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2015年6月20日 (土)

最低通過ライン

 6歳5か月の娘が 就学相談中に受けた発達検査(教育委員会からの指示)で 社会性を見る項目の中に・・・
 
 簡単な買い物なら一人で メモを取らず近所に買い物へ行けるか 

という項目があった。 8月生まれの娘は 小学校入学前の1月にこの検査を受けたので 6歳5か月だった。 幼稚園の年長である。 同じクラスのお友達と比べても幼かった自覚は母親にもあった。 家から近所のスーパー(コンビニ)まで 歩道のない道路を歩くから 買い物なんてさせなかった。 正直者は ×を付けた。 結果それが最低通過ラインとして残った。 
 娘の出来ないことは 他にもあったが トータル評価は 支援があった方が良いだった。 そしてその医者は 子供の人権を語った。 全ての子どもには小学校の普通学級に行く権利がありますと・・・

 IQという分かりやすい評価がでて教育委員会・相談員の言葉を かみしめた。
「お母さんは 娘さんのことを分かっていません」 と。

 その後私は 幼稚園からの帰り道で200円を 娘に渡し レジの前で待ち 「牛乳買ってきて」 と指令を 出した。 発達検査にとらわれ始めた母親の転落である。
 娘は幸い 社交性があり この買い物ゲームを 楽しみ 「ママ! ついて来ないで!!」 と迷路のようなスーパーマーケットで 迷いながらも店員さん(制服で見分ける)に 「牛乳は何処ですか?」 と聞いてたどりつけた。 買えた。 お釣りの計算は出来てなかったけど レシートとお釣りを握りしめ 親切な店員さんはビニール袋に小銭を入れて 娘がお金を落とさないように配慮してくれた。 パートのレジ打つ方々は 地域のお母さんが多い。 園服を着ていたので 幼児だと理解してくれた。 結果 一人で自宅からスーパーに行けなかったけど 買い物はできるようになった。 
「それでいいじゃん!」
 幼稚園の母親達は 口々にそう言っていたが 教育委員会や小学校管理職との話し合いの過程で それではダメだと言われていた気持ちになった。 見栄え(身長体重)から しゃべり方 何から何までよその子と比べて劣っていた。 障害者手帳を持つ 障害者ですが言い訳にならない現実を 思い知った。

 全ての手術をクリアして2歳半 誰も到達出来なかったと言われた生存の可能性の道は = 普通の子になれる訳ではないことを 小学校で思い知らされた。 仇になったのは 生後5か月の時に取得した 障害者手帳1級の資格だった。 使える福祉は全て使い 生存(大人への可能性 = 就学・就職の障害者枠医療費1割負担)を 考えてチョイスした未来だった。 障害福祉課の職員は 当時 手帳の取得が小学校の普通学級へ行けなくなる理由にはならないと何度も 何人にも 医者にも確認した。 しなかったのは教育委員会だった。 養護学校の肢体不自由クラスは 手帳を持つことで一人ぼっちの学級を立ち上げることも理論的には可能であることを 誰も教えてくれなかった。 それは生後5か月では 見えなかった未来である。 当時見た未来は 明日朝日が昇るまで 息をしていて欲しいという願いである。 夜 私が眠っている間に 娘が死にませんように・・・だった。 
 1歳で5キロというのは 普通の子の生後1か月位の体重である。 1歳までに3回の手術というのは そういう意味である。

