喜怒哀楽のコントラストや、登場人物の個性がもっと欲しい
・・・・・などです。

特に第3部は「サムソン、決死の覚悟」⇒「神殿崩壊」⇒「サムソンの死と弔い」⇒「英雄サムソンと神を称える歓喜の歌」・・・と、死ぬの生きるの泣くの喜ぶのと上下が激しいのに、相も変わらずお上品な「美しい」演奏で、とてもサムソンを含め3千人が死んでるとは思えません。
サムソンが神殿を壊す時の、ペリシテ人の「恐怖と混乱のシンフォニー」も、台本を見ずにボーッと聴いていれば、特に何も気づかず過ぎてしまうでしょう。

ペリシテ人の合唱の猥雑・軽薄さ、美女デリラの官能性、悪漢ハラファの憎たらしさ・・・下品にならない程度に、もっと誇張してもいいと思います。
一応、ヘンデルの作品自体がそう書かれているので、素直に演奏しても伝わるものは伝わるとは言え、やはりもう少し何かやって欲しかったですね。
まあイギリス古楽勢が、何でもソツなくこなすけど、中庸ゆえ食い足りないのは、毎度のことですが。

なお現在「サムソン」の国内盤は、故カール・リヒター指揮のもの(68年録音)だけが入手可能です。
(私はかつてリヒターのファンだったので)15年以上前、彼のCDをかなり集めましたが、「サムソン」なんて録音してたことさえ知りませんでした。
彼のような、往年の名指揮者はコレクターがいるので、それを当てこんでの発売でしょうけど、現役演奏家の新録音が国内盤で出ないのに、もう亡くなって何年も経ってる演奏家のものが、「名盤」と謳い何度も意匠替えして出てくる現象、何とかならないんでしょうか?

私が「サムソン」が好きなのは、登場人物の心理が丁寧に書かれた台本に拠るところも大きいのです。
さらに、当時のこの作品の成功も、台本の出来と無関係ではないはず。
(ロンドンの聴衆は、イタリア語のオペラは台本に無頓着だったが、オラトリオは英語なので、はるかに理解して聴いていた)
現状、辞書を引き引き台本を読んでますが、もしも「英語全然わかんないよ」という方が、輸入盤「サムソン」を音楽だけで聴いた場合、ただ長くてつまらないと感じる可能性もあります。
こういう曲こそ、対訳付き国内盤を出して欲しいんですけどね。

今さら、リヒターの「サムソン」を買って聴こうとは思わないしな・・・。
もっとも彼のことだから、古い演奏スタイルとはいえ、要所で本質を捉えた鋭い解釈をしているのかもしれません。
晩年目を患ったリヒター、もし心臓病で急逝しなかったら、その後失明してたかもしれず、「サムソン」の録音があったなんて、妙な符合ですが。

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サムソン、大逆転の聴きどころ

2009/10/31 03:19
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson)は、4部分から成る序曲が終わると、ダゴン神の祭りで歌い騒ぐペリシテ人達と、牢につながれ打ちひしがれたサムソンの絶望的な様子が、音楽で対照的に描かれます。
ペリシテ人達の合唱は明るく陽気で、神の栄光を象徴するトランペットが、華やかに鳴り響きます。
でも少し軽薄な印象があるのは、「陽気の人、ふさぎの人、中庸の人」の「陽気組」(ネアカ軍団?)の曲と似てるでしょうか。

一方サムソンは、怪力にまかせてやりたい放題?だった過去はどこへやら、有名なアリア「Total eclipse!」では、「太陽も月も星も、私には闇だ」と、盲目になり光のない世界に生きる、孤独と絶望を歌います。
「マッチョな分、頭はカラッポ」的イメージのサムソンですが、このオラトリオでは終始内省的で、知的な印象さえ受けます。
やはり彼は、「英雄」として描かれているわけですね。
父マノアも、神の力が離れたサムソンの哀れな姿を見て、親として何ともやるせない気持でいます。

