生活臭漂う古代人の金融取引
古代の人たちの生活と言うと、何となく理想化されたイメージがあります。
会社も学校も、うるさい上司や先生もいない。ノルマや宿題もない。
朝起きて畑を耕し、日が暮れたら家に帰って家族で食卓を囲む。
食べ物は100%天然もの・近所で採れた新鮮なものばかり。
近所の人たちとは仲が良く、まるで家族同然の付き合い。
等々…。20世紀初頭の言葉で言う「高貴な野蛮人」の姿です。
ところが、古代も古代、メソポタミア文明の頃から金融取引は存在し、人々は毎日懐具合や将来のことに悩みながら日々を過ごしていたのです。
金融の歴史を見てみると、古代も現代もほとんど変わらない、めちゃくちゃリアルな等身大の人間の営みが見えてきます。
1. 古代メソポタミアの粘度板の記録には
Photo by BabelStone
ビールに関する法典
上の写真の粘度板(タブレット)は古代メソポタミアで彫られた、世界で最初の「ビール」に関する決めごとです。
ここには、
- 酒代は当時の貨幣である銀ではなく穀物で受け取る
- 売る酒の量をごまかしてはならない
- 神殿に仕える尼僧(女性公務員)は酒場のパートタイマーをしてはいけない
などと書かれています。
酒場でのビールのツケ売りに対しても、細かく規定があったようです。
通貨であった銀や穀物の貸借についての規定は、いわゆる金融取引の最も原始的な姿と言えます。
経済活動を記録した粘度板
古代メソポタミアの遺跡からは数多くの粘度板が発掘されています。その数50万枚以上。彫られた内容は多岐に及び、
法律、辞書、物語、参考書、問題集、料理レシピ、数学、測量学、天文学、医学、簿記、投資契約、不動産取引契約、船舶リース取引、担保や金利の設定、等々…
ところが、発見される粘度板のうち80%近くは経済活動に関することで、麦の在庫記録、不動産売買記録など、各種取引や会計にまつわるものなのだそうです。
農業が発展し交易が生まれ都市に発展。すると農民以外の無生産者が増える。
すると人々へ公平に富を分配する統治者が登場し、分配のための仕組みが整備され始めます。
そこで重要なのが、納品記録や在庫管理。
性格な情報を記録するために文字が作られ、記録媒体である粘度板が発明されました。
やがて収穫期には、倉庫の棚卸しをして「年度決算報告資料」まで作られるまでになったのでした。
2. 複雑化する取引契約
古代メソポタミアの金銭貸借契約
古代メソポタミアの時代、まだ「お金」は発明されておらず、穀物と銀が通貨として流通しました。
それでも高度な貸借の法律が既に存在しており、ハムラビ法典では以下のように利子率を定めています。
- もし商人が穀物を貸借契約に供した時には、穀物1クールにつき60クーの利息を徴収する
- もし銀を貸借契約に供した時には、銀1シケルにつき6分の1シケルと6シェの利息を徴収する
- もし商人が違反して、穀物1クールに対し60クーの利息あるいは銀1シケルに対して6分の1シケルと6シェの利息を超過して徴収した時には、商人は与えたものを失うだろう
穀物の単位は「1クール=180クー」で、利息は33.3%でした。
銀の単位は「1シケル=180シェ」で、「30シェ+6シェ=36シェ」、利息は20%でした。
銀の方が利息が安い理由として、収穫時には穀物の供給が過多になり、対銀価格が下落していたからだと思われます。
そしてこの利息以上に取った商人は罰があると書かれてあり、当時から高利貸しがいたことが分かります。
きっと、貧困・格差から来る社会不安や治安悪化が当時から社会問題になっていたのでしょう。
まるで現在と同じですね。
古代メソポタミアの銀行
新バビロニア時代になると、手広く金融取引を行う銀行のような業態が登場しました。
記録に残る有名な銀行家は、エジビ家やユダヤ系のムラッシュ家などで、
彼らは王に対する資金の貸付、小切手、為替手形、不動産ローンの買い取り、ベンチャー投資などを手広く行っていたようです。
当時は現代のように他国と自由に商取引を結ぶことなどできませんでしたし、そもそも市場というものも存在しなかったので、民間によって活発な商取引が行われたというわけではなさそうです。
3. コインの発明
手っ取り早く儲けれるコイン
コインは紀元前7世紀に小アジアのリディアで発明された、とされるのが定説です。