 発達が遅れていない普通の子どもが 働く親を待つ間 お腹を空かさないようにと小遣いをもらうケースは少なくない。 母子家庭・父子家庭・共稼ぎ・・・ お金の使い道と使い方を これを機会に 親子で話し合ってみると良いと思う。 
 コンビニで働き出した週末 子供達(小学生)が買い物に来る。 レシートを 目の前で捨てたので 聞いてみた。 
「レシート持って帰らなくていいの? お小遣い何に使ったのか お母さんに聞かれない?」 
 すると少女たちは答えた。 
「これは私のお小遣い。 自由に使えるお金なの。 レシートなんていらないよ。 パパもママもすぐ捨てちゃうもの。 誰もこんなの見ないでしょう。」 
 レジの横にあるレシート入れに捨てる大人は多い。 キャンペーンのポイントがついていたりお得な情報もある。 クレジットカードで支払い 明細書をその場で捨てる。 金額が合うか合わないか チェックしない人が意外に多い事にビックリした。
「お小遣い帳はつけないの?」 
「何 それ?」 と笑う少女たち。 菓子とジュースを手にとって 財布をひらいたのは一人の子だけである。 千円札をひも付きの財布から出して お釣りを受け取った。 小学校のルールでは おごりは禁止である。 
 息子も小2の時 父子家庭の子に菓子やジュースを おごられて問題になった。 息子だって決していい子じゃない。 あの時 息子は 「頼んでいないのに 勝手に買ってくれた」 と泣きながら訴えた。 でもその後も息子に小遣いはやらなかった。 代わりに私は1回10円のお手伝い制度を導入した。 
 皿洗い10円・ 風呂洗い10円 ・洗濯ものたたんで10円・ 靴を並べて10円・ ゴミだしして10円・ リサイクルして10円・・・ 結果 友人の家に遊びに行くと率先して靴並べして 食べた物を片づける息子が出来上がった。 見た目いい子である。 別名 おべっかつかいとも呼べれていた。

 子供の発達には いろいろな要素がある。 娘は心臓障害であり 息子は幼少期母親不在の家庭で育った。 
 娘は胎児診断が出来なかったから 私の腹から生まれてきた。 付き添い介護が条件の病院に搬送されたから 母親不在の家庭になった。 息子は当時2歳。 ママっ子だった可愛い息子に背中を向ける決断は辛く いつ死ぬか分からない娘との最後の時間を 一日でも長く過ごせるために 夫も 母(祖母)も 保育園も協力してくれた。 娘8歳。 死んでしまいそうな面影は現在はなく 現在も生存中である。

 息子も娘も こんな母親のDNAを 受け継ぎ たくましく子供社会を生きている。 二人とも性格が違い 血液型も違い 出来ないこと・出来る事 発達も全部違う。 育てていてそれが最近 おもしろいと思う。 

 私は学校の先生も 医者も 看護婦も その職業を選択した一人の人間として見ている。 だから折れた定規の問題も クラスの和を乱したくない担任目線と 20分休み・40分休みを この問題だけに費やした自分の姿・努力をPRしたことに 不覚にも笑ってしまった。 
 担任は お母さんじゃないから たった二人の生徒に これだけの時間を費やすのは 異例中の異例である。 特別待遇と言っても良い。 それは私も分かっている。 そして出した結論が・・・ 貸してと言った・ 二人でひっぱた結果折れた・ ごめんねと謝罪した という事実を 列挙した。 あなたは裁判官ですか? 弁護士ですか? 教師だよね・・・ 心の底からそう思った。 
 たてつづけに起こった 歯型事件(娘) 折れた定規事件(息子)の様子を見て 給料をもらって仕事することの意味を 改めて考えさせられた。 授業を カリキュラム通り進めていくことの重要性の意味・・・ それは特別支援学級も同じで 知的障害児学級というカリキュラムが組まれている事を知ったむなしさでもある。 
 
 脾臓を持たない娘(免疫力が弱い)に 何が出来るか考えて 平常心を保ち搾乳を続けた5か月間。 夜中も胸が張り3時間毎に目が覚めた。 水分計算からして3時間毎のミルクを医者が指示を出す。 夜中の3時に搾乳すると 「起きているんだから 自分の子供の面倒は自分で見て下さい」 と中堅看護婦に言われた。 時々目が覚めないでいると ミルクを忘れ 電子カルテに母親のミスと記載されていた。 理由は 「お願いします」 と事前に頭を下げなかったからやらなかったである。 それが担当看護婦の言い分である。
 ナースステーションの中で眠る沢山の赤ん坊の面倒を たった3人で見るのは無理だと言われた。 起きているんだから自分で世話をしなさいと言われ厳しく指導された。 水分が入ってなくて 利尿剤はもられ 医師からは脱水と肝臓のリスクばかり聞かされて気が狂いそうになった。 
 結果 眠れない私の生活が始まった。 1時間注入・1時間抱っこ(逆流禁止) そして搾乳。 5か月で母乳を諦めた。 まず自分の体を守った。 粉ミルクでも子供は育つと 何度夫に説得されただろうか。 泣いて恨んだ。 そして確保して1時間睡眠3回の生活が 1年半のグレン手術で経管栄養が取れる頃(2歳前)まで続いた。 それが終わっても夜眠れない生活は続いた。