第2部では、サムソンを騙したことを謝り、復縁を迫る美女デリラが若い侍女達と共にやって来ます。
デリラの「With plaintive notes」は、夫婦が仲睦まじいことで有名なコキジバトに例えて、独り身の淋しさを歌う、ヴァイオリンの可憐なオブリガート付きのアリアです。
彼女達、結構何曲も歌って粘りますが(笑)、サムソンは決してデリラを許しません。
次にやって来るペリシテ人の悪漢ファラファは、ヘンデル・オペラの悪役を彷彿とさせるバスで、サムソンをあざける意地の悪いやりとりが面白いです。

第3部で、サムソンの祈りが神に届き、再び力(最後にして最大の)を得た彼が神殿を壊すシーンは、シンフォニアで描写されます。
その後使者がミカとマノアの元に来て、事の次第を報告、亡くなったサムソンを弔う葬送行進曲が流れ、イスラエルの民達が英雄の死を悼む歌を歌います。
このへん、実にシリアスな雰囲気・・・タイトル役が死んでるのだから当然ですが。

しかし、普通ならここで終わるのに、そうでないのがヘンデルなんだな〜!(笑)
「サムソンはその生も死も英雄的だった」とマノアが、「最後までサムソンを見捨てなかった我々の神を賛美しよう」と友人ミカが言うに及んで、一気にオラトリオはメチャ明るい最終シーンへとなだれ込みます。
ヘンデルのソプラノ・アリア集に良く入っている、輝かしいトランペット付きの「Let the bright Seraphim」はここで歌われるんですね!
初めて「サムソン」の全曲を聴いた時、一番印象的だったのはそれでした。
単独でこのアリアだけを聴くのとは、やはり感興が違います

さらに「ヘンデル、上手いッ!」と思うのは、オラトリオの最初でペリシテ人の合唱に付いていたトランペットが、ここでイスラエル側に付いていること。
神の栄光と勝利を象徴するトランペットの、見事な鞍替え!
いくらイスラエルの宿敵ペリシテ人とはいえ、3千人死んでるのにハッピーエンドはなかろうと思いますが、そこはそれ劇場音楽家ヘンデルは「お客様を暗い気持で家路につかせない」のです。

というわけで、
やったね、サムソン!お前はほんまにヒーローや!!
・・・・と拍手パチパチ、大逆転のカタルシスがたっぷり味わえるオラトリオです♪

(CDの紹介もするつもりでしたが、長くなったので次回にします)

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サムソンの壮絶な最期

2009/10/26 13:08
美女デリラの計略にはまり、ペリシテ人達に目玉をえぐりだされた怪力サムソンの物語、後半です。
これまでのお話はこちら

盲目となったサムソンは、ペリシテの都ガザ(パレスチナ情勢のニュースに出てくる、あのガザです)に連れて行かれ、牢屋に入れられます。
そこでサムソンは、青銅の足かせをはめられ、石臼で粉を挽く強制労働の毎日。
自由奔放に怪力を誇示できた、かつての英雄の面影は全くありません。

さて、ペリシテの神ダゴンを祝うお祭りの日、サムソンは見せ物として引きずり出され、陽気に歌い騒いでいるペリシテ人の笑いものになっています。
ついにキレたサムソン、ここで決死の行動に出るのですが・・・

ヘンデルのオラトリオ「サムソン」の台本は、聖書から直接構成したのではなく、J.ミルトンの「闘士サムソン」を元に、N.ハミルトンが書いたものです。
盲目となったサムソンの心境や、彼を取り巻く人々とのやり取りが克明に描写されていて、聖書の簡素な記述よりもずっと面白いんですね。
(なお、J.ミルトン自身も失明のため、口述筆記だそうです)
ではここで、オラトリオ「サムソン」の台本から簡単に紹介すると・・・