コインの利点は、全てのコインを均一の質量の金銀にできること、そしてコインの価値を定義することで、その定義分と原価の差分、つまり「通貨発行益」を得られる点にありました。
通貨発行は、為政者にとって手っ取り早く儲けられる方法だったわけです。
コインを大量に作成しておいて、公務員の給与はコインで支払い、税金もコインで受け取る。もちろん偽造は絶対に許さない。
これまでの何十分の一の金銀の量で、これまで以上の商品が流通したので便利だったでしょう。
ディオニュシオス1世の借金返済方法
この金銀の質量と実価値を巡る面白い話があります。
紀元前4世紀のシチリア・シラクサの僭主ディオニュシオス1世は、市民から多額の借金をしており、返還を強く迫られていました。だが多額すぎて返済のメドがたたない。
そこで彼は全シラクサ市民に布告しました。
すぐにドラクマ銀貨を拠出せよ。従わねば殺す。
そうしてシラクサ中から銀貨を集め、造幣所で「1ドラクマ」銀貨の上に「2ドラクマ」と打ち直し、持ち主に返還しました。
世の中のお金が2倍になったと同時に、ディオニュシオス1世の借金の価値は半分になったので、ようやく返済ができたのでした。
これは笑い話のようですが、インフレを利用した借金返済は歴史上何度も行われています。
第二次世界大戦後の日本も、戦前の政府債務の返済のメドが立たず、預金封鎖(※)を実施してインフレに陥らせ、借金の価値を下げて政府債務を返還したことがあります。
※預金封鎖 - Wikipediaより引用
政府において、財政が破綻寸前になった場合、銀行預金などの国民の資産を把握して、資産に対して税金を掛けて政府収入にあてることで、破綻から免れようとすることがある。また市場に出回った通貨の流通量を制限し、インフレを金融政策で押さえる方法として実施される場合がある。その際通貨切替をして旧通貨を無効にし、市場通貨を金融機関に回収させる方法がとられることがある。この場合にも預金封鎖が行われる。
4. 世界初のオプション取引
タレスのオリーブ搾油機
世界初のオプション取引(ある原資を、予め決められた日に一定の価格で取引する)として有名なのが、ギリシアのオリーブ搾油機の話。
哲学者タレスは、ある年のオリーブの作柄を豊作になると予想し、村中のオリーブの搾油機の使用権を予約し、支払いを済ませておきました。
果たして、その年は予測通り豊作に。
収穫されたオリーブを搾油するために、農民たちは搾油機に押し寄せる。
みんなが利用したがるから、1回あたりの利用料を高く設定される。
早めに市場に出せば出すほど高く売れるから、みんな我先にタレスに高額な使用料を支払う。
タレスはまんまと大金を手にした、というわけです。
このお話は証券会社がお客さんに、オプション取引とは何かを分かりやすく説明するために度々引用されるようです。
6. 古代ギリシアの保険業
古代ギリシアには外国人が多数居住し商取引が発達。特に地中海・黒海貿易が盛んになりました。
そこで発達したのが「冒険貸借」と言われるもので、船主が船舶や積み荷を担保に資金を借り入れる契約のこと。
この契約を結び、資金を借り入れ商品を購入して目的地にまで運び売りさばく。無事に帰還すると、利息をつけて元本を返済します。
仮に嵐や海賊にあって商品をなくしてしまった場合、その債務はなくなる仕組みでした。
海上保険の起源のようなものですね。
このような金利の記録は古代ギリシアに多く残っており、特に不動産担保ローンの記録が多いそうです。
ギリシアは山がちで耕作地が少なく、厳しいローンの取り立てで落ちぶれる農民たちが相次ぎました。
スパルタはそのような国民の二極化から来る軍事力の低下を防ぐため、コインの流通自体をやめてしまったのだと。
ただ結局、そのような後ろ向きな取組みは長い目で見ると、国家の柔軟性と国力の低下を招いてアテナイ、次にマケドニアに覇権を奪われていきました。
まとめ
何か本当にロマンがないですよね。リアルすぎ。
古代の人たちも、毎月のローンに苦しんだり、リスクを考えて資産を分散させたり、投資に失敗して財産がパーになったり、
現代人と変わらないような悩みを抱えていたかと思うと、もしかしたら娯楽や情報に溢れた現代の方がよっぽどいいのかなあと思ったりします。
参考文献:金融の世界史:バブルと戦争と株式市場 新潮社 板谷敏彦