 子供を生かす作業は辛い。 でも子供を一人前にして 社会に送り出す作業も辛い。 

 噛まれて泣きながら帰って来て 「だって噛み返したら 相手が痛いでしょう」 と言っていたあの頃を 思い出す。 あの頃 もっと一生懸命息子の話を聞いてあげれたら良かったのにと今でも思う。 でも眠れない私は いつもイライラの連続だった。 育児ノイローゼなのか 更年期障害なのか 分からないが 病院へ通う時間的余裕もなく = 娘の生存と幼稚園入学が決まった頃 自分を変える為にメンタルクリニックのドアを一人で開いた。 障害を持つ娘を預かってくれる先が見つかったから 夜眠れるように治療している。

 うつ病のU2 それが私のブログのタイトル。

 親が買ってきてと言って お金を渡され買い物に行くのと 自分に必要な物(日用品や学用品)を 自分で判断して購入するのは 意味合いが全く違う。 でも買い物(お手伝い)の出来る・出来ないが 小1(6歳)で 出来て当たり前と評価する 発達検査のレベルの高さを 振り返る。 

 Second Step ・・・ 親から小遣いをもらい 働いて留守がちな親の代わりに自分自身で買い物に行く。 大人目線で100円ショップで買える品だけど 地域に100円ショップがない場合と 行ってははダメよエリアにある場合 子供はどれを選択するでしょうか?

① 安い店は学区外なので あきらめ 高い店で買う
② ダメなのは知ってるけど 節約のため 駅前の繁華街に出て購入する
 タイプA: 怒られるから誰にも言わないで一人で行く または親友を巻き添えにする
 タイプB: 心細いから友達に付いて来てもらって お礼する ← 友達の母親からバレルタイプ
③ 黙って忘れ物して 先生に叱られる。 また親の働く姿を見ているから言えない

 ちなみに うちの息子は子供祭りの変装する衣装の購入のため 友人引き連れて電車で二駅先の住宅街にある100円ショップまで 自転車でDay Trip していた。 後日友人の親から目撃情報を もらう。 
 発覚後 息子は素直に事実を認めた。 担任が子供の自主性を促して 自分たちで工夫しなさいと言ったという。 だから小遣い持ち寄り 皆で何かできないか考えたそうだ。 先生のせいにしているが 工夫の意味が違う。 黙って100円ショップに行ったのは 正直に言えばママが怒るからだそうだ。 ちなみに仲間全員 親に黙って行って皆で怒られた。 
 ケガなく無事に帰れて良かったという安堵感と 車でよく行く店だったので 頭の中で道順覚え 仲間を誘導した息子 ← 悪の張本人
 子供の行動は 黙って何かしても 親情報で以外に筒抜けである。 
「何で 駅前の方に行かなかったの?」 そっちの方が真っ直ぐだし 近いしと思った。
「繁華街で ゲームセンターも 映画館もあるでしょう。 だから危ないと思った。」 と息子は言う。 真っ直ぐな1本道で 比較的広い歩道も充実している繁華街への道。 自転車の交通ルールも変わり 親目線の危険と 子供目線の危険に溝を 感じた。
 結果 100円ショップに行ったけど 衣装なんて売っているはずもなく 手ぶらで帰って来た子供達。 親に相談すれば 連れて行く場所は当然ドンキホーテである。 自分達だけの手で なんとかしたい努力は買うが 空振り具合が子供である。 

 息子の発達検査の社会性の欄は 簡単に通過した。 けれど要注意人物であることには変わりはない。 最低通過ラインの意味するものは何だったのだろうか。 今改めて 振り返る。
 
  

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