まず牢屋のサムソンの所に、友人のミカ(女みたいな名前ですが、男です)がやってきます。
台本での彼は、「おまえのお父さん、マノアがやって来るよ。慎重な足取りで、わずかに残った髪も真っ白だ」などと、サムソンの「目の代わり」になると同時に、(オペラのような)視覚情報がないオラトリオの聴衆にも状況説明をする、両方の役割を兼ねています。

サムソンは、自分の愚かさゆえに盲目となってしまったことを激しく後悔しており、光を失った今、生きていても無意味だと、絶望のどん底にいます。
父マノア共々、神の力が離れてしまった我が身の、惨めな状態を嘆くばかり。

そこへ何と!災いの張本人デリラ(台本では、サムソンの妻だったことになっています)が訪ねて来ます。
1人残されて初めて、サムソンへの本当の愛に気づいた彼女は、彼に許しを請い、ここを出てまた一緒に暮らしましょうと言い出します。

「聞いて下さい、愛の言葉を」
「光を失うことが、人生を失うことではありません」
「残された感覚で、喜びを味わうのです」

・・・・・と、結構まともな言葉で、若い侍女達と一緒にサムソンを説得しますが、サムソンはよほど彼女(というか女に?)に懲りているのか、全く同意しません。
それどころか「こうして牢屋で鎖に繋がれていれば、二度とオマエに騙されて酷い目にあうこともなかろう」と、自虐的反論までする始末。
結局デリラとの復縁はならず、彼女は怒って帰ってしまいます。

次にやってきたのは、ペリシテの(自称?)闘士ハラファ。
「お前がロバの骨で千人を殴り殺した、あの場所にもし俺がいたら、オマエの死骸をロバの隣に横たえてやったんだがな」
「お前が目をえぐり出されたんで、勝つチャンスを失ったよ。見えない奴と戦うなんざ、みっともないしな」
・・・・・・と、牢中のサムソンを前に、言いたい放題。
そしてダゴンの祭りのために、その惨めな姿をさらしに出て来い!と、意地悪にけしかけます。
サムソン、最初は渋っていましたが、体内に力がみなぎるのを密かに感じて、牢を出て行きます。
実は、ペリシテ人に丸坊主にされた彼の髪の毛(←怪力の源)、また少しずつ伸び始めていたのでした!

以下、聖書に戻りますが・・・
ダゴンの神殿は、中に入りきれない人達が屋上にあがって見物するほど、ごった返していました。
サムソンは「神よ、私に今一度だけ力をください」と祈った後、神殿の大黒柱をさぐりあて、その2本に両手を持たせかけました。 そして
ペリシテ人め!俺と一緒に死んじまえ〜〜〜〜ッ!
と、力一杯柱を押すと・・・


神殿は一気に崩落、サムソンは3千人以上のペリシテ人と共に、帰らぬ人となったのでした。
「彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」と、士師記第16章30節には書かれています。
(日本聖書協会刊 新共同訳)

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怪力サムソンの秘密とは

2009/10/22 12:20
ヘンデルのオラトリオ「サムソン」(Samson 1743年初演)は、旧約聖書の「士師記」第13〜16章に出てくる、怪力サムソンの最期を扱っています。
「士師」とは、まだイスラエルに王がいなかった時代に、イスラエルの民を導き敵から救済する、神に選ばれた指導者のことです。
やはりヘンデルがオラトリオを書いている、デボラ(←女性です!)やエフタも、士師でした。

怪力サムソンと美女デリラの恋愛、そしてその顛末は、サン=サーンスのオペラにもなっています。
しかしヘンデルの「サムソン」では、彼が怪力を失い牢に閉じ込められた所から始まります。
つまり一連の物語のうち、後半だけを扱ってるんですね。
ですがそれ以前のサムソンを知っていないと、彼の無念さも最期の大逆転!も実感しにくいので、今回は聖書一のマッチョ男・サムソンの、豪快なエピソードを紹介します。

