感染症は国境を越えて
2015年7月 1日
たとえば、「武士」の「武」という字が「戈(ほこ)を止める」と書くように、真のスペシャリストとは、その技を「いかに使うか」ではなく、「いかに使わないか」にたけているものだと思います。
感染症医として他医からコンサルト(相談)された時も、「いかに抗菌薬を使うか」よりも、「いかに抗菌薬を使わないか」を伝えることが難しく、そして力量が問われるように感じます。たとえば、原因不明の発熱において(むやみに刀を振り回すことなく)敵の姿を見切るまで待つこと。しかし、これは患者さんにとっても、主治医にとっても不安なことですね。だからこそ、専門家として、彼らの信頼関係に寄り添えるかどうかが問われていると感じます。
在宅医としては・・・、「いかに医療的介入を思いとどまるか」について判断する力、説明する力が求められていると感じます。
先日、多発転移した胆のうがんの高齢女性について、ご自宅でお看取りをさせていただきましたが、この方にも大きなヤマが2つありました。
最初のヤマは、亡くなる10日ほど前のことです。訪問看護師から次のような電話がかかってきました。
「先生! 長嶺さん、今朝から38℃台の発熱があって、先ほどから血圧が下がってきています。サチュレーション(酸素飽和度)も70台です!」
どうやら、訪問先から電話をかけているようです。少し声がうわずっています。
「ああ、そうですか。血圧はどうですか?」
「触診で上が70ぐらいです。中部病院に搬送していいですか!!」
う~む、あんなに事前に打ち合わせておいたのになぁ
「ご本人は苦しそうにしていますか?」と私は聞きました。
「いえ、汗はかいておられますけど・・・」
「ご家族が搬送を希望されているのですか?」
「いえ、ただ・・・ 不安だと思います」
不安・・・、解釈困難な事象を他人に転嫁したいときの呪文です。専門家である看護師が、その呪文を唱えたりすれば・・・、それはご家族のなかで増幅されることでしょう。電話口でご家族も聞いているだろうし、ちょっとマズいなぁ・・・
「搬送は待っていてください。いまから行きますから」
ご本人を診察する限り、すぐにも亡くなりそうな印象はありませんでした。呼吸音はクリアで、尿の簡易検査でも感染を疑わせる所見はありません。考えられるとすれば胆道系感染か、あるいは腫瘍熱かもしれません。病院に搬送して精査すれば、何か分かるかもしれませんし、感染症であれば少しはしのげるかもしれません。しかし、大きな流れを止めることはできないのです。
あらためて、ご家族と膝を突き合わせてお話をしました。結論は、家に帰ると決めたときと同じものになりました。ただし、ご家族として「何かしてほしい」という気持ちが強かったので、1日1本の点滴を始めることになりました。まあ、これも3日後にやめることになったのですが・・・
2回目のヤマは、亡くなる3日前だったようです。ただし、そのことを私は後で訪問看護師から聞かされました。遠方からの親族も集まって、最後のお別れが行われたとのことですが、東京から来ていた一部の親族が「なぜ、病院に連れて行かない。こんな放ったらかしにして!」と場が少々不穏になったようなんですね。
しかし、連絡を受けた訪問看護師がすぐに駆けつけ、ご本人の意思を尊重していること、ケアを怠っているわけではないことなどを丁寧に説明したようでした。結果的に親族も納得され、穏やかに今日を迎えることができたのです。1回目のヤマで多少の混乱はあっても、2回目のヤマでは説明する力を身につけている。「さすがプロだなぁ」と感心しました。
医療という妖刀のキレ味は魅惑的なものです。何でもキレると思いこませるほどで、ときに闇雲(やみくも)に振り回してしまうことがあります。そんなときは、戦っている相手も見えなくなっていて、土壇場になればなるほど、家族や医療者自身の不安と戦っていたりします。しかしもちろん、不安を切りはらえる刀などないのですが・・・
|
ご感想・ご意見などをお待ちしています。
ご病気やご症状、医療機関などに関する個別具体的なご相談にはお答えしかねます。あらかじめご了承ください。