サムソンはダン族(イスラエルの12部族の1つ)のマノアという男の息子で、生まれながらのナジル人(びと)でした。
ナジル人とは「神に捧げられ、聖別された人」・・・と書くと、さぞかし品行方正かと思いますが、それは大きな誤解。
以下、聖書によれば・・・

★ 宿敵ペリシテ人の娘に惚れたサムソン、両親と共に彼女の家に挨拶に行く途中、襲ってきたライオンを素手で引き裂いた!
★ 婚礼の宴会で客に出したクイズで、賞品の服を調達するために、何の関係もない30人の人を殺して、服を剥ぎ取った!
★ ペリシテ娘の父親とケンカして怒り、300匹のジャッカルの尾に松明をくくりつけ、火をつけてペリシテ人の畑に送り込んで、焼け野原にした!
★ 捕らえられ、ペリシテ人に突き出された時、縄を霊力で焼き切った後、落ちていたロバの骨を振り回して、千人を打ち殺した!


・・・・・いくら当時、イスラエルがペリシテ人の支配に苦しんでいたとはいえ、これじゃサムソンて、単なる無差別殺人鬼ですよね?
当然ながらペリシテ人達は、何とかサムソンをやっつけたい、と思い始めます。
無敵のサムソンでしたが、彼にも弱点がありました。
それは女!
サムソン、今度はデリラという美女に惚れます。

そこでペリシテ人の領主達はデリラに、「サムソンをたぶらかして、怪力の秘密を探り出してくれ。上手く行ったら、銀貨千百枚!」と持ちかけます。
ところがこのデリラも、顔はいいけど頭は悪いのか(笑)、直接サムソンに「あなたを縛って無力にするには、どうすればいいの?」と聞く始末。
サムソンはその度に「乾いていない新しい弓弦(ゆみづる)7本で縛れ」「髪の毛を織機の縦糸と共に織り込め」などなど、適当な嘘で答えます。

しかし、言われた通りにやっても、少しもサムソンを無力にできません。
デリラは「どうして本当のことを教えてくれないの!私を愛してるなんて嘘なんでしょう!ひどいわ!!私をこんなに苦しめて!!!」と、毎日毎夜しつこくサムソンに迫ります。
そして、愛する女の執拗な懇願に、耐え切れなくなったサムソン、ついに怪力の秘密をしゃべってしまいます。
それは・・・・・・


神に捧げられているナジル人は、頭にカミソリを当ててはいけない約束があります。
生まれた時から伸ばし続けている、サムソンの長い髪・・・これを切れば、彼の怪力はどこへやら、並の人間になってしまうのでした。
デリラは、サムソンが膝枕で眠っている隙に、人を呼んで彼の髪を剃らせます。
そして、やって来たペリシテ人達に向かって行ったサムソンは・・・いつもの怪力を全く発揮できずに、いとも簡単に縄で縛られてしまったのでした。
しかも、両目をえぐり出されるオマケ付き!

こうして盲目となったサムソンは、ペリシテ人の街ガザに連れられて行き、牢屋に放り込まれたのです。
ああ哀れ、怪力サムソン・・・以下、次回に続く♪

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豪華絢爛「ソロモン」〜ロイス盤

2009/06/19 06:42
ヘンデルのオラトリオ「ソロモン」(Solomon)、私が聴いているのはダニエル・ロイス指揮のHMF盤です。

Haendel: Solomon
Harmonia Mundi
2007-11-13


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HMVの情報ページはこちら

マクヴィカー演出のジュリオ・チェーザレのDVDで、チェーザレ役を演じていたサラ・コノリーが、ここでは堂々ソロモン王を歌っています。
ヘンデルのアリア集も出している、テノールのマーク・パドモアは、脇役とはいえ出番の多い祭司ツァドクで、大変丁寧な歌いっぷり。
ロイスの指揮は、嫌味がなくバランスの取れたもので、HMFらしいふくよかな響きの録音も素晴らしく、まったりとゴージャスなヘンデル・オラトリオの世界に浸ることができます。

2枚に収まっているので割安感がありますが、その分第2部の裁判シーンは、2人の遊女が自分の言い分を主張し合う途中で、CDがぶった切れる(笑)のがちょっと難です。
さらにソロモンが女性歌手なので、第1部後半のファラオの娘との結婚祝賀や、第3部のシェバの女王の訪問では、「女同士でデュエット」になってしまいますね。
これらの点が気になる方は、ソロモンをカウンタテナーのアンドレアス・ショルが歌っている、ポール・マクリーシュ指揮のアルヒーフ盤(3枚組)がいいかもしれません。
(ただし初演当時は、女性のメゾ・ソプラノがソロモンを歌っています)

実は私マクリーシュのは、「安くなったら買おう」とずっと待ってるのですが、先日新宿のタワーレコードで、彼の他のヘンデル録音と一緒に、3,800円くらいの特価になっているのを見つけました。
一瞬、レジに持って行きかけたんですけど・・・「これって、近くボックスセットが出るからでは?」と思い直して止めました。(笑)
これが吉と出るか凶と出るか、真実はどうなんでしょう? (^ ^;)

さてこの「ソロモン」、聴き所はまず2重合唱(各4部が2グループに分かれた合計8部)を含む、壮麗な合唱曲です。
これらは、長年の念願だった神殿と王宮を完成させ、イスラエルの繁栄を築いたソロモン王の栄華を、音楽の上でも象徴しています。
第2部冒頭の「From the censer curling rise」には、HWV371のヴァイオリン・ソナタでおなじみのモチーフも出てきて、ちょっと驚きますよ。

アリアでは、ソロモンの「What though I trace each herb and flow'r」「When the sun o'er yonder hills」などの他にも、第1の遊女(子供の本当の母親)が歌う「Beneath the wine」が、大変美しいパストラールです。
第3部冒頭には、単独でも親しまれている器楽曲、「シェバの女王の入場(到着)」もあります。
細かく動く弦のモチーフは、彼女が持ってきた黄金や宝石のきらめきを表しているのでしょうか・・・?

「ソロモン」は、嫉妬や殺意などのドロドロ感情を扱い、タイトル役も死んでしまう「サウル」とは違って、王様ヨイショの(ある意味他愛ない)陽性のオラトリオです。
また各部が内容的に独立しているので、通して聴かなくても十分楽しめます。
不況・不況・・・の今だからこそ、せめてこういう音楽で、気分だけでもリッチになりたいものです♪

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タイトル 日 時
いらっしゃい♪シェバの女王
いらっしゃい♪シェバの女王 ★ ヘンデル晩年の傑作オラトリオ「ソロモン」(Solomon)にちなんで、旧約聖書のソロモン王にまつわるエピソードを紹介しています。 ...続きを見る

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2009/06/16 08:07
ソロモンの裁きはいかに?
ソロモンの裁きはいかに? ★ ヘンデル晩年の傑作オラトリオ「ソロモン」(Solomon)にちなんで、旧約聖書のソロモン王にまつわるエピソードを紹介しています。 ...続きを見る

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2009/06/12 22:46
ソロモンは本当に賢いのか?
ソロモンは本当に賢いのか? ★ ヘンデル晩年の傑作オラトリオ「ソロモン」(Solomon)にちなんで、旧約聖書のソロモン王にまつわるエピソードを紹介します。 ...続きを見る

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2009/06/09 20:27
オラトリオ「サウル」〜ヤーコプス盤
オラトリオ「サウル」〜ヤーコプス盤 ヘンデルのオラトリオ「サウル」(Saul)、私が愛聴しているのは、ルネ・ヤーコプス指揮のHMF盤です。 ...続きを見る

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2009/05/25 14:51
サウルの子供達とダビデ
サウルの子供達とダビデ ★ ヘンデルのオラトリオ「サウル」(Saul)の登場人物を、順次紹介しています。 ...続きを見る

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2009/05/22 07:36
英雄ダビデの珍?エピソード
英雄ダビデの珍?エピソード ★ ヘンデルのオラトリオ「サウル」(Saul)の登場人物を、順次紹介しています。 ...続きを見る

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2009/05/19 06:14
孤独な王、サウルの悲劇
孤独な王、サウルの悲劇 ★ ヘンデルの劇的オラトリオ「サウル」(Saul)の登場人物を、順次紹介しています。 ...続きを見る

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2009/05/18 05:47
サウルをめぐる人々
サウルをめぐる人々 数回に分けて、ヘンデルの代表的な劇的オラトリオ「サウル」(Saul)を楽しむための、舞台設定や登場人物の紹介をします。 もちろん、内容はとりあえず置いておいて、音楽だけでもそれなりに楽しめます。 「メサイア」にしても(少なくとも日本では)、それほどちゃんと台本を読んだ上で、聴かれているわけではないですから。 ...続きを見る

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2009/05/15 22:41
オラトリオ/もう3つ♪
オラトリオ/もう3つ♪ 「サウル」「ソロモン」「サムソン」の3Sに続き、もう3つヘンデルのオラトリオを紹介しておきます。 この3つは、今のところ自分的にはイマイチ感があるのですが、ヘンデルのオラトリオ・ファンの間では、良く聴かれているものです。 ...続きを見る

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2009/03/07 06:53
ヘンデル/オラトリオの「3S」
ヘンデル/オラトリオの「3S」 ヘンデルが書いた20余のオラトリオのうち、「メサイア」の次にお勧めの作品を、とりあえず 3S として紹介します。 それぞれ特徴があるので、キャッチフレーズを付けました。 どうぞ御参考に♪ ...続きを見る

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2009/03/03 03:32
「メサイア」以外は駄作なのか?
「メサイア」以外は駄作なのか? ヘンデルは20余のオラトリオを作曲しています。 しかしその中で「メサイア」だけが圧倒的に有名で、他の作品はかなりクラシック音楽を聴いている人でも、題名さえ知らないか、良くて「ちょっと聴いたことがある」程度なのが普通です。 この事実をもって「メサイア以外は駄作なのでは?」と思う人がいても当然でしょう。 しかし実際は、全くそうではありません。 ...続きを見る

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2009/02/11 20:42
オラトリオ「聴いた感じ」
オラトリオ「聴いた感じ」 ヘンデルのオラトリオ「聴いた感じ」を、オペラとの比較でまとめてみたいと思います。 まあオラトリオは一応「メサイア」が有名なので、今さら・・・かもしれませんが、メサイア自体がヘンデルのオラトリオとしては例外的な部分もありますので。 ...続きを見る

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2009/01/27 14:11
メサイアは例外?
メサイアは例外? ヘンデルの音楽史上最大の功績は、英語によるオラトリオというジャンルを確立したことで、その最高傑作が「メサイア」とされています。 ヘンデルのオペラが、まだ作品のタイトルさえ一般的でないのと比べれば、「メサイア」1曲だけでも有名になっているヘンデルのオラトリオは、まだ恵まれていると言えるでしょう。 ですがこの「メサイア」、20曲以上あるヘンデルのオラトリオの中では、かなり異色の作品なのです。 ...続きを見る

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2009/01/19 21:31
表彰式のヘンデル
表彰式のヘンデル 昨日競馬の有馬記念をテレビで見ていたら、レース後の表彰式でおなじみの旋律「ソーミーファソードー、レミファソファーミーレー♪」が流れていました。 御存じの方もいると思いますが、この有名な「表彰式の音楽」は、ヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」の第3部、「見よ、勇者は帰る」(See, the conqu'ring hero comes!)がオリジナルです。 ...続きを見る

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2008/12/29 13:21

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